悪党少女と弱気軍師
「………………………。」
何をこんなに押し黙っているか、それは目の前に自分そっくりの女がいるからだ。決して頭がおかしくなった訳ではない、そういう有り得ない現象が正にこの現実に起きている。
今一度自分の手を見れば、普段付けていない黒い手袋。膝を見れば黒い脚衣、胸はすっかり無くなっている。長かった髪も短くさっぱりし、男の様に逞しい体つき、いや、もう男だ。
「おい、聞いているのか。」
やや低めの声で目の前のななしは問い質す。
「これは、どういう事なんでしょう……。」
眉を下げて弱々しい法正にななしは苦々しい表情を見せる。
まるで二人の性格が入れ替わったような、否、入れ替わったのだ。
「何かの拍子に中身が入れ替わったんでしょうね。原因が不明な以上、どうにも出来ないですが。」
「ではこのまま私は悪党を演じなければいけないんですか……!!無理ですよ軍師の務めだなんて……。」
「俺なんてどうするんです、男が女を演じるなぞ、考えるだけでも気持ち悪いですよ。それに今後戻ることがなければ貴女の見られたくない物まで隅々と……。」
「いやぁああ!!!やめてくださいそれ以上言わないで下さい………!!」
「まぁ、嫌でも貴方も見ますけど、ね。」
そんな、とななしは絶望に打ちひしがれ頭を垂れる。しかし自然の摂理はきちんと行わければならない。例え見たくない物を見る事になったとしても。
溜息をついて胡座をかくななし……もとい法正。
「とりあえず戻る事を願うしかないでしょうね。……不運ではあるが、これから貴女には軍議に向かってもらいますよ。例え中身が変わったとしても周りの奴等は事情を知らない、こればかりは諦めてください。」
「あの……はい、とか、うん、とかじゃ駄目なんでしょうか……。」
「あのですね、俺は軍師ですよ。一番肝心な所で喋らないでどうするんです。」
「じ、じゃあ一緒に付いて来て隣で助言とか……!!お願いします、それだけでも付き合ってください……!!」
目の前で土下座する自分を見て法正は非常に複雑な気持ちになる。少女が大の大人に助言する姿など、誰かに見られでもしたら。しかしそうでもしなければ怪しまれる、仕方なく付いて行くことにした。
「では軍議を始める………と、言いたい所なのだが、法正……。」
「あ、はい。何でしょうか。」
「ななし……もっと声を低くしろ。」
背後から指摘する法正。ごほん、と咳払いし、目を鋭くぎらつかせて普段の彼の真似をする。
「いや……何故彼女がここにいるのか教えて欲しいのだが……。」
劉備は少々不思議な顔でななしを見つめる。法正もそれに気付いて顰めていた表情をすぐさま変えてにっこりと笑った。正直辛い、法正は嫌な汗を伝わせながら横に座る。
劉備の問に対しななしは何と言っていいか分からず、焦ってつい
「え……その、ななしがいないと俺、生きていけないんですよ。」
まさかの大胆発言、その場が一気に静まり皆の表情が一斉に固まった。
「………………。」
「なんと、法正殿の口からそのような言葉が出るとは……。」
法正もそれには目を丸くし、眉間を曇らせた。しかし言ってしまった以上弁解など出来ない、意地でもそう突き通すしかなかった。
「もう…法正さんってば。(この馬鹿が!)」
いくら恋仲とは言えど、言動に限度がある。もし今日戻った場合明日からどういう顔して軍議に出ろというのだ。変な目で見られるのは俺の方だ、今後を考えると頭と胃が痛くなる。
覚えていろ、何が何でも俺はお前を報いるぞななし。
そんな法正の邪の気配を感じ取ったななしはすぐさま話を進めていく。
「で、ですので、どうかお気になさらず……邪魔はさせませんので。」
「あ、ああ……それは平気だ。では、改めて軍議を始めよう。まずはこの状況なのだが……。」
とりあえず軍議が始まり、話は滞りなく進んでいく。慣れぬ正座をして法正はしっかりと聞いていたが、肝心のななしは眉間に皺を寄せて気難しい顔で話を聞いている。それもそうだ、戦知らずの女には言っている事が分からないのも当然である。
