『トロくさいやつめ。私がいないと本当にお前は何もできないのだな。』
そう罵詈罵倒したのは鍾会という端正な顔立ちをした少年。そしてそれに反抗するわけでもなく「ごめんね」と屈託ない笑みを見せるのはななしという黒髪の少女。
仲の良い両家の親同士が二人の婚約を認めており、幼いながらも既に将来が約束されている。
英才教育を受けている彼はこの若さで過剰なまでのエリート意識を持っており、おっとりとして穏やかな性格の彼女とは全くの正反対。それ故に優位な立場でいる事が多い彼なのだが、別の意味で言えば、好いているが故にいじめたくなるという心理に近い。
『全く……バレたらとやかく言われるではないか。』
『……士季、私が全部いけないんだから、あなたは怒られなくて済むよ。』
『ええい、うるさい。お前を庇ってやると言ってるんだ。それに私の方が上手く言いくるめる事が出来るからな。素直に従っていろ。』
『そうやってまた……。』
『さっさと行くぞ、見られる前に戻らないといけない。』
今日は有名なオーケストラの鑑賞会。しかしななしは演奏中にトイレに行ったきり帰って来ず、それもその筈、戻る途中で迷子になっていた。幸いにも親は前の座席で自分達は後ろの座席、今抜け出したとしても当分気付かれないだろうと、いち早く彼女が迷ったと察知した鍾会はこっそり抜け出したのだ。
案の定彼女は一人広場の端っこで蹲っていた。
『待って、士季、靴紐が。』
『全く……どこまで鈍くさいんだか……見せろ。』
緩みきった紐を器用に結び直す鍾会。じっとその姿を見つめるななしだが、ふと顔を上げた彼と目が合ってしまい、
『……なんだ、人の顔をジロジロと。』
『………ううん、何でもない。』
とても綺麗な顔してる、そんな事を口にしかけたが、不機嫌そうな顔をしているのでこれ以上損ねないように口を噤んだ。
『ありがとう。』
その時、不意に差し出された手。
『………ほら。』
『え?』
『え?じゃない!こうして手でも繋いでおかないとトロいお前はすぐいなくなるだろうが。』
『う、うん……そうだね……!』
少年とはいえ彼の手は存外逞しく、指を絡ませるなり恥ずかしくなって思わず頬を染めてしまった。
『士季の手、あったかくて、大好き。』
『………っな………い、行くぞ!』
そのまま赤いカーペットの上を二人が走っていく。もうすぐ演奏のフィナーレを迎えるであろうホールへと。
「ななしさん、この書類お願いできますか。」
「分かりました!文鴦さん。」
「ななしさんー!こっちもお願いしますー!」
「夏侯覇さん!今すぐに!」
「ななし、この件すぐに頼めるか。」
「了解です!賈充さん。」
あれから十一年、大人びた彼女は会社で飛び回るように働いていた。性格は根本的には変わらないものの、あの時のような容量の悪さはすっかり抜けて、人一倍行動力が高くなっている。 また持ち前の優しさと明るさから男女共に人気が高く、彼女を嫌う人間は殆どいないに等しかった。
「ななし、終わったら一緒に昼食取らない?」
終わったであろう書類を片手に誘ってきたのは同僚の王元姫。彼女もまた男性からの人気が高いが、社内のムードメーカーである司馬昭と恋仲だと知るなり落胆して嘆く者も少なくなかった。そんな彼女とは幼馴染でもあり、唯一の理解者である。
「いいよ。これ片付けたらすぐに行くね。」
「分かったわ。」
元姫は軽く手を振ってその場を後にする。ななしも早めに終わらせようと意気込むと、そのまま勢い良くペンを走らせた。
「さ、終わり!元姫に連絡しよう。」
携帯を開いて今終わったと短く文字を打つ。すると、外でランチをしようと返事が返ってきた。
「ランチ……あ、確か、最近出来た喫茶店があったよね。」
その名前を挙げれば丁度彼女も行ってみたかったらしく、すぐに行き先は決まったので、鞄を肩にかけながら急いで階段を降りていく。
