後悔の先に見えた面影

その時の月は不気味という程に美しかった。暗い空の果てに浮かぶ刃のような月明かり、一歩一歩歩く毎にその身体を照らしていく。青いコートをヒラヒラと揺らしながら颯爽と靴音を鳴らし、剥き出しの刃を鈍色に照らせばこびり付いた血がはっきり映し出される。

フォルトゥナに来て早数ヶ月、バージルはあらゆる書物を読んできたが、これといって手掛かりになるような物はなかった。そうして仕方なく探しまわる中、途中で遭遇する悪魔を斬り伏せながら彼はふとした気配を感じ取る。

『………Who's there?』

以前にも同じ様な気配を感じていたが、特に気にする事なく先を急いでいた。しかし、最近あまりにもそれが頻発している。もしや跡を付けてきた敵かもしれない、咄嗟にバージルは鞘と鍔の間に指を滑らせ、抜刀の態勢を構える。

『w…wait.』

何処か違和感のある英語の発音に耳を傾ける。しかもやけに聞き覚えのある声だ。

「姿を見せろ。」

そう低く威圧的な言葉を投げかければ、フードを深く被った女が闇から姿を現す。長い黒髪と焦げ茶色の瞳、ここからだいぶ離れた東洋で、しかも主に日本に見られる特徴だ。話し掛けて来る日本人など思い当たるのは一人しかいない。

「久しぶりです……バージルさん。」

「……ななし、何故お前がここに。」

それは紛れもなくななしであり、何処か疲れ切った表情をしている。しかしどんな理由でこのフォルトゥナまで来たのだろうか、彼は構えを解いて足早に彼女の元へ歩み寄る。

「三ヶ月経っても一向に連絡なしで戻らないから……心配して来てしまいました。あはは……フォルトゥナって結構広いから、バージルさんに会えるとは限らないのにね。ある意味偶然が呼んだ奇跡です。」

疲労困憊の顔に無理矢理笑みを作るが、今にも倒れそうだ。一体どれだけ探し回ったというのか、バージルは半端に被っているフードを完全に取ると、月明かりに照らされたななしを静かに見つめる。

「馬鹿が……こんなになるまで頑張っていたのか。」

「はい、途中街の人から助けてもらいながら何とかここまで。通りにあった図書館とかにも足を運んだんですが、これがまた広くて。」

それにこっそり立ち読みとかもしてました、照れくさそうにはにかむななし。

「………すまない。」

「ど、どうして謝るんですか!バージルさんは何も悪くないですよ、勝手に探し回っていた私が悪いというかなんと言うか………。むしろ迷惑をかけてしまいました、ごめんなさい。」

申し訳なさそうに頭を垂れるななし、バージルは苦い表情を浮かべて咳払いを一つ。

「構わん、お前が無事ならそれでいい。」

「バージルさん……。」

「とりあえず、そこの宿で休んでいくか。」

「はい!」

泊まる宿を決めていなかったので丁度いい。バージルはななしの手を引くとそのまま柔く引っ張って宿の扉を開ける。今までより少し高めで綺麗な宿だが、彼女を一息吐かせるにはうってつけの場所だろう。

「ここに座ってろ。」

言われるがままななしは椅子に腰を掛け、大きく息を吐き出す。

「生憎部屋は一人用しか空いておりません……。」

「構わん。それを用意しろ。」

かしこまりました、頭を下げたここのオーナーと思わしき人物は急いで部屋の準備に取り掛かる。ななしはそんなやり取りを行うバージルの後ろ姿を見て安堵の表情を浮かべた。

「良かった、何も変わっていなくて。」

「何がだ。」

「あ、えっと……その、バージルさんが出て行ったあの日と何一つ変わったものが無くて安心したと言いますか。」

忙しく言葉を紡ぐななしを尻目に、バージルは徐ろに瞼を閉じる。

「いや、変わったものがない訳ではない。」

「……そ、それはそうですよね。髪だって伸びますし、体重だってそれなりに……。」

「違う。見た目ではなく、心だ。この心が揺らいだのだ、一瞬の気の迷い、そして……己への激しい憎悪。」

何が言いたいのかと、主旨が掴めないまま呆然と見上げるななしの手を再び取り、用意の出来た部屋へと向かう。階段を足早に駆け上っては扉を強引に開け、閉めたと同時に彼女の後頭部と腰を強く引き寄せてキスをした。

「んっ……!?」

何が何だか分からず、無意識に指先に力を込めて彼のコートに爪を立ててしまう。我に返ったななしは慌てて指の力を抜くが、同時にその緩んだ身体ごとバージルは押し倒して思い切り床へと身体を打つ。

