「クァ。」
「………ん。」
木陰で眠っていたら一匹の大きな恐竜が目の前でクンクンと鼻を鳴らして尻尾を揺らしているのが見えた。その地点で通常の人間なら声も出せずに震えて恐怖に身体を縮こまらせるだろう。だがしかしななしはうつらうつらとしたまま小さく微笑んでいた。
「……おはようございます、恐竜さん。」
「クァア。」
彼女が動いた事で人と認識したのだろう、恐竜は近付いてくるなり鼻先を衣服に擦り付けて甘い匂いを感じ取っている。
「本を読んでいたらいつの間にか寝てました。別に退屈していた訳じゃないんだけど……ふああ、寝不足なのかなあ。」
恐竜と触れ合うのに慣れていたななしは一切怖がることなく呑気に大きな欠伸をする。それを見ていた恐竜も真似するかのように口を大きく開けて尖った牙をギラつかせた。
ふと膝の横に置いていた箱に目を向けると、蓋が開いたまま空になっているではないか。
「あれ、ここにまだ二つサンドイッチがあった筈なんだけど……。」
「ギィ。」
「…………。」
空箱を持ちながら小刻みに振ってみると、恐竜は何かを感じたようにその箱の蓋を小突いて閉める。長い尻尾を左右に振りながら、彼女の大きな瞳を黙って見つめ返した。
「動かないこの箱が見えてたの?もしかして、匂いとかで分かったのかなあ。」
「グァ。」
「……美味しかったですか?」
その質問を理解したのか、目を細めて低く唸声を上げる。正直どんな感想を言っているのかまでは分からないが、言うほど悪くはなさそうだ。ななしは嬉しそうに恐竜の頭を撫でて、
「そういえば、私が眠ってる間にサンドイッチが消えてる事があるんです。そういう時はいつも隣に彼がいるんですけど、問いただすと決まって「さあな。動物が盗んでいったんじゃあないのか」だって。」
ザラリとした恐竜の肌は冷たく、何処か心地よい。
「……だとすれば、あなたの事なのかな?その動物は。」
クスクスと笑えば、クァ、と短い一声。
「でも、分かってるんです。彼がこっそり食べてる事。そうやっていつも素直じゃないんですよ?
だから、いっそ友人のトニーにでも作って持って行っちゃおうかなぁ、なんて。ちょっとした仕返しです。」
その直後、恐竜は彼女の腕に噛み付く仕草を見せた。手加減するように軽く噛む程度なので、柔肌に食い込んでも傷付かず痛みは殆どない。
「ご、ごめんね、もうあなたに食べさせるサンドイッチがないの。また今度作ってくるから。」
「グァアアア!」
「わっ!」
ゴロンとそのまま草花の上に倒れ込み、恐竜は彼女の上にのしかかるような勢いで迫り来る。二つの大きな足の間に倒れるななしは、何が起きたのか分からないまま見下ろす恐竜を黙って見つめていた。
「……………。」
「グルル………。」
「…………もしかして、怒りましたか……?」
生温かい鼻息が顔にかかる度、彼が異様に興奮しているのが解る。食べ物がないから怒っているのではない、もう一つの理由で言いたい事があるのだろう。
ギョロリと動く獰猛な目から、もう逃れられない。
それもその筈、
「ああ、やっぱり、あなただったんですね。」
そして其れは低く言葉を紡いだ。
「このDio以外の男に作るだと?そんな事してみろ、その白い首に一生消えない噛み跡を刻んでやる。」
その男は硬い皮膚が乾いた地面のように割れて、口元は獣のように大きく裂けている。Dioという模様が描かれた尻尾は未だ土を抉るように叩いて気持ちが昂ぶったままだ。
先程とは打って変わりきちんと言葉を交わす事も出来るが、中途半端なソレは、未だ人ならざる者にしか見えない。
それでも一切臆することなく穏やかな表情を見せるななし。するりとその砕けた皮膚を慈しむように撫ぜれば、細い目でそれを静かに睨むディエゴ。
「……ごめんなさい、さっき言った事は嘘ですから。」
「………。」
「だって、私に黙って食べちゃうから……言ってくれれば沢山作ってきてあげたのに。」
「………。」
「絶対ディエゴにしか作らないから、約束です。」
「当然だな。」
フンと鼻を鳴らすとディエゴは唇を彼女の首筋に宛てがい、鋭利な牙をズブリズブリと奥に食い込ませる。腰は尻尾に巻かれて一切身動き取れず、なすがままに身を委ねるしかなかった。
「んっ。」
「安心しろ、恐竜化はしないさ。」
「私が、恐竜になったら……どんな感じなんです、か。」
「そうだな……弱々しくて、放っといたらすぐにでも滅びそうだ。」
「そ、っかぁ……それも、仕方ない、ですよね……。」
「だからオレがいるんだろう。」
「あっ。」
緩やかに牙が離れたかと思えば、鮮やかな血で濡れたままななしの唇を塞ぐ。ぬるりとした感触と独特な鉄分を味わいながら、長い舌が容赦なく口内へと捩じ込まれていく。
「ん、ふ………。」
「……なぁ、ななし。」
「なん、です、か……?」
二人を繋ぐ銀の糸がぷつりと切れて、酷くひび割れていた肌はやがて滑らかな肌に還る。先刻まで恐竜だったとは思えぬその美しい男は妖しい笑みを浮かべながら、
「昔から変わらないな。そういう仕草。」
「へ………?」
「キスした後、オレの腰を触る癖だよ。」
「あっ………ごめんな、さい。」
「別に怒っちゃあいないさ。感じてるんだろ?」
いざ言われて無性に恥ずかしくなったななしだが、顔を隠そうにも手を掴まれてしまった為に覆う事すら叶わない。それを分かった上で、ディエゴは敢えて意地悪をする。
「ベッドの上でも可愛い声で啼くからなあ。かれこれ何度も身体を重ねてるのに、いつまでたっても初々しく頬を染めてさ……。オレがななしの感じる部分に触れる度、身体はそれはもう素直に……。」
「ああ、だ、め……これ以上、は………。」
「ななし。」
不意に名前を呼ばれて、閉ざしていた瞼を恐る恐る開けば
「必ず、迎えに行く。」
真剣な眼差しで見つめるディエゴの姿。
「今はまだ一緒にはいられないが、必ず夢を叶えてお前を攫いにいくさ。」
「……はい、待ってます……ずっと、あなただけを想って。」
「そうだ、お前は、オレがいないと、」
この【
同じこの季節に巡り会えると信じながら、二人は誓いを確かめ合うように再び唇を重ねる。これから始まるであろう過酷な戦いの果てに何が起こるのか、長閑に揺れる草木と暖かい風だけがその行く末を知る。
(サンドイッチ、美味しかった?)
(…………ああ、美味かったよ)