「ごめんね、待たせて。」
「大丈夫よ、お疲れ様。」
その場所に着くまで二人は最近の出来事について話し合った。どうやら彼女は彼と結婚を考えているらしく、仕事について今後どうするか悩んでいるようだ。
「ところで……ななしはどうなの?」
「え?どうって……。」
「例のあの人よ。幼い頃からの約束だからって未だに婚約はしてるけど、肝心の彼とは全然会っていないんでしょ。」
「………うん、家の事もあってかなり忙しいみたいで、なかなか会えていない、かな。」
事実、鍾会の父親は大企業の社長で、彼は次期社長になる為に幼少の頃から高度な英才教育を受けてきた。最後にあったのは小学校を卒業する時、それ以降は全く違う学校で、成長するにつれていつしかお互いに会う事が難しくなっていた。
ただ今も僅かながら連絡は取り合ってるので、婚約は変わらず継続しているものの、自分が入社してしまった今、その時間すら余計に噛み合わなくなってしまっている。
時々感じる、二人の記憶が曖昧になっていく事、それが怖くて思い出を振り返るのは止めていたのだが……。
「ななしは、それでいいの?」
「………彼の邪魔はしたくないから。何事もなく元気でいれば、私はそれでいいの。」
そうやって笑う彼女は悲しく見えた。これ以上話すのはよそうと、元姫は話題を切り替える。
「そう言えば最近……司馬師部長、ななしに話し掛けるのが多くなっている気がするのは、気のせいかしら。」
「……んー……確かにお互い肉まんが好物というというのを知ってからは、積極的に食事に誘われる事が多くなった気はするけれど……。」
「そう………。」
元姫は薄々勘付いていた。司馬師部長をはじめ、賈充や夏侯覇、文鴦などの先輩達が彼女に気があるという事を。だからこそ、いつ立ち消えになってもおかしくない口約束の婚約より、目の前の僅かでも可能性のある幸せを掴んでほしいと心から思う元姫。幼馴染だからこそ、誰よりもそれを望んでいるのだ。
「着いたわ、とりあえず話は中でゆっくりしましょ。」
「うん、そうだね。」
オープンしたばかりの店内の空気はいつもより新鮮だった。綺麗に磨かれた傷一つない床に、洗いたてのように真っ白なカーテン、壁には小洒落た絵画が飾られて、とても落ち着いた雰囲気である。客もそれなりに入っていて、各々表情を見る限り評判は良さそうだ。
「素敵ね。来て良かったわ。」
「本当に!メニューも美味しそうな物ばかり。」
何を頼もうか、心躍らせながらメニューの文字を目で追っていたその時、
「だから、お前はいつまでも暗愚なんだ。」
背後から聞き覚えのある声が聞こえて、ドクリと鈍く心臓が波打った。幼い頃とまるで似た声質で、思わずその声のする方へと振り返ってしまう。すると、茶髪の青年が不機嫌そうに部下らしき人物を叱責するのが目に飛び込んできた。短い癖毛に長い後ろ髪、そして、絵に描いたように整った顔。
間違いない、あの時から何も変わらない、彼がいる。
「………っ、そんな。」
「……ななし?どうしたの。」
元姫の声でふと我に返った彼女は、慌てて水を飲もうと震える手を伸ばすが、指先が当たってしまい勢いよくコップが倒れてしまう。こぼれた水がスーツを濡らし、腹の部分に深く染み込んでしまった。
「待って、今、ハンカチを。」
「ご、ごめんね……!」
反射的に立ち上がりハンカチで押さえるが、冷たい感触が直に素肌へと伝わっていく。椅子を引き摺った音の所為で一斉にこちらに向けられる視線。
恥ずかしさと緊張で堪らなくなった彼女は、思わず
「お手洗いに、行ってくるね!」
と、逃げ出すようにその場から立ち去った。
「ななし!」
そう叫ぶ元姫だが、その姿が消えた事で現れる男の姿。
「…………あなた、もしかして。」
