夕日が沈んで町人の声が賑わう頃、法正は一人空を見上げて立っていた。普段とは違う衣装に若干違和感を感じながらも、その表情はいつもより柔らかい。
「お待たせしました!」
向こうから駆けつけるのは淡い水色の浴衣に身を包んだななしの姿。
今日は近くの町で祭をやるという事で、それを知った彼女は一番に法正を誘った。とは言うもの、二人は恋仲という関係までいかない、所謂友達以上恋人未満である。
黒い浴衣といういつもとは違う雰囲気に思わずななしは目を奪われた。
「………どうかしましたか。」
「い、いえ……浴衣、よく似合ってます。」
「俺なんかより貴女の方がずっと綺麗ですよ、では行きましょうか。」
そう答えを返せば彼女は恥ずかしくなったのか、何も言わず顔を下に向けて歩き出した。
屋台が延々と並ぶ道を暫く歩いていると人の量が増え、騒ぐ声も大きくなる。射的で喜んでいる者や食を堪能している者、それぞれが普段の日常を忘れる位に楽しんでいた。
そして彼女もまたある物ではしゃいでいる。
「ああ……難しいです!」
「金魚すくいか。」
金魚は優雅に泳いでる割に掬われまいとしている。ななしは何回も挑戦をするが、その度に紙は破けてしまいがっくりと肩を落とした。
「貸してください、俺がやりますよ。」
ななしの持っていたポイを借りてじっと水面とにらめっこをする。そして水の中に入れて静かにその時を待つ。
その上を金魚が通った今この時が好機、だったのだが。
「おっ、嬢ちゃんの彼氏さんかい?アンタなかなかイケてるじゃないか!」
「か、彼氏!?」
屋台のおじさんが茶化した所為で思い切りななしの声がひっくり返り、それに驚いた法正は上に勢い良く上げすぎてビリっと紙を破いてしまった。打ち上げられた金魚は華麗に宙を舞って再び水の中へと戻った。
「…………報いる。」
「待って下さい!い、今のは私の所為ですから……!!」
目で人を殺すかの如く睨みつける法正を必死に抑えながら別の場所へと引っ張る。未だ冷めやらぬ怒りを鎮める為にななしは先程買った飴を渡した。
「あの……あれは私がいけませんでしたから、これでどうか怒りを収めてください。」
「………はぁ、貴女という方はどこまでお人好しなんですか。」
「あはは……よく言われます。でも本当の事ですから。」
その飴を受け取った彼は先とは違って呆れ返った様な笑みを浮かべていた。それを見て彼女もまた笑顔になる。
「法正さん、気を取り直して次行きましょうか!」
「そうですね、次は存分に楽しめるものを……。」
「ええと、例えばあのお店とか楽しそうですね!」
ななしは探す為に辺りを見回してフラフラと歩いて行く。見失わないように法正も付いて行くが次第に人混みに紛れてその姿が見え隠れしていく。
「待て、ななし。」
彼女は探すのに必死で離れていくことに気付かない様子。
声を出すがとうとう見失ってしまった。ついでに言えば後ろから彼に向けられる女達の声も煩わしくて仕方ない。
「……はぁ。」
本日何度目かの溜息を吐いた。
「………法正さん?」
漸くして姿がない事に気付き、足を止めてその場に立ち尽くす。今度は彼の姿を探すが知らぬ人ばかりで何処にも見当たらない。不安になって来た道を戻っていくが結局いなかった。
「…………。」
また迷惑をかけてしまった、と酷く落ち込んで俯く。周りは誰も知らない人、頼れる人がいない事に寂しさが募っていくばかり。
彼がいない、ただそれだけでこんなにも胸が苦しくなってしまうのか。そうだとすれば自分は本当に情けない。
「法正、さん。」
人気のない丘の上で、泣きそうになりながら会いたいと希う様にその名前を呼んだ。
「………え!」
不意に後ろから誰かに抱き締められた。驚いて必死にもがくが耳元で囁かれる低い声で身体をピタリと止める。
「………あ。」
「何が『あ』だ、誰の所為で散々探しまわった事か……この恩は返してもらいますよ。」
法正は両腕を彼女の首に回してその場でじっと留まる。どんな顔をしているかは安易に想像出来た、耳まで赤くなっている。
「息、少し上がってますね。」
「………気のせいですよ、全く。」
「……ありがとうございます。」
皮肉げに言うもの、懸命に探してくれた事に嬉しくなりその手を優しく包んだ。
「………わぁ!」
同時に空に上がる花火、いつの間にか夜の世界に人々は入り込んでいたようだ。色とりどりの光が眩しくつい見惚れてしまう。美しさに言葉を失っていると抱き締める力が強くなるのをひしひしと感じた。
「あの………?」
「………好きだ、と言ったら。」
「な、何が……ですか?」
気が付けば花火を背景に法正が正面に来る形となる。いつになく真剣な眼差しに鼓動が一気に速まり痛い位に胸が締め付けられた。
彼の背後で大きな音を鳴らしてパラパラと舞い落ちる光がはっきりと分かる。そして暗い空を一筋に飛んでいく高い音が聞こえたのと同時に
「…………!」
唇が重なって今までにない程の大きな花火が打ち上がる。時が止まったようにその口づけはゆっくりで、目を閉じる事すら忘れていた。瞳に映るのは彼と大きな花火。
音を立てて離れていく唇に、ふと我に返ったななしはかつてない位顔を真っ赤にして今にも卒倒しそうになっている。
「………貴女が……ななしが好きなんですよ。」
「………ほ、法正、さん……。」
どうすればいいか分からずおどおどしていると次第に彼の表情は切なげになっていく。
「……ですが、嫌でしたらはっきりと仰って下さい。こんな俺ですから、貴女にどう思われても構いませんよ。」
「ち、違うんです……!今までそういった事無かったので、どうしていいか分からなくて……。」
浴衣の袖をぎゅっと握って、法正の目を真っ直ぐと見る。
「あの…目を、閉じてくれますか。」
一瞬目を丸くしたが言われたままに彼はすっと閉じる、開いていない事を確認してゴクリと息を呑んだ。目を閉ざすその表情も何処か凛としていて、逞しい。そう微笑みながらも彼女もまた
「大好きです、法正さん。」
一瞬だけ触れる口付けを施した。
「…………ななし。」
「………ごめんなさい、こういう事には慣れていないので…私が今伝えられる精一杯の思いです。」
気恥ずかしく目線を泳がせる彼女が愛らしい。
「……良いんですか、それで後悔しませんか?」
「今更…ですよ。そうだったらこうして私からお祭りに誘ってませんもの。」
彼女は彼の手を力強く握って、花火よりも眩い笑顔を向けた。
(来年もまた一緒に行きましょう)
(今度は離れない様に手を繋いで)