素顔を見せて

「むう。」

雑誌に凝視して低い声で唸ったのは、口元を鮮やかな布で隠した男。それに気付いたななしは洗濯物を畳みながら首を傾げた。

「どうしたんですか吉継さん?」

「…………いや。」

と、こちらに目を向けたと思いきや、再び雑誌に目を戻す吉継。

「………気になりますよ、そんなに眉間にシワを寄せていたら。」

己の眉間に指をさして苦笑いするななし。

「……気付かなかった。」

「雑誌に何か書いてあったんですか?」

すると、吉継はバサッとページを見開いてこちらに見せた。そこに書かれていたのは、海やプールの特集。水着に着替えた男女が浜辺や室内でボールや浮き輪など持って楽しく遊んでいる写真が堂々と飾られている。

「俺は、こういう水遊びを行った事がなくてだな。」

「吉継さん、一度も海とかプールに行った事がないんですか……?」

「ああ、ただの一度も泳いだ事がない。………故にだ、少し気になってな、行きたいとは思っているのだが……何分、夏はこの通り苦手な質だ。」

スッと隠れる口元に人差し指を持って行き、何処か憂うように目を伏せる吉継。そんな姿にななしもいたたまれない気持ちになり

「………行きましょう。」

「………ななし………?」

「海は、人が多くて色々大変だったりしますが、室内用プールでしたら、私も何かとフォロー出来ます。ですから………この夏に一つ、生まれて初めての思い出を作りましょうよ!」

「………………。」

嬉しそうに笑うななしに、吉継は瞬きする事を忘れてひたすら彼女の瞳を見つめた。

「…………こんな俺でも、お前はいいのか。」

「こんな俺って、一体どんな貴方を想像していると思ってるんですか。生憎、私はいつだって優しくて格好いい吉継さんしか想像していませんから。」

決して笑みを崩さず、むしろそんな不安をも笑い飛ばす彼女に吉継の心も救われた気がして、同じく小さな笑みをこぼした。










「うん、今日はとてもプール日和。………けど、吉継さん、まだかな。」

どうやらななしが先だったようで、そこにはまだ吉継の姿は見当たらない。基本、家から水着を着込んでいなければ女の方が遅いのだが、なにより吉継はそう言う事は初体験、故に着替えるのが遅くなっているのかもしれない。

「……………………。」

子供達がはしゃいで揺れる水面を見つめながら、準備運動に軽く屈伸をする。すると、視線の端に映る男の姿にななしはほっと安堵の声を漏らした。

「…………吉継さん………。」

「…………おかしいか。」

「…………いえ、とっても、似合ってます!」

そうか、と満更でもない様子で口元を緩ませる吉継。後ろで一つに結ばれた黒髪に程よく逞しい肉体、それに加えて焼けた事のない白い肌が、ななしの気持ちを一層昂らせた。そして普段隠している口元が露わになり、淡く色づいた唇がやけに色気を目立たせる。

「………………。」

「吉継さん?」

「痣…………。」

「え…………?」

「俺といると、痣が、やはり気になるだろう。」

それは吉継の唇付近を所々覆う痣。鬱悶の表情を僅かに覗かせて、手でそれに触れる吉継の姿にななしはいいようのない複雑な感情を覚える。

綺麗な顔をしているのに、それを蝕む痣、だけど。

「あの、吉継さん、手、退けてください。」

彼が退ける前に自ら指を絡ませて唇から遠ざけると、今度は自分の指でそっとなぞって

「おまじないです。」

これでもう気にしないで楽しめますから、とにっこり笑ってそのまま手を繋ぎながらプールの端へと招き寄せる。

「ななし…………?」

「ほら、行きましょう。」

「………………。」

なぞられた箇所に指を宛ててみるも、特に何か変わった事はない。が、吉継の表情は先程より少しばかり穏やかなものだった。

互いの手がどちらともなく離れ、手すりに掴まりながら温水の中へと身体を沈めていく。暖かい体温はあっという間に水に溶けて、温水とは言えひんやりと肌を突き刺すような感触を味わう。

「…………冷たい。」

吉継は思わず唇を結んで前全身を硬直させるが、次第に慣れてきたのか、手足が自由に水を掻き分けれる程にまでになり、嬉しそうにはしゃぐななしの元にまでゆっくりと歩み寄る。

