私の彼は冷徹教師

人を寄せ付けない冷淡な瞳、開けたシャツから艶めかしく覗かせる白い肌、鼓膜まで溶かすような色っぽい声、妖しいという言葉が似合うであろう眉目秀麗の教師、その男の名は賈充。彼がこの学校に就任して以来、毎年女生徒からの熱烈な想いが絶えないという。

そんな彼の右手には生徒の出席簿、そして左手の薬指には鈍色に輝く指輪。

『これは約束だ。たった一人の女を愛するという、誓い。』

その薬指にはまっている約束を見る度に、無性に彼に恋焦がれては、心臓が酷く痛いと泣いてしまうのだ。





「………………。」

「ねえ、賈充先生って、やっぱり結婚しているんだよね。」

「………………。」

「ちょっと、ななし、聞いているの。」

「うん、聞いている。そうだね、きっと大切な人がいる……。」

「ああ、やっぱり。数多なる女子からの熱烈なアプローチも尽く躱してるもんね。……でも、あの目……誰も寄せ付けないであろう冷たい瞳、それと酔いしれそうな程の低音ボイス、今も尚めげず諦めない乙女達を見ていると、いやぁ、胸が痛いね。」

友人の紗良はしみじみと語る。

「え?私?私は別に賈充先生のファンじゃないよ。ただ、女子の気持ちを汲み取っては悲痛なる思いをこうしてだね……。」

そういうななしは、どうなのさ。その問いかけに僅かばかり指先が震えたが、何とか冷静さを装いポーカーフェイスを貫く。

「………………私は、別に興味ないよ。」

「なんと!イケメン好きのななしが興味を示さないなんて。」

「いつ誰がイケメン好きって言ったの………それ、人違いでしょ。」

「そうだっけ、ごめんごめん、私の勘違いか。」

なんて冗談めいた話をしていると何処からともなく女子の黄色い声が一斉に上がった。その方角に目をやらずとも狂騒だけで分かる、教室に入ってくる一人の男性教師、誰なのかは言わずもがな。


「賈充先生、明日の休み空いてますか!」

「先生、今日の放課後……!」

「……やれやれ。」

当の本人は取りに来たであろう資料を眺めつつ溜息を吐く。それすら彼女達はクールだとポジティブに考え更に黄色い声が上がる始末だ。恐るべし恋は盲目乙女軍団とも言えよう。

「いいからお前ら次の授業にさっさと行け。」

「えー先生ともう少しいたい!」

「俺は別にいたくない。」

「そんな冷たい所もいいよねえ。ますます惚れちゃう!」

「……生憎だが、俺は生徒と関係を持つ気はない。」

賈充はついに痺れを切らして自分から席を立ち上がり教室を出て行ってしまった。恐らくチャイムが鳴る直前まで何処かでふらつくのだろう。

「あ、私、教科書持ってこなきゃじゃん………ななしは?」

「………っ、そうだった、私も教科書持ってこなきゃ。」

話題を変えるように手を叩いた紗良に言われて気付き、自分も彼女につられて渋々廊下に出る事に。

「(……やっぱり、引っかかる。)」

同時にふと感じた何か、不意に顔を上げると先生の姿が目の前でばっちり入ってしまった。

「…………。」

「あ、先生どうも!今日もいい天気ですねえ。」

特に気にしない紗良は先生と軽く挨拶を交わし、そのまま通り過ぎていく。

その場に置いてけぼりを食らった自分はというと、

「……………。」

別にどうというわけではないが、何処か気まずくなったななしは申し訳程度に頭を下げて急いでロッカーの方へ足を運んだ。

「………はぁ。」

先程の光景が頭に焼き付いて離れない。

「ねぇ、次って何だっけ……。」

「へ?次は現代文でしょ、いつもやってるのに何、急にどうしちゃったの。」

紗良はケラケラと笑いながら私の背中を痛い程叩く。ああ、我ながら何を考えているのやら、小さくため息をついて何冊か教科書を取り出した。




「……………。」

現代文を教えるお爺さん、いや、老教師の話は眠くなる一方で、ついには俯せて眠りについてしまう。紗良は相変わらず隣の友達とスマホを弄りながらゲームについて語っているようだが、今は便乗するよりも惰眠を貪る方が優先的だ。それに、この範囲の予習なら既に済ませてあるし、いざ名指しされても困る事はないだろう。

