はやくその毒をください

欲しい。欲しい。彼女の全てが欲しい。全てを幸福に導くであろう微笑みに、禁断の果実のような甘さを含んだ身体。

「あっ、法正様……。」

違う。違う。お前なんかでは満たされない。男の身体を目的とした吐きそうな程に甘ったるい媚び、蹂躙したくなる程に苛立つ喘ぎ声。

「…………っ痛…!!」

ばしん、と乾いた音が部屋に響く。下で艶めかしく喘いでいた女は驚いた顔で法正の顔を見上げた。

「いい気になって気安く名を呼ぶな。お前の事など端から何とも思っていやしない。」

「な、なに……いきなり……っ。」

「利用出来る道具を求めて何が悪い。少し優しくすれば簡単に落ちるからこそ、使いがいがあるってものですよ。」

暗闇で妖しく笑むその顔は正しく悪鬼と言っても過言ではない。自分の欲の達成の為ならばどんな女でも抱く。そうして彼女は嫉妬のあまり彼に縋り付き依存する。他の男の事など考えられなくなる位に、法正という男しか夢中にさせないように。

普通の女であれば、そんな異端的な行為はほとほと呆れて去っていくものだ。ますますそんな男に愛してもらおうと自らが彼に依存するなんて実に滑稽、いっそ何もかも捨てて新しい恋でも始めればそれで話は片付くであろう。……それが法正という男でなければ、十分可能だが。

「ああ、そうでした。快楽を得ている今、貴女にも報いを受けて貰わなければいけませんね。彼女を貶めた報いを……皆と同じように。」

血のように紅い布を首元に宛てて、うんと力をこめる。すれば女の裸体はびくっと跳ね上がり、反発するように手を振り回し始める。苦しい、と先程まで甘えていた声はすっかり苦悶の声に満ちていて、脚は投げ出すわ涙を流すわと、兎に角逃れる為に抵抗をし続けた。

「いやっ、助け……!!」

「抵抗しないでくださいよ……。」

ほら、と法正は己の唇を彼女の唇へと押し当て、深く塞ぎ込む。退路を塞がれた呼吸は徐々に彼女の意識を奪い始め、鼻呼吸すら思いつかない位に脳は感覚を失っていく。

「ん……………ふ…………。」

愛おしむように舌を絡ませて、毒を練り込むように熱い唾液を流し込む。が、依然その手元は女の首を絞めたまま、彼女は快楽と苦痛の狭間でたじろぎ、終いには力尽きて宙に浮かせていた手を床に振り落とす。

「愛した男に愛されながら死ぬ……最高でしょう?」

そう満足そうに言いつつも法正は受けた穢れを断つように唾を吐き捨て、濡れた唇を布で何度も拭う。

「ああ、俺は死ぬ程最悪ですけどね。早くななしに会いたいものだ。」

乱れた衣類を整えて、出来たばかりの亡骸を見下ろす。

「さて、その願いを、叶えに行きましょうか。」












「………………………。」

ななしはあの時の法正に言われた言葉を思い出せずにいた。本当の目的は何かと聞いたまでははっきり覚えているが、それ以降はまるで記憶を抜き取られたかのように場面場面が曖昧に雲隠れしている。それどころか、目を覚ました時には己の身体は一糸纏わぬ姿で法正に抱かれていた。下腹部は打たれた激痛に見舞われ、手首足首は布のような物で縛られた痕さえ残っている始末。

思い出そうとすればする程拒否反応が起こり、あの時の事を消し去ろうとしている。

「違う………。」

俺だけを見ていろ。そう彼は言っていたが、どうにも可笑しい話だ。ななしが法正を思う気持ちよりも法正がななしを思う気持ちの方が遥かに上回っているではないか。依存しているのはどっちだ、誰がどう見ても彼だろう。

故に恐らく、法正なしでは生きていけない、その言葉をななしの口から聞きたいのだ。他の事に時間を費す暇も与えないくらいに、彼だけの世界に閉じ込められて。

「分からない……分からないです……法正、さん………。」

そんな回りくどく異端的な事をせずとも、いつだって貴方の事ばかりを考えているのに。それとも、私が貴方から背くような出来事を知らぬ内にやったのですか。

それが無意識にやっている行為だとするのであれば、

「苦悩に頭を悩ませる姿………それすらも愛おしいな。」

そうして元凶はやって来る。愉快さが滲み出るような不規則な靴音に、ななしの神経は限界にまで張り詰めらされた。

「嫌………そんな愛、間違ってます。」

「この世に正しいも間違いもあるものか。」

「いえ、そんな回りくどいやり方をせずとも、私は貴方を十分に愛しています。一体何が不服だというのですか。」

「その眼が俺以外を映している事だ。その声が俺以外に発している事だ。……貴女の全てが愛おしいんです、全て振り向いて欲しい。」

「…………………。」

「その為ならば、誰かを利用してでも手に入れる………俺だけを望んで愛してくれるのであれば……な。」

ここまで異常な執着させるきっかけは何だというのだ。他に目を向けているのが気に食わないだとか、誰かと話している事が妬ましいとか、よもや常人が考える領域を遥かに超えてしまっている。…が、何を言った所でさらさら意見を変える気はないのだろう。自分に関わるあらゆる物事には徹底的に執着するとは聞いていたが、これは幾ら何でも度が過ぎている。

「いいですか法正さん。幾ら恋人同士とはいえ、貴方の我儘ばかりを聞く事は出来ません。私も一人の人間として生きている……意思を持つ限り、貴方だけに依存すると言うのは不可能なんです。」

「…………。」

「確かに女性といる法正さんには……正直凄く嫉妬もしました。私がいるのにどうして他の人といるのかと。でも、わざと彼女達に近付いて、好きなのを良い事に利用するのは幾ら何でも酷いです。」

