隠した想い

「俺、婚姻が決まりました。」


孝直からその言葉を聞いた時、私はどういう顔だったのだろう。自分の事のように幸福を感じただろうか、おめでとうと素直に言えるような優しい笑みをたたえていたのだろうか。
嫌だとか、哀しい感情を一切表に出せずにいれただろうか。

「……………。」

部屋に飾られた花はすっかり萎れて花弁が何枚も床に落ちていた。拾い上げて棚の上にそっと置く。今の自分はまさしくこの花と同じ、乾き切った目をしているだろう。

「……………幸せなら、いいんです。」

言葉とは裏腹に現実から背くように目を閉ざし、思い出が沢山ある心を空っぽにさせた。



法正を小さい頃から誰よりも慕っていたななし。幼馴染という立場を超えて特別な恋を抱いたのは物心ついた時。
あの桜の木の下、いつも平気で手を繋いでいた幼い頃とは違って、強く思い焦がれたのがその恋の始まりだった。













「孝直!」

丘に聳える満開の桜の木の下で、静かに空を見上げる法正に駆け寄っていくななし。声に気付いた彼は普段から顰めている顔を緩く綻ばせて手で招き寄せる。

「見ろななし。」

法正が指さす方向に目を向けるとその景色は花弁が踊る様に幾千も舞い散り、その美しさに思わず言葉を失った。

「わぁ凄い……!こんな綺麗な場所があったなんて。」

「ああ、しかもななしと俺しか知らない場所だ。」

「本当に?じゃあ二人だけの秘密の場所だね。」

くすりと笑って風に流れる長い黒髪を掻き分ける。

「………ななし。」

「………はい?」

名を呼ばれ振り向くと手を差し出す法正。

「…………手、出せ。」

「あ……え、はい。」

恐る恐る手を出すとその大きな手で強く握られる。

「孝直……?」

「やっぱり落ち着くな、お前とこうしてると。」

「ふふ……孝直、手繋ぐの好きだよね。」

「嫌か?」

ううん、首を横に一振り。

「むしろ大好きかな。私もこうしてるとね、凄く安心する……。」

「そうか。」

彼が指を絡ませたその瞬間、自分の中で普段とは違う感情を迸らせた。胸を高鳴らせる事なんていつもなかったのに、この時に限って心臓の鼓動がやけに近く聞こえる。
加えて彼の穏やかな表情を見ると、一層それは苦しくなるばかりで。

「私ね、孝直……。」

「………どうした。」

自然に口に出ていたようで、あっと手で押えた。

「ん、何でもないよ。」

笑って誤魔化し、再び空を大きく見仰ぐ。
幼き頃には芽生えなかった、生まれて初めて抱いた恋心を隠す様に心の奥底に閉まった。
所詮は幼馴染という関係、彼は私をそういう風には見ていない。だから何となく告げてはいけない気がして。



しかしあの時に思いを告げていれば、こんなに苦しむ事は無かったのだろう。


















「もう年月も経ってるし、きっと違う。あれは意味のない事だった。」

今一度自分に言い聞かせ、衣装を着直す。そして外に出てある場所へと足を運んだ。暫く歩いていると次第に日は傾き始め、その場所に着いた頃にはすっかり夕日は山の向こう側。

「…………。」

暗闇の中、二人だけしか知らない桜の木がたった一人の少女を迎え、あの日と変わらず美しい景色をその目に映す。

「どうして、だろう。」

視界は涙に覆われ次第に咽び泣き、はらはらと舞い散る桜と共に落ちていく。その姿は哀しいのに桜の様に儚く美しく、目を奪われる様な光景である。

「孝直…………孝直……!」

自然と口にするのは愛しい彼。

「あの時この場で言えば良かった……っ、大好きだよって!」

いつの日か心の底に押し込めた感情を発散させる。

「もっと貴方に、素直に……なれば良かった…。」

願わくば、もう一度この場所で。

肩を大きく揺らし名を呼ぶ度に大粒の涙が零れる。すぐそこにいる気がして、名を呼べばまた手を差し出して繋いでくれる気がして。

「愛して……います。」

幼馴染としてではなく、誰よりも傍に寄り添いたかったのに。

























「そうやって素直に言え、ななし。」





聞こえる筈のない声が、あの時と同じ様に優しく私の名前を呼んだ。

「…………孝、直。」

「呼んだだろう……俺の名前を。」

「…………。」

「まぁ、ここに来ると思っていましたよ。」

見上げれば正真正銘本物の彼が立っている。そしてあの時と同じ様に手を差し出した。しかしその顔はいつもより切なく、何処か憂いを帯びていて。

「今なら間に合う……ほら、手を出せ。」

間に合う。そうだ、まだ間に合う。その手を取って彼と歩めばきっと幸せになれる。

「…………ううん、その手はもう繋げない………共に歩むべき相手は、私ではないから。」

なのに、言えない。気持ちとは相対してそれを断固否定する。

「…………いいから出せ。」

それでも彼は手を下ろさない。法正から強く彼女を望む様に。
それが一層ななしの心を苦しませる、いっそ出会わなければ良かったのに、なんていう勝手な我儘。

「お願いだから、その手を二度と差し出さないで……!!」

強く言い放てば、彼は漸くその手を下げた。

「………違う……孝直は悪くない。私がここに来るべきじゃなかった。怒鳴ってごめんなさい、そして」

さようなら、と告げる言葉は自分でも驚く程に冷静だった。否、そうでなければ今度こそきっとその手を握り返して抱き締めてしまう。愛の言の葉を受け止めてしまう。

「俺も、愛している。」

何よりも聞きたかった言葉に足を止めてはいけない、振り向いてはいけない。

「そうだ、あの桜の下で逢瀬を重ねた時からずっと。」

やめて、もう私は関係ない。

「ななし!!!」



怒鳴る様な声に怯んで立ち止まった瞬間、身体はいとも容易く後ろへと倒れていく。そこに待ち受けてるのは大好きでたまらない彼の腕の中。
泣きそうになるのを堪えて、微かに睫毛と唇を震わせた。

「……………愛してました。」

「過去形か。」

「そう、過去に愛した人だから……今はもう何もない。」

何もないなんてよくそんな嘘がつけるものだ。こんなに泣いて、何度も名を呼んでおいて。

「今はもう何もない、か。だが、それでも俺がななしを愛している事を忘れるな。

……はっ、らしくない……こんな結果になるんだったら、今すぐにでも女を殺してお前と一緒になりたいんだが」

そんな事をお前が許す訳ない、と皮肉に笑いかけて身体が離れる。途端に重みを失った身体はふらつき、今にも倒れてしまいそうだった。
言葉がない、故にこれで最後の逢瀬。

耳にかかる息も、低い声も、綻ばせる笑みも、不器用な優しさも見る事はない。

「………また貴方と一緒に桜が見れてよかった……。」

心から幸せを願います、そう微笑んで独り暗闇の中に溶け込んだ。














それから数週間が経ち、法正が正式に婚姻を結んだという話を耳にした。皆の話によると、女性は幸せそうに寄り添っていたが、当の彼は終始表情を変えなかったという。

忘れられない記憶がある様に、望む様に、日々遠くを見つめている。


それは未だ愛する幼馴染の優しい面影と、手を繋いで寄り添う二人だけの秘密の場所。




(お前が隣にいない日々は、息苦しい他無い)