離別せど愛する気持ち此処に在り

どしゃ降りの雨が延々と終わる事無く降り続く中、男と女が荒々しく口論を繰り広げていた。

「なんで………どうして………!」

「聞きたいのはこっちの方だ。お前がまさかそんな女だったとはな。」

「違います……っ……私は貴方を裏切る様な事は何も……!」

「もういい、お前の声を聞くのもうんざりだ……出て行け。」

色白の男が縋る女の手を振り解き踵を返すと、彼女は大粒の涙を雨と共に零しながら崩れ落ちる。泥土に塗れた脚は泥濘んで、立ち上がる事さえ許してくれない。

「嫌……行かないで下さい…公閭様っ!」

女はただ去りゆく背を見送ることしか出来なかった。














それから月日は経ち、彼女……ななしは、一人の小さな赤子とひっそりと遠い町外れの家に住んでいた。

「よしよし。」

指で赤子の頬を撫でると、擽ったそうに笑う。

「この子だけは……何があっても守らないと。」

そう、この赤子、あの時別れを告げた男……賈充との間に出来た子である。婚姻寸前での突然の出来事だった。自分には全く心当たりのない話を唐突に聞かされ、挙句の果てには雨の中追い出される始末。その後、膨らんでいく腹を不安そうに見つめながら、生まれるその瞬間まで彼の事を考え続けていた。



ーー他の男と逢瀬をしていた。

などという根も葉もない噂が運悪く賈充の耳に届いたらしい。誰が言ったか知らないが、そんな事はありもしない話だ。

「…………ね、どうしてだろうね。」

この子に言っても答えなど返ってくるわけもない。だが、どうしても信じられなかった。その場に居合わせた訳でもない筈、どうして他人の言葉だけで信じきってしまったのか。

「そうか……最初から私の事……信じてくれていなかったんだ……。」

単に彼女よりも噂を信じた。それが答えだ。

「それなのに……………今でも彼が忘れられない………。」

完全に信用を失い、あっという間に目色を変えた彼だった。雨のように突き刺さる冷たい言葉、邪険にして突き放す手、どれもが二人を終わらせるに等しい物ばかりなのに、それなのに、忘れる事が出来ない。それだけ愛していたのだ、本当に心から。

「ううん……きっと、彼も今頃他の女性と幸せに暮らしてるよね……私なんか、忘れて……。」

そんな母親の暗い顔色に気付いたのか、赤子は同じように不安そうな顔つきになる。

「………ああ、ごめんね。大丈夫だか……ら。」

よく見ればどことなく彼に似ている目元、未だに忘れられないのは彼と愛した証が今も此処にあるからなのだろうか。

「………………。」

二人だけでも生きていける。ただ、今はそう思うしかなかった。















「ふざけるな………!」

突如、堅い壁が激しくめり込んだ。それを見た男は悲鳴を上げて床を這い蹲るように命からがら逃げ惑う。そんな男を、賈充は冷たく見下ろすと容赦なく足蹴にして骨という骨を瞬く間に粉砕した。

「ぐぁあ!!」

「お前だけではないのだろう……?そいつ等もこの場に引き摺り出せ、さもなくば……。」

めりめりと、髄まで軋む音が木霊して、男はあまりの激痛に目をひん剥く。意識が飛びそうになりながらも必死に首を縦に振り続け、渾身の力で床を這いずった。それを尻目に、賈充は己の拳に流れる血を眺め続ける。

「俺とした事が……盲目になっていたのか……。」

同時に、自分を呪うように掌に黒く鋭い爪を食い込ませて、更に血液を床に垂らした。

「…………ななし…………。」

かつて裏切り者と罵り、捨てた女の名前を口にして。
















「…………あ、そろそろ買わないと。」

溜め込んでいた食材がとうとう切れた。あの場から遠い地とはいえ、あまり町に姿を出したくはないので、少ない回数で出来るだけ多く買うようにしている。もしも、偶然にも何処かで彼に出会したら、その時にどんな顔をすればいいのか分からない。ましてや、誤解したままなら相手は不愉快に顔も見たくもないだろう。

「よし、行きましょ。」

赤子を抱えてななしは家を後にする。外は快晴、散歩するにも丁度いい気候だ。道中咲いている花を数えながら、二人は楽しげに町へと入っていく。

「色んな物見たいけれど、贅沢は出来ないものね。我慢、と。」

外に並ぶきらびやかな飾り物から、芳ばしい香りを漂わせる料理、どれもがななしの心を燻らせる。生きていくだけで精一杯の日々を考えて、余計な物に金を掛けることは出来ないが、慣れぬ目を満足させるには丁度いいかもしれない。

