「ああ。」
今日も今日とて彼女は皆の輪の中心。太陽のように眩しい笑顔を見せる主はいつも周りを明るく照らして幸せを齎している。戦続きでその身は疲弊してるにも拘らず、まるでそんな姿さえなかったことのように振る舞う。
そんな幸せを俺だけが独り占め出来たら、なんて畏れ多くてとても言えたものではない。ぐるりと考え巡らせていた長谷部は一人悲しく表情を曇らせた。
「長谷部さん。」
ひょっこりと、遠くにいた彼女がいつの間にか目の前にまで迫っていた。我に返った長谷部は慌てて頭を下げる。
「何でしょうか、主。主命とあらばなんなりと。」
「あ………いえ、ただ元気がなさそうに見えたので、ちょっと声を掛けてみたんですが……大丈夫ですか。」
心配そうに顔を覗かせる主、ああ、この瞬間が何とも言えぬ幸せか。
「ご心配をおかけして申し訳ありません……ですがこの通り、俺に傷一つありませぬ故、ご安心を。」
「そうですか、良かった……ですが、この前の戦いで貴方を辛い目に合わせてしまいましたから……もしかしてと。」
「あれは主の所為ではありません!俺の不甲斐なさが招いた結果です。力不足だったが故に、戦力を大幅に失ってしまった………。」
あの時、かなりの無茶をした。誰よりも多く戦果を得る為に先陣を切って真っ先に陣へと突っ込んだが、代わりに多くの兵が失われ、挙句の果てには己の身にも傷を残す結果となった。
馬鹿だ、死んだら何も意味がないのに。何をそこまで血迷っていたのか、それはきっと主にお褒めの言葉を頂きたかったから、なんだろう。彼女の為に全てを捧げると誓った日から、俺は辛い過去を捨てて生きる道を選んだ。ただ、それだけだった。
「……………右腕、見せてください。」
右腕、と言われ長谷部は狼狽の色を見せる。彼女は気付いていた、未だ言えぬ傷があるという事に。
「……………ああ。」
捲くられて露になる腕を見るなり、主は途端に悲しい目色をする。
「主。」
俺は、どうしてもこの顔が見たくなかった。同時に悲しませるような顔を作らせる自分にも腹立たしい感情がふつふつと込み上げている。自責の念に駆られ、この身を砕きたいとさえ思えてくるばかりだ。ああ、すまない主、次こそは、必ず……。
「長谷部さん。」
その顔とは真反対の優しい声色が降ってくる。重々しく伏せた視線を上に上げると、なんと彼女は唇を腕に近付けてそっと押し当てていた。当然の如く長谷部は目を見開かせ動揺する。
「あ、主、なにを。」
「どうか自分を責めないでください………これは私の罪でもあります………力になれない、ちっぽけな私の………。」
「そんな………事、ないですよ。俺は、主を………。」
言葉が思うように繋がらない。彼女は何も悪くないのに、無謀な行為をした自分に全て責任があるのに。
だけど何故だろうか、この瞬間がどことなく心地よい。主に触れられる事によって揺らいでいた気持ちが落ち着くような、淀んでいた感情が和らいでいくような。
「……………ななし……様………。」
心が安らいでしまったのか、思わず彼女の名前を口にしてしまった。長谷部は慌てて主と言い直すが、彼女はそれでいいと首を横に振る。
「良かった、主だと少し距離が離れている気がして。」
「離れている……?」
「えっとですね……名前で呼んでくれた方が、側にいる気がするんです。それが、とても嬉しくて。」
照れくさそうに袖で口元を隠すななし、反対に長谷部は口をぽっかりと開けている。
「まぁ、長谷部さん、口が。」
「も、申し訳ありません……!俺とした事が、つい………。」
慌てて手で隠すと、彼女はくすくすと嬉しそうに微笑む。すると畑の方で作業をしている男士がななしに向かって叫んだ。
「主ー!採れた野菜持ってってくれませんかー!」
「あ、はーい!今行きま………。」
その刹那、パシッと手首を掴まれて、振り返った先には眼前に迫る長谷部の顔。その表情はいつにも増して真剣そのもので、ななしの身体も自然と強張る。
「どうかしましたか……?」
「………どうか、」
拒まないで俺を受け入れてほしい。その言葉の後に交された口付け。長谷部は彼女の身体ごと自分の所に抱き寄せ、深く、求めるように口吸いを施す。
正直自分でもよく分からないまま行動に移していた。そうして口吸いをしていると理解した瞬間、自分からした癖に頬が熱くなり、くらりと目眩を引き起こして咄嗟に離れる。
誰からも見えぬ死角での行為は、長いようで短い時間。未だに唇に残る感触が妙に擽ったい。
「…………っ…………処罰を受ける覚悟は出来ております………!」
腰に差していた刀を鞘から抜くなり己の首に迷わず向ける。長谷部もこれはさすがにまずいと感じていた。唐突にこんな事されて平常心でいられる筈がない。ましてや初の行為であったが故に、尚更後には退けぬ。
「ま、待って……待って!刀を鞘に納めてください!」
ななしは飛び跳ねるように長谷部の腕にしがらみその刀を離そうと試みる。
「危ないです主!どうかお離れ……を……っ!」
一瞬力が抜けて刀は鈍い音を立てて床に落ちたもの、勢い余って二人も同時に倒れ込んでしまう。長谷部は瞬時に彼女の下になり、何とか怪我をさせないで済んだが。
「…………っ…………。」
開けた服から覗かせる肌が目の前に迫り、長谷部はどうしていいか分からず目を泳がせた。あろう事か彼女はその事態に全く気付いていない。
「その………主………。」
「…………ななし。」
「……………ななし様…………。」
嬉しいような、気まずいような。そう思った時にはもう遅く、背後には丁度馬の世話を終えた燭台切光忠と大倶利伽羅が呆然と立ち尽くしていた。
「………長谷部君、それはさすがにカッコ悪い……かもしれない。」
「…………ふん…くだらないな。」
逐一辛辣な言葉が突き刺さり、長谷部はその場で大きな溜息を吐いた。
「…………ふ。」
それでも幸せな事には決して変わりなかったのだった。
(あの、重くないですか……)
(軽すぎて逆に心配になりますよ)