その者の正体に気付いた元姫が、怪訝そうに口を開く。
「ああ、どこかで見たかと思えば……貴女ですか、どうも。」
彼女からは彼の姿は死角になっていたので、気付くのが遅れてしまったが、その面影はしっかりと覚えていたようだ。叱咤されていた彼の部下もいつの間にかいなくなっている。
「…久しぶりね。確か、最後に会ったのは小学校の頃だったかしら。私も、あの子も。」
「……………もしかして、いるのか、ななしが。」
「生憎、たった今お手洗いに行ってしまったけれども。」
紛れもない、今ななしが一番会いたくてたまらなかった人物が目の前にいる。しかし元姫は鍾会をじっと睨んだ。
「随分と忙しかったみたいね。婚約者と顔合わせする暇もないくらい。」
「かなりハードなスケジュールだったからな。時々メールのやり取りはしていたが。」
「そう、十一年という長い月日の中で、一日たりとも時間がなかったの。」
「………何が言いたい。」
「あなたの中でのななしは、その程度だったって事。」
その言葉を聞くが早いか、鍾会は睨み返すように鋭い眼光を向けた。
「お前に何が分かる!」
「だってそうでしょう。彼女は、会う事ができなくて、それでも邪魔をしたらあなたに悪いからと、寂しい気持ちを隠してずっと我慢していた。あなたを想う一方で、その答えは依然返ってこないままの日々。
だから、婚約という呪縛の所為で、ななしは今も本当の自由すら手に入れられないのよ。」
「………っ……。」
「でも、最近は彼女を慕う人も多いから、もしかするともう他の男性に気持ちが行っているかもしれない。
……私は親友として、彼女の幸せを心から願っているの。それを邪魔するならば、形だけの婚約なんて解消してしまえばいいわ。」
「な……!…………もういい、私は帰る。」
机を叩くように力強く立ち上がると、鍾会は鞄を乱雑に掴んで元姫の横を通り過ぎて行く。
「ねえ。」
「なんだ!まだ何かっ……。」
彼女の呟いた一言で、彼の表情は更に曇る。ギリッと歯を食いしばり、何も言わず店を出た鍾会は携帯を握り締めながら、このもどかしい事態に酷く苛立ちを募らせていた。
「他の男が……だと……?気に入らん。本当に分かっていないのはあいつの方だ。私がどれだけ……。」
言葉の意味を理解している。だからこそ、どうにかしないといけない。
『だけど、本当に彼女を愛しているのなら、ちゃんと想いを告げてあげて。手遅れになる前に。』
その言葉が暫く頭から離れなかった。
「ななし、大丈夫?」
「うん、もう大丈夫。ありがとう。」
帰る頃にはすっかりスーツも乾いていた。
「……………。(士季)」
しかし、それよりも思わぬ場所での久しい邂逅にななしは複雑な気持ちを抱いていた。折角想い人に会えたというのに、互いの気持ちも確かめ合えないまま再び雲隠れ。逃げ出してしまった自分が悪いと思っていながらも、突然すぎる出会いに心の準備が出来ていなかった。
(もう会えないかもしれないのに。)
それどころか、険しい顔をして、本当に忙しそうだった。愛だの恋だのに感けている暇など、これから全てを背負おうとしている人にとっては弊害にすぎないだろう。
なればこそ、かつて親同士が取り決めた事とはいえ、大人になったからには本人達の意思も通る筈。いっそ自ら婚約を破棄して彼を自由にした方がいいのでは、と、そんな然るべき気持ちがこみあげて来る。
「ななし、少しいいか。」
「司馬師部長?はい、大丈夫ですよ。」
徐に肩を叩かれて振り向けば、司馬師がすぐ目の前にいた。変わらず凛とした顔立ち、ただいつもと雰囲気が違うのは気のせいだろうか。そんな疑問を抱きながらも彼女は彼の後を無言でついていく。
人気のない静寂な部屋に辿り着くなり、司馬師は真剣な眼差しで彼女を見つめながら口を開いた。
「大切な話がある。聞いてほしい。」