「ほうら、美味しそうな肉まん、が………。」

黒い影が、視界の何処かに入った気がして、ぞくりと背筋が寒くなる。

「まさか……!」

思わず辺りを見回してみるが、それらしい人物は一向に見当たらない。気の所為か、と安堵の息を吐くと、再び歩み始めた。

ーー闇に、男が紛れていると知らずに。






「よし、これで暫くは来なくても大丈夫だね。」

大きな袋を抱えて、満足そうにななしは家路に辿り着く。気が付けばすっかり日も落ち、景色が薄暗くなっているが、なんとか夕餉には間に合った。

が、扉を開けて、中に入ろうとしたその時。

「……………っ………!」

背後からするり、と伸ばされた手に口を塞がれ、無造作に荷物を落とす。叫ぼうにも振り解こうにも男の力が強過ぎて、どうにも成す術がなかったが、代わりに赤子が恐怖に泣き叫び、思わず男は二人を家の中に押し込んだ。間一髪で踏み止まり、二人は倒れずに済むが

「………嫌……なんで………!」

「……………。」

咄嗟に振り返り顔を確かめると、そこには、あの時自分を捨てた男が血相を変えて立ち尽くしていた。

「…………聞け…………ななし…………。」

「まさか…………わざわざ子供を取り上げに………!」

「ななし…!」

「お願い………っ……これ以上私の傍に来ないで下さい………!」

後に後に下がれど、虚しくも壁が逃げ道を阻む。激しく拒み続けると賈充は遂に顔に暗い影を落とし、

「俺が……悪かった………。」

と、弱々しく小さな声を漏らした。

「………………。」

そんな珍しい光景に、ななしも思わず喉を詰まらせる。

「……お前の事になると、俺はどうにも冷静でいられなくなるらしい。それにつけ込んだ奴等が、頻繁にお前に接近して、それを逢瀬していると上手く見せつけられた。」

「………そんな………。」

賈充はその場に膝をつくと、弱るように包帯を巻いた手を見つめて

「………くく………普段のようにしていれば良かったものの。冷静でいられず、裏切ったのは、俺の方だったな………。」

皮肉げに笑うと再び血を滲ませた。

すべてを聞かされた今、ななしはただ呆然とするしかなかった。思い起こせばそんな輩もいたかもしれないが、まさかそんな事になるなんて。

ましてや、この男が、冷酷非道と謳われるこの闇が。

「許せ、とは言わん。だが、誤解されたままでは俺の気が済まんからな。……それに、見た所、その赤子は………。」

すっと目を細め、子の目元を見つめる。ななしも同じように目線を落とせば、泣きじゃくり続ける彼の子。

「………誰の子でもない……公閭様……貴方の………。」

愛しい貴方の子供です。そう言いかけた時、抱き抱える赤子もろとも身体は引き寄せられて視界は塞がれた。

「………ななし…………。」

「………っ………公閭、様………公閭様………っ……!」

今まで堪えていた感情が一気に溢れ出していく。謂れもない罪を突きつけられ、愛する男と引き裂かれたこの何年、寂しいと口にするものの、答える者もいなく、その男以外に答えては欲しくなかった日々。

そんな彼が、漸く真実を知り、こうして捜し出した。いつも表情を変えず、感情を出さない彼が唯一冷静さを失い、怒りに戸惑った瞬間が自分の為だったとは。

「………信じてやれなくて、悪かった。」

「もう、いいんです……私の軽率な行動も一理ありましたから……。」

「……その輩共は、俺の手で屠ったがな。」

「…………公閭様………。」

「許可無くお前に近付いた罪だ……俺の弱味につけ込んだ罪だ……それくらいせねば、己の罪に苛む俺の気が収まらぬ。」

背に回された腕が久しく心地いい。同時に、抱かれたいと思わせる色気と香りが鼻を擽った。そろそろと見上げれば、疲労に満ちた賈充の顔が側にある。

「…………どうした。」

「…………その…………。」

「………ああ、子供か。」

離れようと回した腕を離そうとするが、ななしは首を振ってそれを拒んだ。

「違うんです………あの……何と言えば………。」

「………くく、そうか……そういう事か……。」

温もりですっかり泣き止んで寝てしまった赤子を寝台に寝かすと、賈充は来いと言わんばかりに膝を叩いた。

「………えっと………。」

「口にしなければ分からないか。」

それが何を意味するか、ななしはどうしていいか分からないでいると、賈充は徐に服を脱ぎ出して床へと投げ捨てた。

「こ、公閭様!?」

「くく……したいのだろう?」

服から覗かせる逞しい腕が招く。否定出来ずに恐る恐る足を忍ばせると、彼の腕が伸びてきて、あっという間に至近距離にまで密着した。ぶ厚い服を失った胸板が主張する。

「………側にいられなかった分の溝を、埋めたいです……。」

「………そうだな、存分に償う。」

服をずらして肩を露出させると、そのまま唇を押し付けてその白い肌に赫い印を残す。久しい感触に、ななしも堪らず甘い息を漏らした。

「………くく、もう誘ってるのか。」

「ち……違いま………。」

ちゅ、と二つ目の花を咲かせて今度は彼女の開いた唇の隙間に舌を這わせた。思わず恥じらい身を退くが、させまいと賈充が後頭部を押さえて更に奥へと舌を伸ばす。ぬるり、と生暖かい粘液を絡め取り、暫く口内を犯すように堪能すると、息継ぎをするように唇を離して絡めた液を器用に呑み込んだ。