「痛……。」

「ななし………頼む、抱かせてくれ……。」

甘く低く、バージルは彼女を求めた。いきなりの事にななしは酷く混乱させるが、冷たいブルーの瞳で欲しいと強請られては簡単に逸らせない。

「どうしたん、ですか……バージルさん。さっきの言動と言い、何かおかしいですよ……。」

「それを聞いて、お前は俺を切り捨てないか。」

珍しく余裕のないバージル、普段の彼なら切り捨てる側であるのに、酷く捨てられる側を恐れていた。

「お前にとって不愉快な話だ。下手をすれば、生涯俺を恨むだろう。それでも構わないが……ななし、お前はどうなんだ。」

覆いかぶさるようにななしの腰に跨るバージル。後ろに流していた銀髪がはらはらと少しずつ前に落ちて、その姿は事務所で帰りを待つ弟を思わせる。

揺らぐ瞳に噛み締める唇、小刻みに震える腕に、ななしは全てを悟った気がした。

「……言ってください、どんな事でも受け入れる覚悟は出来ています。」

それを聞いたバージルは、静かに薄ら目を細め、



「女を抱いて、孕ませた。」


重く鋭い悲しみ、底しれぬ絶望、どれもが今のバージルの心にのしかかっていた。吐き出された言の葉、一つ一つがナイフのように彼女の心の臓腑を確実に抉ったに違いない。

大きく瞳を開き、唇を薄く開けて、全身の力を抜いて。

「バージルさん………。」

息と共に漏れた僅かな呼び声に身体は反応する。恨むなら恨めばいい、それ相応の事を犯したのだ。愛する女を長い時間置いて、憂さ晴らしとはいえ何処ぞと知れぬ娼婦を抱いた事には変わりない。

しかし、顰める筈の彼女の頬が緩んだ。

「………………大丈夫です、恨んだり、しませんから。」

「………っ、いいや、恨め………俺を恨め!お前以外の女を抱いたこの腕をこの刀で斬るがいい……どうしても斬れぬというのであれば俺が……。」

「……っ、バージル!」

荒々しい言葉と共に呼び戻される意識。気が付けば眼下で涙するななし。大粒の涙を流しても尚その顔は凛々しく澄まされていた。

「仕方ないと言えばおかしいですけど……貴方だって一つや二つ辛いことはあるでしょうし、無性に掃溜めた物を出したくなる気持ちは理解出来ます……。それに孕ませてしまった事は、今更どうにも出来ません。」

「どうにかするのであれば…この手で女とその赤子ごと……。」

「命をぞんざいに扱わないで下さい!仮にも貴方の血を受け継いでるんです……その子の命を失わせる位なら、私は……!」

本当は、苦しい。偶然の確率とはいえ自分より先に子が成されてしまった事が。しかしななしは自分の本音を必死に隠して錯乱するバージルに訴える。己の意思を掻き消すように、何度も、何度も。

「……………………ななし………………。」

「私は大丈夫ですから、何も心配しないで下さい………。」

言葉ではそう綺麗事を言っていても、心はなんて実直で素直なのだろう。涙は止めどなく溢れてすっかり彼の姿もぼやけてしまっている。恐らく醜い顔をしているのだろう、それでも自分の力ではどうする事も出来ない。

「だから、その人の所に行って、今一度今後の話を……。」

「………一度犯した過ちは、どうにも出来ない……………っは、改めて自分が悪魔だという事を知った。」

自嘲気味に嘲笑うバージル、心ここにあらず、と言った所か。

「……ななしがここに来たのも何かの縁なのやも知れん。ああ、そうだ、きっと俺に抱けと……そういう事か。償いとして、贖いとして、俺は……。」

「バージルさん!お願い、私の言葉を聞いて下さい……!」

「何を聞く、幾らお前が許しを与えたとしても、俺が俺を許せない。」

その瞳に光は失われ、世界は闇へと引きずり込まれていく。狂ったように動き出した歯車は、もう強力な歯止めすら役に立ちそうにない。

バージルは彼女の衣服を引き裂いて、白い肌を冷えた空気に触れさせる。当然上がるは高い悲鳴、しかしそれに一切動じず千切れた布を剥ぎ取っては口角を吊り上げた。

「お前が俺の子を成すまで……幾度でも抱いてやる………。」

愛している、呪文のように何度も囁かれた言葉に恐怖を抱きながらも、ななしは三日三晩悪魔のように狂った愛情を受け続けたのだった。




(あの時……お前の面影が見えた)

(手を伸ばして求めた時にはもう…遅かったがな)