「ん……。」
「…………?」
身長に合わせて僅かばかり下へと向けられる視線、その鋭い瞳は、ある意味惚れ薬だと私は思う。不思議な事に彼に他意はなく、気紛れに少しばかり誰かに視線を向けただけで女性は瞬く間に彼に溺れてしまうのだ。勿論、お世辞ではなく頭もルックスも抜群に良い、その所為もあってか言い寄る人も今まで少なくなかった。
そんなななしもまた、その瞳に魅せられてあっという間に恋に落ちたのだが。
「……ずるい。」
「はい?何が狡いんです。」
誰かにその大好きな目を向けるのが。
なんて、馬鹿らしい回答はギリギリの所で呑み込み、敢えてはにかんで誤魔化した。
「………ううん、何でもありません。」
「………………。」
きょろきょろと、特に他意はなくななしの視線は別の方へと向けられる。
しかし、
「…………!」
不運にもその先にいたのは以前彼に目を向けられて一目惚れしたであろう女性の姿だった。偶然ここで出くわしたのか、はたまた尾行してきたのだろうか、それはもう隠す事なく熱情的な視線を寄越していて、同時に私は無性に嫉妬という醜い感情を生み出した。
その盲目的な性格を除けば容姿も十分に美しく、自分の身体と見比べて落胆という二文字が過る程である。正直自分より先に出会っていればお似合いの二人であっただろう。
私から見ればそんな彼は完璧者。だから恋人である以上それは避けられぬ運命と共に、自分の独占したいという勝手な我儘もあったりするのだが、後者だけはやはり好きになれないと、決して束縛感を表沙汰にはしない事を誓っている。
優しい彼を縛る事だけはしたくないから。
そんな淀みが渦巻く頭の思考回路が次第に暴走しだし、何かが切れたようにすくっと立ち上がるななし。
「……どうした、ななし?」
「あの、私、飲み物買ってきますね。」
「それなら俺が。」
「大丈夫です、すぐに戻ってきますから。」
白いレースのスカートを靡かせて、ななしはその場から逃げるように自動販売機を探しに行く。己に対しての罪悪感に苛まれ、その場に仄かな甘い香りを残しながら。
「…………うう、なんて馬鹿な事を。」
今の彼から離れる、その行為が一番いけないと言うのに。自分でも分からないまま戻る事すらも許されず足はどんどんと遠ざかってしまう。その間にあの女性が彼の元へ来てしまったら、そんな事を考えるだけで軽く気が狂いそうだった。
「早く買って、早く戻らなきゃ。」
今更自分から話を切り出しておいて手ぶらで帰る訳にもいかないと、急いで財布を取り出し自動販売機のボタンを何度も押し込んだ。
──何でもいい、適当な飲み物を買って、早く戻らないと。
逸る気持ちを抑えつつ、ガゴンと鈍い音を立てて転がってきた缶を取り出し、無造作に鞄の中に放り込むと来た道を足早に引き返す。小さく息を切らせながら、靴のヒールが石に躓かないように。
「お待たせしました、法正さ───。」
角を曲がったすぐ先で待つ彼の姿を確認し安堵するも束の間、視界に入るその大きな背の後ろで必死に何かを話す女性の姿を見つけて心臓が激しく波を打つ。
やはり予感が当たってしまったようだ。
「嫌です……私、ずっと前から貴方の事を諦められません!」
「………………。」
「それに、あんな人より、私の方がずっと魅力的だと思いません……?」
「………………。」
「あの人には貴方は勿体無い位です。だから……。」
絶対的な自信を醸し出す女性に気圧され、そんな屈辱的な事を言われても身体は一切反撃に動かなかった。それは自分が一番分かっていた事だから。彼に釣り合わない事くらい、結ばれる前から気付いていた事だから。
思えば一方的に恋に落ちる事は簡単な話だった。それなのに、何故彼は数多なる女性の中から私だけを選んだのか。
その瞳に、この自分はどう映っていたのだろうか。
何も言い返す事の出来ない唇はただ小さく震わせて、涙を薄っすら浮かべた大きな瞳は二人から背けるしかない。
彼の返答を聞く前に立ち去ってしまおうか。そんな哀しくも優しい囁きに耳を傾けて操り人形の様に足を後ろに一歩退いたその時だった。
「…………!」
壁に何かぶつかる振動を耳にし、思わず膝がガクンと崩れて立ち止まってしまう。何事かと恐る恐る顔を上げると
「赤の他人に俺の女の謗言を口にする資格はないだろうが。」
拳を壁にめり込ませて、地に這うような憤怒を含む低い声で喋る法正の姿を目の当たりにする。それは背後からでも痛い位に理解出来る、殺意を孕んだ眼光鋭い視線。
自分に向けられている訳でもないのに、何故か全身の震えが止まらない。生まれて初めて彼の裏の本性を知り、怖いとさえ思わずにはいられなかった。
睨みつける法正は淡々と続ける。