「………はっ………。」

くらり、と酔うように頬を紅潮させ、涙を浮かべる姿が何とも愛おしく懐かしい。あの時もこんな表情を見せていたな、と呑気な事を考えてるのも束の間、

「公閭、」

と、艶めかしく何度も呼ぶ声。

「………どうやら俺も、焼きが回ったようだ。」

会えなかった日々の責め苦を掻き消すような、許しの呼び声に応えるべく、賈充は再び口付ける。

「んっ………。」

その間、両手で彼女の服を脱がせ、露わになった胸を柔く愛撫していけば肌に吸い付くようだ。

「ななし………。」

彼女と同じように名前を呼んで、ただひたすらに求めた。身体はやっと大人なのに、未だ少女のように恥じらって身じろぐ。

「………あっ。」

気を取られている隙にいとも容易く足を持ち上げられ、濡れそぼつ部分を指でなぞられる。あまりの快感にぞくぞくと身体の内側から身震いを起こし、更に奥から液を溢れさせた。

「気持ちよかったか。」

「………………っ…………。」

「そうか。」

言わずとも顔を見れば分かる。物欲しそうに潤ませる目はほぼ無意識だろう。それでも嫌な気はしない、寧ろ受け入れてくれる事が悦びだ。

賈充は細く長い中指のみを中に入れ、液を混ぜるように掻き立てると、それにすかさず反応してななしは悲鳴に近い嬌声を隠す事無く上げる。しかしそれに気付いた嫌々と首を振って口元を手で押さえ込むが、もっと上げろと言わんばかりに賈充はその邪魔な手を取り払って指の動きを激しくさせた。

「あっ……っ……だ、め……!」

「駄目………か。駄目じゃないだろう……?」

快楽のつぼを一押し。ななしは耳まで赤くしながら身体を痙攣させて快楽を迎えた。

「くく………俺も我慢は苦手でな。」

未だ余韻が残る蜜壺にいきり立つ熱が押し込まれ、その衝撃で再び身体は魚のように跳ね上がる。あっ、と色めき立つ声が賈充の耳元を掠め、白い背筋が粟立った。

「その声が……余計に急かす。」

ぐりぐりと肉壁を弄るように押し付けると、ななしは堪らず賈充の首に腕を回して必死に耐え抜こうと瞼を閉ざした。

すやすやと眠る赤子を他所に、二人は失われていた愛を目覚めさせていく。この子を授かったあの時と同じように、新たな命を宿すように、細い腰を打ち続けて男は唇を弧に描かせた。

「……っ……公閭様……愛してます……!」

「ああ……二度と疑う事はしない……何があっても、ななし、お前を信じる……。だが、俺が一度でも信用を揺らがせたのであれば……。」

快楽に溺れてくらくらと眩暈を起こしながらも、彼女は真っ直ぐと賈充の目を見つめた。闇色の瞳に映し出される己の姿が、一度は失った彼を離さまいと求めている。

「………大丈夫です……私も、貴方を……。」

「………っは………。」

淫靡な音と彼の口から吐かれる吐息が、逐一彼女の感度を向上させ、その締め付けによって賈充の表情を一層歪ませた。余裕な気持ちで攻めていたが、そろそろ危ういと無意識に律動を加速させていく。

「…………今度は……見届けてやろう……お前が、俺の子をこの世に産み落とす瞬間を。」

「あ………っ……。」

頂点に上り詰めた脈は大きく打たれて白濁液は勢い良く彼女の中に放たれた。流れていく熱になんとも言えない思いを巡らせて、息を吸うことも忘れる程に心奪われる。賈充は額に滲んだ汗を拭い、視界にちらつかせる髪を無造作に掻き上げた。

「公閭様………。」

未だ中で蠢く熱を抱いたまま、ななしは賈充の両頬を手で包み込む。汗ばんでいるのにやけに冷たい肌は、熱を孕んだ手の平の温度を少しずつ奪っていく。

「……叶うならば、」

その先を知るように、ななしは口を挟んだ。

「はい………どうか、もう一度、私を……。」

その先を知るように、賈充もまた唇で言葉を塞いだ。
















「名前、決めたのか。」

腕の中で眠る子を静かに見つめながら、賈充は問いかける。

「はい、覚えているかどうか…なんですが、公閭様が以前言ってくれた名前を。」

「………くく、そうか。」

あんな事がありながらも、想っていてくれていたのか。そう思っただけで、愛おしさが込み上げてくる。

「……どうかしましたか?」

「………いや、何も。」

何も、と言っておきながらも身体は素直にななしを抱き締めていた。それに応えるように、彼女も嬉しそうに瞼を閉じた。





(さて、この地ともお別れだが……)

(ああ……もう少し町を見たかったです…)

(……くく、なら今から行くか)




お礼文