朽花

美しく咲き誇る花を悪党は深く慈しみ、二度と枯れないように、周りの邪魔な養分は全て吸い取っていく。






遠くで叫ぶ声が聞こえた。どたどたと踏み鳴らす足音が轟き、何かを押さえ付けるように必死になる音。
まるで傍で起きているかの様で思わず尻込みをし、その場を立ち去ろうとした。

しかしそこに傷だらけの女中が命からがらやって来て私の足元に縋った。その目は焦点が合わずに何かに怯え、声は上擦り、今にも消えてしまいそうだった。

「あ……法正、様、が……。」

「…………法正、様?」

その男の名を再び口にするのも恐ろしいのか、己の両肩を抱いてそのまま屈みこんでしまった。
飲み込めない状況に戸惑うが、彼女が来た方へ歩みを進めると血の跡が幾つも床に散っていた。血なまぐさい臭いが鼻につくのを抑え、少しずつその場所に赴く。次第に大きくなる悲鳴。

「あぁ……!助けて下さ……っぁ!」

「ななし様!!」

「来ては…なりませぬ!!」

目に広がる惨状はあまりにも痛々しく、目を伏せてしまいそうになった。心の臓腑は速く波を打ち、嫌な汗はじんわりと服に滲む。
女の髪は無惨にも振り乱れ、男の身体は傷が絶えず満身創痍だ。何をどうしたらこうなるのか、しかしその男は他の武将に囲まれながらも至って冷静だった。

「……どうして、こんな事をしたんですか。」

その愛しき声に気付いた本人は狂気に満ち足りた笑みをすっと浮かべ、息も絶え絶えの人を踏み躙み歩く。
周囲は警戒を解かず、何時何が起きても良い様に武器は下ろさない。

「ああ、会いに来てくれたのか。」

「………。」

唇をそっと噛み恐る恐る彼の目を見た。虚ろな目をしているのに何処か嬉しそうだった。
その声色は先までの悲鳴や怒声を一切思わせない、優しく壊れ物を扱うかの様。

「……この方達が貴方に何をしたんです。」

「貴女を侮辱した、それ以外は何も。」

「自分ではなく、私が…侮辱……それだけの事でこんな酷い事が出来るんですか…!」

涙が止まらなかった、それでも何一つ表情を変えない彼は本気だ。侮辱されたとはいえそれは私が知らぬ所でなのに。
何をそんなに彼が怒る必要があるのか。
布も服も血がこびり付いて鬼神の如く振舞う姿を安易に想像させた。

「幾らでも出来る…愛する女をここまで馬鹿にされたのなら俺は屍を幾つでも積み上げますよ。」

「………!!」

そして真の狂気を感じた。愛の所為で彼はここまで変わってしまったのだろうか。否、それはもう愛とは呼べない別の何か。

まだ、と小さく呟くと女の髪を掴み上げ、乱暴に何かを飲ませた。拒み嫌がる姿勢に苛つき平手打ちをかますと大人しくなり、虚しくもそれは喉を通って行く。
するとどうだろうか、彼女はみるみる青ざめて僅かだった意識が完全に閉ざされた。

「やめて!!」

「償いにはまだ足りない…報復は徹底すべきです。…そうでしょう、ななし?」

名前を呼ばれた瞬間、死期を告げられたの如く刃が喉元に宛がわれる感覚を覚えた。間違っている、その言葉を口にすれば一瞬で首が跳ね飛んでしまいそうだった。
どうすれば彼は満足するのか、この場にいる皆が地に伏せるまで静かに傍観するか、一国の主を呼んで彼を鎮めてもらうか。
どちらにせよ私の末路は変わらないのだろう、狂った愛を痛々しいほど身体に打ち付けられる。

「……っこの!!」

それを見かねた一人の男は武器を法正目掛けて振り下ろした。

「愚か者が。」

「ぐぁぁあ!!」

断末魔が鼓膜を突き、その男は一瞬にして地に落ちた。何の変哲も無い布の一撃で。
これ以上誰かが殺められるのはうんざりだった。

「………そんな貴方は嫌いです、大嫌いです。」

「……………。」

睨む様に彼を見れば、それに応えるかの様に彼もまた目を合わせる。先とは違うのは、標的が自分に変わった事。

「俺は心から愛しているから貴女を守ろうとした。それの何が悪い、制裁して何がいけない。」

連結布を千切れる程握り締め、ゆらゆらとこちらに歩み寄る。

「そうか、誰も見ない様にいっそななしを永遠に俺の傍に置けばいい。」

その言葉を最後に突如訪れた鈍痛で私の意識は闇の中へと葬られた。
微かに覚えているのは彼の優しい愛言葉と触れる冷たい瞳だけ。



そしてこの身体は完全に自由を失い、毎日狂う程の痛みを与えられる事と愛を与えられる事、どちらも心を壊すのには容易かった。
泣いて泣いて、また泣いて、それでも彼が心を変える事は決して無い。

さようなら、私を愛してくれた貴方。



(もう逃げ出す事など叶わない、美しい花は狂った甘い蜜に永劫囚われた)