「先から黙って聞いていれば、魅力的だと?勿体無いだと?ふざけるな。見も知らぬ、他人同然のお前がアイツの何を知っている?何も知らない愚鈍な女め、その口をもう一度開いてみろ。ああ、そうだ、少しでも開いてみろ。」
その時は、お前を縊り───
「………法正さん!」
これ以上はと、堪らず張り上げたななしの声に瞠目させて振り向く法正。
「ななし……戻ってたのか。」
「………もう、いいですから……私の事は全然平気ですから。その人には何もしないで下さい。お願いします……!」
指先が震えながらも必死に笑みを浮かべて彼の拳を握り締めるななし。これも全て自分が引き起こした出来事であり、何か反論を言う筋合いはないと、懸命に首を横に振り続ける。
生憎周りには人がおらず、漸く冷静さを取り戻した法正は静かに息を整えると
「……………さっさと失せろ!」
「…………っ………!」
そう叫んで怯える女性を命からがら走らせる。彼女が遠くなっていくのを確認するなり、法正の目付きは普段と同じように穏やかさを取り戻し徐に溜息をこぼした。
「………世の中には馬鹿な奴もいたもんですね。こんな風に他人に言い寄られる日が来るとは……。」
「………私が離れたばかりに………こんな………。」
壁に叩き付けた衝撃で少々傷付いた手を撫でると、堪えていた涙をとうとう流して頭を垂れた。
「ああ、何故貴女が謝るんですか。たまたま一人で飲み物を買いに行っただけで、あの女が勝手に付いて来ただけで、別に何もしていないだろう。」
「…………さっきの事。」
「さっき?」
「貴方には釣り合わない………そう言われても、私、何も反論出来ませんでした。
それは自分でも、薄々感じていましたか……ら!?」
語尾が狂ったのは法正が咄嗟に頬を抓った所為である。
「ったく、何を素っ頓狂な………。」
「い、いひゃい………。」
「俺が、何も考えないで、ななしを選んだとでも言いたいのか?」
柔らかい頬はどんどん伸びて、反論の言葉すら掻き消していく。そうして尚潤み続ける瞳は無意識に彼に向けられて、そんな姿に思わず眉を顰める法正。
「………その目だ。」
「……………?」
「その目が、狡いんですよ。」
それは自分が彼に伝えたかった言葉そのもので、驚きのあまりただ目を見張るしかなかった。
「初めて会った時、俺はその瞳に惹かれた。誰よりも純粋で何処までも澄んでいる瞳が、荒んだ俺にはあまりにも眩しくて、同時にななしが欲しいという衝動に駆られたのを思い出す。」
「………………。」
心なしか、遠くを見据える法正の耳がほんのりと紅く染まっているようにも見える。
「………まさか、言っていた狡いと言うのは、その事か?」
こくこくと、喋れない口の代わりに頷くななし。
「………そうか。」
漸く指先が離れるとその箇所にピリピリと熱と痛みが残っていた。まだ彼に触れられているような気がして、摘まれた頬を撫でては気恥ずかしく瞼を閉ざす。
「お互い、あの日からその目に惹かれ合っていたという事だな。」
「…………でも、出来れば………これからずっと、私だけを見て欲しいです………。」
「…………………。」
きょとん、法正は面食らったように目を丸くさせる。今まで押さえ込んでいた束縛感が無意識に漏れてしまい、さすがに今のは不味かったかとななしは否定するように両手を振ってすかさず謝罪した。
「あ、その、今のは……ごめんなさい。」
「…………馬鹿め。」
えっ、と短い言葉を漏らした瞬間、身体は重力を忘れた様にすんなりと引き寄せられ
「もっと自分に自信を持て。思った事は隠さずに、全部俺に吐き出せばいい。」
「……法正、さん……。」
「それに、いつだってななししか見ていない。本気で好きになったのはこの世でたった一人……貴女だけですよ。」
間近に感じていた端正な顔は更に距離を縮めて、ゆっくりと重なり合う唇。いきなり侵入してきた生温い舌で歯列をなぞられ、恥ずかしさに思わずたじろぐななし。逃げる彼女を追うように法正はわざとらしくリップ音を立てながら舌を捩じ込み、その味を嫌という程堪能し尽くした。
離れる際も名残惜しそうに唇を舐めて、息切れした彼女にしてやったり顔で笑みを浮かべる法正。
「ああ、そうだ、そう願うなら、永遠にこの目で貴女だけを束縛してあげますよ。誰にも渡さず、貴女だけを瞳に閉じ込めて、徹底的に愛してやる………。」
「……………やっぱり、ずるい………。」
「……お互い様だろ。」
「…………でも、」
────悪くない。
小さく笑みを作るとななしは逞しい胸元に顔を埋めてその存在を強く確かめた。
(今日……バレンタインデー……すっかり忘れてました……)
(………何か食べに行きますか。恩はその後たっぷり返してもらいますが)