「大切な話、ですか?」
まさかクビになるとか?そう考えるのも束の間、
「ななし……私は、お前が好きだ。」
彼女の手を取ってプロポーズをする司馬師。
「………っ……え!?」
「ああ……いきなりで驚くのも無理はない……ただ、私はお前とこれからも共に歩んで行きたいと思った。
……その真っ直ぐな心に、いつしか強く惹かれていたのだ。」
思わぬ台詞に彼女の頭は文字通り真っ白になる。 この複雑な心境と状況の中、更に突きつけられた告白という運命の選択。
「で、でも……私は……。」
「知っている。あの男と婚約をしている事は。だが、お前の本当の気持ちはどうなんだ。」
「本当の、気持ち……。」
司馬師部長は鬼のように厳しいが、きちんと正当な評価してくれる。どんな人間であろうとも蔑む事をせず平等に才を見出し、それを上手く引き出せる有能な人物だ。
それだけでなく、プライベートでも見せる優しさと気遣いに何度救われたか……言わば理想の上司、憧れの人である。
だけど、
「………申し訳ありません……まだ、答えは、出せません……。」
「………分かった。返事を、待っている。」
そう告げて去っていく彼の背中をみつめながら、私の心は酷く揺れていた。
「………まさか、次の取引の場所が……これは偶然、なのか……?」
後日、鍾会は必然的とも言える出来事に出くわす。とある重要な件で話し合う為にななしの務める会社に赴く事になったのだ。先日は妨げられて彼女に会う事は叶わなかったが、どうにか会う機会を得てけじめをつけなければならない。
「くそ……。」
心なしか足取りが鉛のように重い。十一年という長い月日の所為か、どんな顔して会えばいいのか、何から話せばいいのか。
一応メールはした方がいいのだろうか……沈思黙考しながら廊下を歩いていたその時だった。
「…………!」
角を曲がってきた女に、不思議と昔の面影が重なった。
「…………?」
ぱちっと目があった瞬間、彼女の表情がみるみる驚きへと変わっていく。そして、無意識に彼女の名前を呼んだ鍾会。
「ななし……!」
「し、士季………?」
「やはり、お前だったんだな……。」
「…………うん、やっぱり、士季だ。久しぶりだね。」
すっかり大人びた彼女に鍾会は思わず言葉を失う。あの時の少女とは更に違う、正に理想の女性像へと変貌を遂げていたのだ。メールのやり取りだけでは姿形まで捉える事が出来なかっただけに、鍾会は酷く戸惑った。
「なかなか会えなかったけど、昔と変わってないね。でも、更にカッコよくなったかも。」
本当は先にその姿を見つけていたのに、私は逃げてしまった。まるで今日、二人は邂逅したかのように。
「………っ、と、当然だろう、輝かしい才能を賜わっている私だからな。」
「元気にしている?ご飯はちゃんと食べれてる?」
「お前は私の母か!当然だ!」
「だって、忙しかったみたいだから……。メールの文面だけじゃ分からないことも沢山あったし。」
「……………!………まぁ、色々あったからな。」
「…………。」
「…………。」
沈黙が、重い。それはお互い感じていた事だった。何を言えばいいのか、懸命に思考を巡らせるが、どうにも上手く表現できない。
「あの……。」
破るように先に口を開いたのはななしの方だった。
「今、時間あるかな……。会って急だけど、大事なお話がしたくて。」
「な、なんだ……急に改めて。」
「私達の事……なんだけどね。」
まさか先にその話を振ってくるとは思わず、思いがけなく身体が怯んでしまった。
「ちょうど私もその話をしたいと思っていた頃だ。随分と長く待たせてしまったが……。」
伏し目がちだった彼女は、ゆっくりと鍾会の瞳を捉えた。
「婚約を、破棄しましょう。」
「……………は?」
我ながら、らしくない上擦った声が出た。こいつは今何と言ったのだ。婚約破棄?