「それで、ここを是非法正の策で打開してもらいたいのだが。」
名を呼ばれうっかりななしの姿した法正は返事をしそうになってしまった。なんとか押さえて軽く咳払いで乗り切る。
「………………そこはこの崖から矢を放つのが得策。」
背中に付いている塵を取る仕草をしながら考えを即座に耳打ちし、ななしに言うように促す。
「……私……俺の考えとしては、崖から矢を放つのが得策……かと。」
「成程、確かにそれが良いかもしれぬな。」
劉備は快く意見を聞き入れた。深く追求しない事に安堵して垂れ下がる長い髪を掻き分ける。
「…………。(女の髪はこんなにも柔らかいのか)」
それから何度か聞かれる度に法正が耳打ちしてななしが発言して、二人の息ぴったりな連携のお陰で何とか軍議は何事もなく終了した。部屋に戻ると痺れた足を伸ばして倒れ込む法正。
「く…………っ、女座りなど長時間も出来るか………!」
「私だって胡座なんてしませんから恥ずかしかったですよ!」
「まぁ……とりあえず始まりの時以外は良かったと思いますよ。流石にあの発言は頂けないかと。」
「う……前もって用意してなかったんですよ……ですから、ついあんな事言ってしまいました。恥をかかせて申し訳ありません……。」
そう謝罪を述べると肩をすぼませて暗然する。こんな情けない自分を見るのは気分的に萎えるというものだ。事情を知らぬ人から見れば何という女々しさ、理解してもらえぬ事にただ溜息をこぼすばかり。
ふと横目でななしを見れば、何処か落ち着かない様子。
「…………どうしましたか。」
「…………お手洗い、行きたいのですが。」
遂に来てしまったか。法正はそれなりの覚悟をしてはいたが、いざこうなると色々と面倒でややこしい。男女の作りが違う故に逐一説明しなければならないのだ。だからといっておいそれと勝手に遣り退けれる話ではない。
「どうしましょうか……!このままでは………っ。」
「慌てず落ち着いて下さい……どうするもこうするも、同じ人間なんですから恥じる事なんてないでしょう。とりあえず厠に行きますよ、その都度説明していきますから。」
説明を聞きながら二人で厠の前に立つ。しかし何度もこちらの様子を伺い、なかなか入らないななし。端から見ると完全に滑稽だ。
「先の言った通りにすれば大丈夫ですよ、ほら、入って下さい。」
「知りませんよ……どうなっても本当に知りませんよ…!!」
「ご安心を、ここまで来たらある意味もう何も怖くない。」
逃げ腰で恐る恐る厠に入っていく俺の姿、何も言えず遠い目で見つめる。
「ああ、俺までそんな気分になってきましたよ……。」
「………………………。」
「そんなに衝撃的でしたか。」
暫くして厠から出てきたななしは、人生の中で一番驚愕的であろう表情を見せていた。顔を真っ赤にして出てきた時には流石の俺も笑いが抑え切れなかった。
「だ、だ……だって………あんな…………っ!!!」
「なら尚更男を知るべきだ…戻った際は楽しみにしていて下さい。たっぷりと楽しませてあげますから。」
冗談っぽく言うが、法正にとっては本気の話である。恋仲となって未だ身体の関係を持たないというのは色々溜まる一方なのだ。
正直言えば、この身体になってから何度理性を崩しかけたか。そんな事言ってしまえば完全に変人扱いだが、それでも否定は出来ない。
「とりあえず昼食摂りますよ、こう気苦労重ねるとどうにも腹が減る。」
はい、と蚊のような細い声で返事をしてななしは歩き出す。すれ違う周りも思っているだろう、男らしい少女と女々しい大人の会話、今日の二人は完全に真逆だと。
「…………私の中では結構食べたのに……お腹が空きます。」
「俺はもういりませんよ……貴女の胃、小さすぎじゃありません?」
二人の食べる量が違う為、いつもの感覚で食べるとこうも誤差が生じてしまう。
「そっちの余った料理……貰えますか?」
「どうぞ……気の済むまま食ってください。」
皿ごと渡すとそれはもう満面の笑みで美味しそうに食べるななし。俺があどけなく笑んでるなど気色悪いにも程がある。胃の中に入った料理が丸ごと引っくり返りそうだ。