そうして微睡むこと小一時間、授業終了のチャイムが鳴り終わりようやく放課後が訪れる。

「うー……面倒くさい。」

役割になっていた日直の日誌をだらだら書いて教室を出る。気が付けば日も暮れそうな時刻まで迫っていた。

「ああ、もう誰もいなくなってる……。」

欠伸を噛み殺しながら廊下を歩いていると不意に女の人の声がした。この人気のない状況な為かソレがやけに気になり、そろりと音を立てずにその場で立ち止まった。

「先生、さっきのお話OKですか?」

「…何の話だ。」

どうやら放課後デートしたいと言っていた女の子が再び彼の元へ訪れていたようだ。

「放課後の話、一緒にデートしたいっていう……。」

「………断る、道草しないでとっとと帰れ。」

若干の苛立ちを滲ませてその子を睨めば案の定怯んでしまうが、すかさず彼の腕を掴んで離さまいとする。

「嫌です、私、賈充先生が好きですから。」

「くく…………不純な恋愛に手を染めるつもりか?やめておけ、お前にはまだ早い。」

「………っ、子供扱いしないで下さい!私だって、本気で先生を好きになったんです!」

カツン、靴音で床を鳴らすと同時に、賈充は彼女の顎を指で持ち上げた。そして、左薬指にはめられた指輪を徐に見せて、

「…………これが見えるか。俺は、ある女と約束をしている。」

「………………!」

「だから例えどんなに好かれようと、お前の想いには一生応える事が出来ない。」

冷たく、淡々と、賈充はハッキリと、彼女を拒絶した。

「………………っ………!」

当然の如く彼女はなりふり構わず声を震わせて泣きじゃくる姿を晒すことになってしまった。
分かっていながらも、泣いて、泣いて、それでもただ黙って冷めた目で見下ろす賈充は、それ以上何も口にする事はなく、遂に息苦しくなった彼女はその場から逃げるように走ってしまう。

「………………。」

とんでもない修羅場を見てしまった。

「(でも、早くこの日誌を届けないと。)」

皮肉にもこの日誌の確認担当は彼であった事を思い出す。彼に届けなければ、この学校から帰る事は許されないのだ。

「(でも、あんな状況の直後に現れるなんて、不自然にも程がある。)」

だからといって彷徨いている時間もない。

「…………どうしよう。」






「そんな所で盗み聞きとは良い趣味だな、ななし?」






「…………………!?」

突如として背後から囁かれた低い声。手に持っていた日誌はストンと床に落ち、全身が一瞬にして石のように強張る。そんな姿を見てくつくつと笑う賈充は、落ちた日誌を拾うと中身をパラパラと捲り始めた。

