「あの…本当にこのままでは食事が仕上がらないのですが…。」
厨房にて、一人困り果てた女中。目の前で起こる出来事が中々終わりにたどり着けない原因なのだが。
「ここを離れてななしに何かあったらどう責任取ってくれる。いや、それ以前に何故俺に黙ってこんな事をしていた。」
「そんな…大丈夫ですよ孝直さん。黙っていた事は本当に謝ります。ですが私も一人で頑張ってみたいですし。」
「じゃあその手は何だ、傷があるのにも関わらず平気だと言い張るのか。」
法正が許嫁のななしにあまりにも過保護になりすぎている為、先程から延々とこの様な事態が繰り返されているのだ。我々女中にとってはすっかりお手上げ状態、どちらか引いてくれないかとただ願うばかり。
口出しすれば法正がこの世の全てを憎む様に睨む為、これ以上は何も言えない。
言えば自分に災厄が振りかかる、生唾の飲み込む音が聞こえた。
「だって…これは大切な花嫁修業です。貴方の所に嫁ぐにも、料理の一つや二つ出来ていなければ孝直さんが恥をかいてしまいます。出来の悪い嫁なんて…嫌でしょう?」
「俺は無理をしてまで作っては欲しくない。それに周りの事なんか気にするな。」
包丁を持つななしの手をしっかり握る法正、色々な意味で危なっかしい。とりあえず危険なので置いて欲しい。
「いえ、無理なんかじゃありません。…それに、不器用なりに一生懸命作った料理を、貴方に食べて欲しくて…。」
「………。」
次第に小さくなる声に俯きがちに涙目になる姿に思わず固まってしまう法正。愛する者をここまで追い詰めたのは自分の責任でもある、そんな己に嫌気をさして舌打ちをした。
その舌打ちを自分に対してと勘違いしたななしはびくりと肩を震わせた。
「…ごめんなさい!」
その言葉に一瞬目を開いた。
「ななし…?」
「そうですよね…こんなに心配してくれるのに、私は我儘が過ぎました。
別の所で安全にお役に立てる事を探しますね。」
「待て、そういう意味で俺は…。」
舌打ちを勘違いしたのか、と彼は心の中で行為を後悔した。包丁を握る手が弱まるのを確認するとすかさず己の腕に抱き込んだ。突然の事に目を丸くするななし、しかし構わず腕により一層力を込める。
「孝直…さん?」
身体は痛い程締め付けられるが、それでも彼女はもがく事もせず何も言わなかった。
「俺が悪い、ななしに依存して責め過ぎた。
…本音を漏らせば、こんな俺の為に何かをしてくれるなら今すぐ死んでもいい位、嬉しいのだが。」
普段の法正からじゃ考えられない様な台詞を聞いてしまったと女中は一瞬思った。
「孝直さん……!私も嬉しいです、一生懸命頑張りますね。」
ななしは空中に浮かせていた両手を法正の背中に回し、優しく抱き返すと彼は安心した顔をする。
「…そうだ、手を貸せ。」
少しだけ離れ、ななしの手をとる。普段料理など女中任せで慣れていない、当然切り傷が多かった。痛々しい指をじっくりと見て眉間に皺を寄せる。そして自分の口元に寄せて優しく口付けた。
その行為に恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にするななしを見て、つい口が三日月に割れる。
「まじないだ。」
そう呟き、名残惜しそうにその手を離した。
端から見れば何とも甘ったるい場面だろう。しかしどういう形であれ、何とか終わってくれた事に女中は胸を撫で下ろす。しかし、ここは人が行き来する厨房である。通る人は何事かと思い自然と視線が集まってしまう為、こちらとしてはやるせない思いでいっぱいだった。
(その料理は俺以外には食わせるな)
(俺以外に食う奴がいればとっておきの毒が…いえ、何でもないですよ)