「……どうしました?」
「自分の笑っている姿なんて生涯かけても見ないと思いましてね。ある意味希少だ。」
「……確かに…、私がそんな顰めっ面で過ごしているのも珍しいです。そんな人を憎む様な目でいたら、色々勘違いされてしまいますよ。」
「悪かったな、生まれつきだ。」
「もう……生まれた時は邪の気配なんてありませんから。」
何だかんだと話し込んでいると、次の執務の時間となった。器を片付けて部屋に戻ると目に止まるは溜まった書簡。これくらいなら自分でも出来そうだ、机と真っ向から対面し、嵩張る書簡を手に取る。
「…………………。」
気を抜くと筆の力加減を間違えてしまいそうだ。
「大丈夫ですか。」
「ええ大丈夫です、すぐに慣れるでしょう……。」
こちらに気を取られていると、何も言わず正座で佇むななし。気にしなければ良い話なのだが、どうにも意識してしまう。
「…………女の大変さが分かりましたよ。」
「わ……私も男の……軍師の大変さ、体験して身に沁みました。……いつもお疲れ様です。」
「早く戻れるといいですね、お互い不便でなりません。」
「…………はい、でも………。」
「………でも?」
穏やかな顔付きで執務を熟す彼の背中を見据えるななし。自分では分からない、小柄な体つき、長い後ろ髪。
「…………何だか、嫌な気はしないんです……可笑しな話ですけれども、これが法正さんだったからかもしれません。」
「…………全く、貴女という人は……。」
筆を置いて法正はこちらに歩み寄る。どうかしたのかと首を傾げていると、不意に近付く自分の顔。驚いて背中を反らすが、腕を掴まれて思わず身体が固まってしまう。女の力とは思えない程に手首は締め付けられた。
「ほ、法正さん…?」
「成程……俺の顔、普段あまり見ないんですが、貴女からはこういう風に見えていたんですね。」
不敵に笑って舌なめずりをしたかと思えば突然唇を塞がれる。何とも言えない出来事に頭が混乱してしまい、抵抗すら出来なくなってしまう。
「ん!?」
「やっぱり変ですね。自分と接吻するのは。」
「ほうせ……さ……っ。……っう!!」
離れると同時に何やら内側から走る様な電撃。あまりの痺れに堪らず目を閉ざすと、
「……………え……。」
「……………は……。」
目の前にいるのは、自分ではない。目をぱちくりさせ全身を見渡す。しかし何処をどう見ても自分の身体、奇跡的に元に戻ったのだ。
「法正さんが目の前にいます!!良かった………元に戻りましたよ!!」
「そうか、戻ったか……。」
「でも急に戻るんだなんて、一体何が原因だったんでしょう………。」
分かったと同時に緊張していたであろう全身の力が一気に抜けていく。ななしはそのまま床に寝転んでしまった。
「うう……何だか身体が軽いです……変な気分。」
「あれだけ戻りたそうに嘆いてたじゃないですか、どうせならもう一回……。」
「いえ結構です!!……色々苦労しますし、軍師なんて私にはとても出来ません。」
「ああ、俺もお淑やかにする日々を考えただけで肩が凝りますね。……悪党軍師は俺にしか務まらないだろうよ。」
「そうですね、やっぱりこうして本当の法正さんを見ていたいです……。」
その言葉に黙り込む法正、急に静かになったので気になり俯せていた顔を上げれば。
「……………っ。」
重なる唇、今度こそ本当の口付け。甘く噛み付いてくる彼に舌を絡ませて応えれば、ちゅっと音を立ててゆっくりと離れる。
「そんな可愛い事言うと、ここで襲いますよ。」
「……そんなつもりで言った訳では………っ。」
「ああ、そうでした。先の約束覚えていますか。元に戻った際は、貴女をたっぷり楽しませる……勿論忘れたとは言わせませんよ。」
まさに正真正銘悪党の様な笑みを浮かべ、その両手で赤く染まった彼女の頬を包む。
「……………、優しく……お願いします。」
「出来たら、な。」
そう言って法正は見慣れたななしの唇に深く口付けた。
(今日は彼女、来ていないのか?)
(…………はい、もう来ませんよ)