「………待て、どうしてそうなる。」
「私と士季は、今では違う世界を生きている。貴方は会社の未来を支えるとても大事な人……だから、私の事は忘れて、相応しい人と共に生きてほしい。」
何を、勝手な事を、言ってる。本当は寂しいくせに、どうして本人を前にして未だ無理をしている。
「親にはきちんと話しておくね。私の身勝手さで長年の約束を無かったことにするんだから、それ相応の覚悟は出来ている。
昔とは違う。もう庇わなくても、大丈夫だから。」
ふざけるな、折角会えたかと思えば別れるなど。誰が許すものか。
「士……。」
呼ばれる名前をかき消すように、鍾会は激しい勢いで叫んだ。
「何が、忘れろだ……!できる訳ないだろうがっ!確かに私は忙しさの所為にして、十一年間一度もお前に会う事をしなかった……だが、それは……!」
爪が食い込む程の勢いで彼女の肩を強く掴めば、鋭い痛みに反応して綺麗な顔を歪ませる。
「それ、は………。」
ここで見栄やプライドなど、意固地になっている場合ではない。鍾会は息を呑んで、震える声を更に絞った。
「もっと……っ、お前を、守れる男になろうと、私は必死にやるべき事をやってきたからだ……!それなのに、何さっきから勝手な事を言っている……別れるなんて、絶対に許さないからな!」
「………っ………!」
怒鳴った事で怯んだ彼女は、動揺して大きく瞳を揺らす。廊下に響き渡るような声は遠くまで聞こえていただろう。だがそんな事はお構いなしに、鍾会はきつく靴音を鳴らしながら徐々に距離を縮め、
「お前を守れるのは……誰でもない、この私だけだ………。」
あの頃とは違う、背が伸びた彼女を強く抱き締めた。その瞬間、堪えていた感情の糸が切れて、一筋の涙が彼のスーツを濡らす。
「…………ごめんね……士季もずっと苦しんでいたんだね。そんな事とは知らずに、私、酷い事を………。」
「もういい、どうせ行き違いだ。今回ばかりは私も悪かったと……仕方なく認めてやる。
……不安になりながらも、ずっと待ってくれていたんだろう。」
「………ありがとう。」
互いに幸せだった昔日を思い出し、そっと背中に手を添えて静かに瞼を閉した。
「………十一年は、長いな。」
「うん、そうだね。」
「見ない間に、随分と女性らしくなったじゃないか。」
「そ、そうかな。」
「…………綺麗になった。」
「ど、どうしたの急に。」
「うるさい!この私が褒めてやってるんだ、素直に受け取れ!」
「ご、ごめんね……!ふふ、ありがとう、凄く嬉しい。」
いつしか涙は止まっていて、自然と笑みがこぼれてくる。相変わらずトゲのある言葉だが、今はそれすらも愛おしいくらいだ。
「あ、あのね………。」
「なんだ。」
「実は、この前、上司に告白されて。」
「………はぁ!?それで何て答えた!」
「まだ、すぐには答えられないって……。」
「断れ、今すぐに断れ!もう誤解は解けた、それを受ける理由は何一つない!」
一人暴走する鍾会は、離さないと言わんばかりにななしの身体を更に強く抱き締める。
「分かった、分かったから、士季、痛い!」
「ちっ、あいつの言っている事はどうやら本当だったみたいだな……。まあいい、誰だろうとこの私から奪う事は絶対にできないさ。」
ああ、そうだ、続ける鍾会。
「式は近々挙げる、いいな。」
「士季と……式!?」
「ちっとも笑えないね。それに、早い方が他の奴等の悔しがる顔が見れそうだからな。」
「他の……?」
「こっちの話だ。そうとなればさっさとここでの要件を済ませてスケジュールを組まねば。忙しくなるな。」
つらつらと述べる彼について行かれず両腕に抱かれたままのななし。