「……………ほう、日誌を持ってきたのか。隠れていないでさっさと渡せば良かったものを。」

「…………あんな場面を見せられて、出来る訳ないじゃないですか。」

「くく………嫉妬か?」

首を僅かに傾げては興味深そうに目を眇めて喉を鳴らす賈充。

「……………先生…………。」

袖を捲った彼の手首から指先までを嘱目しては、ななしは気まずそうに鞄を握り締めて、

「やっぱり、先生の言う通り、これも不純な恋愛なんですか………?」

その中身から小さなネックレスを取り出した。その鎖の先に繋がっているのは、賈充と同じく銀色の指輪。

「何の変哲もない女でありながら……何故、どうして学生である私を選んだんですか。何故、不純だと否定する恋愛に敢えて手を染めたのですか。」

幾多もの問いかけにも動じず耳を傾け、それを沈着冷静に見つめるなり、賈充は再び靴音を鳴らしながら歩み寄った。

「ななし。」

「………は、い。」

ゆらり、そこに居る筈なのに、未だその実態を掴めない姿に、冷たい汗が頬を伝う。

気が付けばその距離は互いの息が掛かる程度にまで迫っていた。長い睫毛の隙間から覗かせる冥い色の瞳に目を逸らすことが出来ず、なすがまま彼の捉える行為を許してしまう。

綺麗に整えていた薄い唇は口角を吊り上げて、

「そうだ、不純だ。これは、俺とお前の間に出来た、不純で最も禁忌な恋だ。」

全てを肯定するように、さぞ嬉しそうに賈充は答えた。

「なら、私は……!」

「だから、何だ。不安になるのか。不純故に、いずれ捨てられてしまうのが、禁忌故に、いずれお前を裏切ってしまう事が。」

「だって、何もかも矛盾してるじゃないですか……貴方の言っている事とやっている事、全部が…………。」

「………そうだ、矛盾している。そして、そんな矛盾を受け入れた。

奇しくも俺は、生徒であるお前を愛してしまったのだからな。」

ネックレスごと手が攫われると器用に鎖から指輪を外し、ななしの左薬指に有無言わずはめ込んだ。それを見るなり満足そうに目を細める賈充。

「な、にを………!」

「そうだ………そんな無垢なななしを穢したいとさえ思う自分がいる………。それはお前だから、唯一俺を魅了した女だからこそ……例え禁忌に触れてでも、何処までも堕ちても良いとさえ思った。

