縁と私

蝉がうるさく外で鳴いている。自分ははしたなさも忘れて床に大の字になって転がっていた。
そして猫の鈴も同じ気分なのか、隣で項垂れている。

「……………暑い。」

「顔面に水でもぶっかけてあげましょうか。」

扉の隙間から笑えない冗談。

「法正さん……今日は中で出来るお願いにしてくれますか……私、暑いのは大の苦手なんです。」

「明日も、その明日も暑い日が続くのにですか。」

そうでした、と盛大な溜息が溢れる。女らしさもこの暑さで遠くへ行ってしまったようだ。
法正は部屋に入り、そんなだらしない姿を呆れ返った目で傍観する。

「まぁいいですよ、今日の頼み事は中ですが、少しばかりたちが悪くて……。」

「と、いいますと。」

「俺の縁談を無くしてください。」

あんなに気怠かった身体は嘘の様に起き上がれた。
待ってください、縁談を破棄するという事は彼は近い内に誰かと婚姻すると。

「あの、それはさすがに出来ませんよ。」

「どうしてです。」

「どうしてと言われましても、それは……。」

相手が分からない以上手出しはしたくない。もしそれが国のお偉い様だったら?例え己が姫の位だとしても確実に終わりを告げられる。

それとは別に、心に何かが引っかかる。

「別にお得意の策を披露しろとは言ってない、隣にいるだけでいいんですよ。それで、貴女は俺の妻になるんです。」

「え………今、なんと。」

「偽りの夫婦、そういう事です。」

そんな大それた芸当が出来る訳がない、もしそれを周りに知られてしまったら仮面夫婦所か本当の夫婦にならざるを得ない。

「駄目です、騙すなんて……!」

頑なに首を振っていたが、目の前の威圧感に圧倒された。彼の目の色が変わり、受け入れなければ今すぐ報いるとでも言っているかの如く穏やかではない。

「………断るのか。」

一筋の汗が流れる。

「………分かり、ました…やり、ます。」

今まで見たことが無い姿に声が震えて、ゆっくりと縦に頷いた。
元の表情に戻った彼は何も言うことなく部屋から出て行ってしまう。同時に全身の力が一気に抜けた。
あれは正しく本気の目付き、今までの願いとは全く話が違う。

「そんなお願いまで私に頼むんですか……貴方の人生ですよ。」

どうにも釈然とせず、その時間が来るまでななしは寂然たる部屋から一歩も出なかった。










「はじめまして。」

先に部屋に入った法正は、相手の親娘と挨拶を交わす。扉を僅かに開けてその様子をじっと捉える。
正面に座る女性はななしと同じ位だろうか、可憐だが大人びた少女である。笑い方や喋り方も清楚で良い意味嫉妬してしまう程。

「…………。」

お似合いに見えるのは、きっとおかしくない筈だ。それなのにどうしてあんな事までして破棄をしたがるのか、ななしには到底理解し難かった。
婚姻はまだ当分先がいいとか、他に相手がいるとかなら分かるが。そもそも自分一人で誤魔化す事くらい軍師ならば容易いのではと余計に色々考えてしまう。

いくら言う事を聞くからと言っても、偽りの夫婦を演じろだなんて。

「ふふ、面白いです。」

微かに染める頬から、彼女も彼を大層気に入っている様子だ。
なのにその姿を見ると胸が苦しい、それが何故なのか理由が分からない。

「…………いっそ。」

その場から離れてしまおうか。あんな愛らしい女性を泣かせる事なんて出来ない。
それとも自分が逃げたいだけの言い訳か、だとしたらそれは何故に。

私は、彼をどう思っている。

「その件なのですが、既に……。」

ふと我に返ればその言葉で私が出る幕、

「法正様。」

扉を開けてその場に立つ。あちらの二人は突然の事に驚くが、真剣な彼女に黙って目を合わせた。
法正は予定通りに話を合わせようとする。

「ああ、ななし殿。……そうなんです。大変申し上げにくいのですが、俺は」

「その話に賛成です。」

はっきりと言えば、一番驚くのは法正。予期せぬ事に言葉すら失った様子だ、しかし続けなければ。

「あの、貴女は……。」

少女は恐る恐る問を投げる。

「法正様の専属女中にございます。この度はわざわざ遠い所からのご来訪ありがとうございます。私如きがこの場に現れて大変失礼なのは重々承知です。
ですが、」

どうか、彼の事を宜しくお願いします。
膝をついて、頭を下げた。これで良かったと、静かにその場を立ち去って外に出た。





「………専属女中だなんて…我ながら、やってしまった。」

もう彼のお願いは聞けない、というより聞かなくてもいい。あの人がいるのだから、何にも不器用な私はもう必要ないだろう。
まだ一週間ではなかったが、やりきった。

その日は別の部屋に行き、怜に頭を下げて半ば強制的に泊めてもらった。
誰にも自分の存在を告げないでほしい、そう頼み一人寂しく外の景色を眺める。
鈴は彼女達に任せたから恐らく平気だろう、何日も姿を見せなければ彼も諦めてくれる。

未だ自分の中にあるはっきりとしない感情は、いずれ真実に辿り着くのだろうか。




(辛いけど、大丈夫です)