言葉を紡ぐ度、彼の顔色はみるみる険しくなり、終いには

「聞きたくない。」

と、不快感を見せる鋭い目つきで言い放った。さすがに応えたか、ななしはあともう少し畳み掛ければ諦めてくれる……そう思っていたのだが。

「ああ、ご存知でしたか。地下に一つ空いている部屋があるのを。」

「………それが、どうかしたのですか。」



それを、聞いてはいけなかった。





「俺しか頼れないように、生涯貴女を閉じ込めるんですよ。」



「…………!」

寒気、否、悪寒。望むもの、頼れるものを無理矢理一つに絞る強行手段。

「すればその視界には誰も映らないし、誰にも見られる事もない。ましてや声も聞かれない……いつだって俺だけが知る事が出来るんですよ。」

「やめ、て………聞きたくない……。」

「今更俺を嫌いになっても無駄です。何処へ逃げたとしても、必ず捕まえてやる………。」

手を広げ、低く喉を鳴らす法正。吸い込まれそうな、そんな深い笑みは恐ろしく美しい。

ああ、あの時と同じように、私の視界は全て奪われた。
















「んっ…………あぁっ……!」

「そうだ……もっといい声で啼いてください。俺の鼓膜を劈くような、愛しい金切り声を。」

ぐちゅ、と中を弄る指が厭らしい。肉壁を抉る様に溢れる液を掻き出しては妖しく一舐め。ななしの身体は拘束されていないものの、法正という一つの凶器だけで彼女の全てを支配してしまった。

「や………嫌……っ……。」

「嫌なものか。こんなに濡らしておいて嫌な訳がない。本当は快感的で堪らないのでしょう……?」

「……他の人を抱いたその手で………っ。」

「ああ、やっぱりその事気になります?……安心しろ、散々弄ってはいるが、孕ませるのはななしだけですから。」

指だけで奥へ貫く痛みは尋常ではない。声にならない声で訴えはするが、当の本人は冷ややかに見下ろすのみで止める気は更々ないようだ。

泣いても喚いても誰も来ないこの空間では、自分の力で脱出を試みなければ限りなく不可能に近い。しかし満身創痍なるこの四肢では微動だに動かす事も難しい。彼の許しを貰うまでは、恐らく一生この中で彼の言いなりになるしかない。

紅い花弁を散らせた全身、所々に付けられた歯型、未だに癒えずも尚新たに加えられてゆく。

「どうすれば……許してもらえるんですか………。」

そんな問には満更でも無い様子。

「許し、ねぇ………そんな物は別に求めていませんよ。俺の側に貴女がいればそれでいいんです。」

「分かりません………っ……そんなの、私には………ああっ。」

ずん、と中に捩じ込まれた熱く雄々しき魔羅、息をする暇も与えぬ勢いにななしは酷くえづいた。

「笑え……ななし………。」

名を呼んでは乱れた髪を掻き上げて男は鋭い歯を見せつける。浅黒く逞しい肉体は白く柔い肌と密着し、狭間でぬるりと汗を滲ませた。

怖い、怖い、助けて、こんな人を愛せる自信、私には…。

「あっ…………ん……っ…!」

「………っは…………。」

混ざり合う鈍い音が威嚇する恐怖を揉み消す。支配されてしまいそうな優しい愛撫と激しく腰をぶつける律動で脳は撹乱し、抵抗の意を示していた脳髄は徐々に蝕まれた。

胸の飾りを執拗に舐め取られ、抉じ開けられた太腿の裏に口付けては深紅の花を咲かせて。



そんな霞みゆく視界の中で、ななしは必死に手を伸ばした。


その男の首を絞めるように。

「……………っ…………目を覚まして………!」

「………ななし……………。」

渾身の力で指を曲げるが、快楽に服従してしまったこの身体では彼を縊り殺す事は不可能である。否、狂った意思が正常になってくれればそれでいい。そんな身を焦がすような思いでななしは法正の首に爪を立てた。

「……………。」

彼の目色が闇に変わった。拒絶された事で絶望に打ちひしがれた……







なんて真っ赤な嘘で、真逆の、愉悦。





「そうだ………その憎悪をも俺の物になればいい……!向けられた感情の全てを俺は悦んで飲み干そう。」


あ、と短い声を漏らした時には、既に身体は快楽に溺れ果てていた。

するり、力が抜けきった手は音も立てずに落ちていき、床に打ち付けて初めて鈍い音を奏でる。それが彼が存分に突き上げたのと同時期、中でどろどろした熱が弾ける感触を身に刻みながら、ななしは涙を流しては喉を詰まらせた。

「…………んっ………。」

「ああ、愛おしいぞ………お前の狂喜に満ちたその禍々しい瞳が………。」

抜かずに奥へと流し込むように何度も挿し込む。入りきらぬ白い液体は踊るように飛び散って、虚ろな顔面にべっとりと降り注ぐ。




ああ、愛する人を間違えた。こんな人に支配される位なら、いっそ、殺された方が楽かもしれない。



そんな甘い囁きが、ななしの乾いた唇を僅かに動かした。

「…………徐庶……………。」

「…………っ…………!!」

困った時にいつも助けてくれる、穏やかな彼の姿を思い浮かべながら微笑んだ。彼とは違って誠実で真っ直ぐな青年であり、もしこの人がいなかったら迷わず徐庶を愛していたであろう。

一歩早ければ、その逞しい手を握り返していたかもしれないのに。

「ごめんな………さい………。」

「ーーーーーー、」

法正の顔が、やっと引き攣った。





(毒が回り切る頃、私は朽ち果てている)