この指輪をはめ続けるのは歪んだ愛故に、決して、他の輩共では満たされないが故に………。」

「……………。」

「いつの日か、約束しただろう。たった一人の女を愛すると。」

いつの間にか腰に回されていた冷たい腕が彼の元に一層引き寄せようと強く這いずり、細い指先が彼女の神経を隈無くなぞりあげて全てを支配しようとする。

ーーーこの粛然たる世界は最早、禁断の愛に触れた二人だけの物。



「ななし………そんな俺が、嫌か………?」

「…………………!」

優しい声色に思わず涙が込み上げそうになるななし。するりと絡まる指から伝わる熱が余計に答えを催促させていく。

愛してしまったが故に、行く先が怖かった。だが、もし彼の言う言葉が本当ならば、私の選ぶ答えはもう決まっている。

「賈充先生………私は………貴方の為に、踏み入れても良いんですか……。」

「ああ………構わない………それが俺の何よりの願いなのだから。」

互いの指輪が擦れて小さな金属音を奏でる。あと一歩触れれば合わさるであろう彼の唇は、来いと言わんばかりに誘っていた。

「先生………。」




が、




「んー、部活疲れたねー。」

「ホント、泥まみれ!帰って早くシャワー浴びたいよ。」


「………………!」


それも虚しく、部活帰りの生徒の声がこちらに近付いた為、顔を真っ赤にしたななしの身体は咄嗟に賈充から距離を取ってしまう。

「……くく、敏感な奴め。」

「ふ、普通の反応です………!だって、他の生徒にこの事を知られたら………!」

慌てて鞄を引っ掴むが一歩間に合わず、こちら側に歩み寄る生徒達が一斉に驚きの顔を見せた。

「あれ、賈充先生………と、ななし?」

「あ………紗良…………。」

なんだなんだと言わんばかりに好奇心で二人に迫り寄る紗良。

まさかここで部活終わりの友人と鉢合わせるとは。

「というか………すごい珍しいね……賈充先生が生徒と一緒にいるなんて………。」

「あ、確かに………もしかして、先生ー………。」

怪しむ仕草を見せる二人に慌ててななしは手を振り、ひたすら弁解に走る。

「違うから!私はこの日誌を届けに来ただけで、先生とはそういうのじゃないか………ら………。」

違和感に気が付くも既に遅し、目の前でキラキラと光る指輪が二人の前で公になってしまう。

「……………………。」

「……………………。」

「あの、急に沈黙されると…………。」

その沈黙を破るように賈充が口元を押さえて笑い出した。

「くく………可笑しい奴だ。本当に、可笑しい奴。」

しかも、押さえた手は分かりやすいように左手。

「……っ、あ!指輪お揃いじゃん!やっぱり隠してたのか!」

「あー!ごめんなさい!」

どうして教えてくれなかったと言わんばかりにななしに食いかかる紗良。そんな姿を悠々と傍観する賈充はもう一人の部活仲間にひっそりと耳打ちする。

「今日見た事はお前達の中だけに閉まっておけ。…………勿論、タダでとは言わん。」

「あー、先生、私達の事を物で釣ろうとしていませんか。そんな事しなくても絶対に言いませんよ、だってそれを聞いた女子達の今後の反応が怖いですし。」

学校生活の平和を守る為なら何だってしますよ。ニカッと彼女は笑うと紗良に便乗してななしのちょっかいに加わった。

「………………ふ、生徒を甘く見ていたか。」

夕日が完全に沈むその時まで、ななしは散々二人から尋問されていたそうな。









「はぁ……やっと解放された………。」

「くく………運動部はスタミナ切れというものを知らんようだな。」

二人の邪魔をしてはいけない、そんな配慮をした二人はそのまま帰宅。残されたななしはというと、

「………すみません、車で送ってもらって。」

「構わん。俺が決めた事だ。」

真っ黒な車を走らせる賈充の横顔をチラチラと覗き込みながら、自分の手の中で光り輝く指輪を気にしていた。

「学校では外さんとな。」

「…………はい、いつも通り、ネックレスにして持ち歩きます。」

その後もぽつりぽつりと他愛ない会話を交わしながら、気が付けば家の前で車が停まる。

「先生、ありがとうございます。」

ハンドルから手を離した賈充は、徐にななしの頬に指を滑らせて、

「ななし、こっち向け。」

言われるがままにななしは彼の表情を伺う。すると黙ったまま指先は淡い桃色の唇に触れて、

「……………ん……………。」

誰にも見られないスモークガラスの中、ななしと賈充は唇を重ね合った。誰も邪魔される事のない、本当に二人だけの空間で交わされる熱い吐息。

「せん、せ………。」

「………公閭でいい。」

「公閭さ………んっ………。」

名を呼ぼうとした唇を塞ぐように勢い良く甘噛みされ、熱い舌がゆるりと絡まり合う。それは今まで愛しあう事が出来なかった分の触れ合いで、歯止めが利かなくなった彼はそのまま両手で彼女の両耳辺りを塞ぎ、深く口付けを施す。

「……ん、……ふ……。」

「………くく………やっと、お前を………。」

存分に愛せる、そう低く囁かれた言葉にななしは背筋を震わせ、ひたすらにその愛を気が済むまで受け続けていた。

















「賈充先生おはようございます!」

「ああ、おはよう。」

「今日は………。」

相変わらず女子達は騒がしいが、相変わらず賈充の塩対応も続いている。そんな光景をななしは何度も見てきたが、あの日以来複雑な気持ちを抱く事はなくなっていた。

「………ふう。」

頬杖を突きながら自分の左薬指を眺める。勿論そこには何もはめられてはいないが、それでも自分の中では指輪の感触が今も残っている。

「あらら、愛しの彼氏が女子軍団に囲まれていて嫉妬ですか。」

「紗良……その事は表にしない約束……。」

「………あはは、だってななしの目ったら、さっきから先生の姿ばかり追いかけているし。」

それは初耳だ、如何せん無意識である。

「まぁ、分からなくないよ。でも、こればっかりは仕方ない。先生と生徒の恋愛は絶対秘密事項だし。」

「…………それに敢えて染まる先生って………相当な覚悟だよね。」

「………うん、だからこそ、ななしの事が本気で好きなんだと思う。じゃなきゃ結婚もしていないのに左薬指に指輪なんて付けないよ。」

「……………そっか…………そうだよね。」

ああ、漸く覚悟が決まった。そんな気持ちを悟ったのか紗良は問い掛ける。

「…………行ってくる?」

「………うん、行ってくる。ありがとうね、紗良。」

「勿論、だって友達じゃない。人の恋路を邪魔する奴はどんどん投げ飛ばしちゃえ!」

ガツッと決めポーズを決める彼女に強く頷くと、未だ生徒が群がる彼の元へと歩み出して、

「賈充先生。」

彼女の声が聞こえた途端、周囲に鬱陶しがる賈充の表情が一変する。それは先程の不快に顰めた顔付きとは違い、待っていましたと言わんばかりに満足気な笑み。

「………どうした。」

その先の言葉を知っていながら、彼は静かに問い掛ける。


「…………私、」


その言葉に対して密かにご満悦になったのは、言うまでもない。








(………秘めた恋というのは、なかなか難しいものだな………なぁ、ななし?)

(…………うう…………)

(まさか、あんな理由で見事気付かれずに俺を呼び出すとは………よもや生前は優れた策士だったのか?)

(あ、アレしか方法がなかったんです………!ああ、思い出すだけで恥ずかしい………)