「忙しく、ないの?」
恐る恐る聞けば、不意に顔を近付けて
「いま優先すべきはお前との未来だ。」
そう言って口付けしたのは、忘れられない思い出。
「良かったわね、ななし。」
更に後日、元姫は彼女から全ての話を聞き、心底安堵した様子で微笑んだ。
「うん、それで、来月頃に式を挙げることになって。急だけど、ずっと望んでいたことだったから……。」
「実は、私達も近々挙げるわ……だから時期は殆ど一緒ね。」
「本当に?元姫のウェディング姿、早く見たいな!」
「ふふ、ななしもね。………それで、あの話は断ったの?」
「……うん。凄く申し訳なかったけれど、やっぱり、私は彼の事だけを考えてここまで来たから。」
「……そう、ここまで長い道のりだったけれど、あなたが選んだ答えだもの。」
カラン、店の扉が開いて、二人の男がこちらに歩み寄って来る。
「よぉ!」
先に元気よく挨拶をしたのは元姫の恋人である司馬昭だった。そして、その後ろでげんなりした表情を浮かべているのは鍾会。
「士季!」
「………どうも。」
「それじゃあ、私達はこれから店に行くから……またね、ななし。」
「うん、話に付き合ってくれてありがとう。楽しみにしているね。」
二人が店を出た事を確認し終えると、鍾会は彼女の前に座る。再び沈黙になるかと思いきや、
「士季、凄く格好いいよ。」
なんて、急に突拍子もない事を言い出すから、鍾会の顔はみるみる紅くなっていく。今にも沸騰してしまいそうな勢いに耐えきれず咄嗟に自分の口元を押さえた。
「開口一番、何を言ってるんだお前は……っ!」
「ふふ、顔を見たら自然に口にしていた。」
「………っ、恥ずかしい奴め……。それより、私達も、行くぞ。その……衣装を、見に……。」
「うん!」
向かう先は言わずもがな。
「トロくさいやつめ。いつまで飾りを選んでいるつもりだ。」
ほとほと呆れ返るのはタキシードを華麗に着こなす鍾会。そして言い返すわけでもなく「ごめんね」と優しく微笑むのは真っ白なウェディングドレスに包まれたななし。
「全く……早くしないと遅れるだろう。」
「士季、こればかりは私がいけないんだから、あなたは怒られなくて済むわ。」
「ええい、お前を庇ってやると言ってるんだ。無論、私の方が上手く言いくるめる事が出来るからな。……素直に従っていればいい。」
「ふふ、そうやってまたあの時のように助けてくれるんだね。」
「前に言っただろう。お前を守れるのはこの私だけだと。」
今日は晴れやかな天候の中での結婚式。ななしはこの時をずっと待ち焦がれていた。しかしリハーサルを終えていざ本番を迎える時間が間近に迫る中、彼女は誤って飾りを壊してしまい、急遽選び直す事態になっていた。
「待って、士季、ネクタイが。」
「………あ、ああ。」
少しばかり曲がったネクタイを直すななし。じっとその姿を見つめる鍾会だが、ふと顔を上げた彼女と目が合ってしまい、
「どうかした?」
「………いや、何でもない。」
綺麗だ、そんな事を口にしかけたが、今言うべき台詞ではないと渋々口を噤んだ。
「はい、もう大丈夫。」
その時、不意に差し出された手。
「………ほら。」
「え?」
「好きだと言っていただろう、私の手が。」
「うん…………!」
彼の手はあの時よりもずっと逞しく、この上ない嬉しさと恥ずかしさで思わず頬を染めてしまった。
「やっぱり……士季の手、温かくて、大好き。」
「なら、絶対に離すものか。この私に一生ついてこい。」
そして赤いカーペットの上を二人が歩いていく。もうすぐ二人の幸せを祝福するであろう世界へと。