「あ、慣れてきましたか?」

「ふ………なかなか難しいものだな、泳ぐという事は。」

「水に慣れてしまえば大丈夫ですよ、でもいざとなったら私の手を掴んでくださいね。」

そう言って端っこに置かれた無人のビート板に手を伸ばして足をばたつかせるななし。

「…………それは?」

「あ、これはビート板と言って、体を浮かせたり、泳ぐ為の補助にもなるんです。こうして………。」

手を乗せて身体を浮かせると、吉継もビート板を手にとって興味津々に触り始めた。

「…………こうか?」

手を乗せて足をばたつかせれば、僅かにだが前進する身体。

「そうです!あと、もう少しこの足を……。」


そんな事をしながら時間はゆるゆると過ぎていき、気が付けば吉継の身体もすっかり水に馴染んで、ビート板なしでもバタ足が出来るまでに成長していた。

「そうだ。」

「はい?どうかしましたか吉継さん。」

「いや……随分と言い忘れていたのだが、その水着……とても似合っている。」

「…………!」

水に滴りながら色っぽく細められる目にななしは思わず顔を火照らせるが、吉継はそれに気付かないフリして、フッと笑みを形を描いた。

「えっと………その、そうだ!ウォータースライダーしませんか!あの高い所から流れる奴です!」

誤魔化すように吉継の手を引きながらプールから上がると、これも流れだな、という小声が聞こえてきたが、何も言わず高々と聳え立つ場所へと赴く。生憎人が少なく、順番はすぐに回ってきた。

「これで落ちるのか?」

「はい、二人で流れる場合はこのマットにそれぞれ腰を下ろして、後はスタッフの方に押してもらうだけです。あ……一人でも出来ますが……どうしますか?」

そう言うと、吉継は少し悪戯な笑みを浮かべて

「ななしの叫ぶ声を近くで聞いてみたい気もするな。」

「ちょ………私が怖がりって知ってる上で言ってるんですか………!」

「ああ、だから俺をここに連れてきたのだろう?」

「うう………二人でお願いします……。」

スタッフの方に二人用のマットを貰い、定位置に腰を下ろす。ななしは前に、吉継は後ろに、それぞれ色々な思いを抱きながら押されるその瞬間を待った。

『では行きますね!美男美女カップル流れまーす!』

「び、美女って…………わぁ!」

トン、と呆気無く押されたと思えば一緒に流れる水を切り裂くように勢い良く流れていくマット。ぐるりとうねり、先の見えぬコースにななしの顔も一気に引き攣るが、吉継は行く前と何ら変わらぬ涼しい表情を浮かべている。

「いやっ、駄目っ、無理です!」

「ななし、手を上げろ。」

「て、て、手………っ!?」

真後ろで放たれる変わらぬ声色にななしは言われるがまま僅かに手を上げる。すると、するりと腕が伸びてきて、ななしの腰を抱くようにしっかりと輪を作った。

「吉継、さ……!」

「俺がいる、大丈夫だ。」

いつ終わるか分からないスライダーに恐怖を感じながらも、背後で囁きかける声に何処か安心感を覚え、回された腕にしっかりと手を置いた。




「……………終わった…………。」

終盤、激しい波音を立てながら揺れたマット、自分の身体があうやく飛び出しそうになったが、彼のお陰でそれだけは免れた。くたびれた様子ながら伺えば相変わらず澄ました顔で髪を解いている吉継。

「ああ、楽しかったな。」

「うう………確かに楽しかったですが、怖いのが上回ってますよ………。」

「………ふ。」

「………でも、なんだか、今日は色々な吉継さんが見れた気がします。」

うんと背伸びをすると、

「ななし。」

と名前を呼ばれて振り返れば、同時に唇に触れる細い指先。

「おまじない、嬉しかったぞ。」

「………あ…………。」

「お前のお陰で、今日はとても楽しい一日になった。……礼を言う、ありがとう。」

笑みを浮かべた素顔で言われると、余計にななしの心は激しく揺れ動いてしまう。今度は誤魔化しようのないくらいに頬に朱を注ぎ、目を泳がせていると、吉継の指が離れて


「俺からも一つ、おまじない。」


と、優しく互いの唇が重なった。

「………………!」

「さぁ、帰ろう。」

水に濡れた長い髪を梳いて、吉継は嬉しそうに目を細めた。





(あの、私へのおまじないって……)

(ふ……何だろうな……?)

(何となく想像ついたような……!)