見上げた先には

「うう、折角友達と夕食食べる約束していたのに……まさかの残業だなんて………。」

「そうですね……私も、父と約束事がありましたので、無念です。」

と、二人仲良く慰め合いの会話を交わすのはここの社員であるななしと文鴦。折角早く帰れると思って嬉々と先にレストランの予約をしていたのだが、思わぬ仕事が理不尽にも二人のみに入り、泣く泣く電話でキャンセルして今に至る。

時刻は既に8時過ぎ。労働の灯りも少なくなり、半端に眠気も襲う。それでも早く帰って疲れきった身体を寝具に沈めたい、各々がそんな事を考えていた。

「文鴦さんもでしたか……本当に、お互い苦労しますね。」

「はい……ですが、それも後もうひと踏ん張り、頑張りましょう。」

「………確かにくよくよしてる場合じゃないですよね、私も頑張ります!」

疲れた表情を見せるななしに対し文鴦の表情は決して屈しないような力強い笑み。それに励まされ、弱っていた彼女もまた頬を叩いて己を鼓舞し、再び書類とパソコンに向き合った。







ーーやがて、時刻が9時を回った所で、二人は声を上げる。

「やっと片付きました!」

「奇遇ですね、私の方も今終わったところです。」

「文鴦さんもお疲れ様でした。………ふう、今日は一人寂しく家でご飯か……折角楽しみにしていたのに……。」

「………そうですね…………あ、あのーー」

と、鞄に書類を入れている時、文鴦が言葉を詰まらせる。それに気付いたななしは、首を傾げて「どうしたんですか」と問かければ、意を決したかのように頷いて彼女の方に視線を移した。

「良ければ……一緒に帰りませんか。」

「…………!え………。」

「いや、けっして疚しい考えなどは一切ありません……!その、確か降りる駅が同じだったと思って、せめて近くまでもと……こんな夜に女性が一人で帰るのは、危険だ………。」

「文鴦さん………。」

彼が純粋に思いやってくれているのは分かる。何事にも懸命な文鴦だからこそ、ななしもそんな姿に心奪われたのは間違いないのだ。しかし、今はそれを言い出せず、同期という関係を保っているのだが。

故に真面目な表情に、ななしも

「あの、いいですよ!文鴦さんと、一度一緒に帰りたいと思っていました……から。」

「良かった……。」

嬉しそうに目を細めて口元を緩ませる文鴦。それにつられて彼女もまた気恥ずかしそうにはにかんだ。それはまるで学校時代の下校時間に男女が仲良く帰る、そんな甘酸っぱい青春のようで、ななしの心はむしろ躍動していくようだ。

エレベーターを降りて外に出れば人影も少なく、すっかり灯りの少なくなった建物を背にする。文鴦がうんと背伸びをすれば、彼女もまた同じく固まっていた腰を大きく伸ばした。

その大きな身長に思わず圧巻されるが、何処か逞しくもあり、思わず見惚れてしまう。

「文鴦さんって、やっぱり身長高いですね。」

「………はい、それの所為か、なかなか自分に合う服が少なくて、休日は店を回る事が多いんです。それだけじゃありません、電車の宙吊り広告にぶつかる事もしばしば……。」

「え……そうなんですか……!私、身長が低い方なので、高い人が羨ましかったんです……。」

「………そんな、ななしさんはーーー」

と、何かを言いかけたその瞬間、真っ暗な空に一輪の光が大きく開いた。よく見れば橋の下には大勢の人達が浴衣姿で賑わっている。

どうやらこれから花火大会が始まるらしい。今年は夏の風物詩らしい事をしていなかったので、見て行きたいのだが…。

「………良ければ、見ていきますか。」

と、まるでななしの心を読み取ったかのように微笑んでそう言った。

「え……でも……。」

「私の事はどうかお気になさらず……いえ、むしろ、こうして見たい気もするんです。」

生憎この会社に通ずる橋の上は誰もいない、いわば絶好の花火スポットな訳で。しかも自分が想い寄せる人と一緒に見れるという、最高の瞬間なのだ。

ななしは嬉しいような恥ずかしいような、何とも言えぬ、驚いた嬉しい声で「はい」と頷いた。









「わぁ、大きな花火!」

ドンドンと大きな音を立てながら、光のシャワーのように降り注ぐ数多の火の粉。間近のフラッシュに目が眩みそうになりながらも、ななしは嬉々と空に指をさす。


「不思議ですね、今この時だけまるで童心に返った気分です。」

「はい、私もついはしゃいじゃって……なんかすみません……。」

「……いえ、ななしさんが喜んでいる姿、とても愛らしいと思います。」

と、引っ掛かるような台詞に、ななしも思わず目をぱちくりさせて彼を見つめた。

「あ………いえ、今のはその、深い意味では……。」

慌てた文鴦は伏し目がちに言葉を濁らせる。

そんな間にも次々と彩る花火は天高く昇り、人々の沸き立つ歓声がここまで聞こえてきていたが、今の二人にはそんな声の入る隙もない程に沈黙は続く。

「………………。」

「………………。」

「……あの……文鴦、さん。」

「は、はい………。」

「その…………私……………。」


ーーああ、駄目だ。言ってしまったらもう顔合わせが出来なくなるかもしれない。

彼女はあと一歩の所で言葉を飲み込んだ。その、ほんの僅かな勇気が自分にはない。

「やっぱり何でもないです」と笑みを作って再び花火の方角へ目にやろうとしたその時

「ななしさん、私も、貴女に言いたい事が。」

と、凛とした声に思わず視線を戻してしまう。先とは違う、童心に返るような表情から一変、精悍な顔つきでななしの揺らぐ瞳を真っ直ぐと受け止めていた。

「私は……自分の気持ちを言い出してしまう事が正直怖いと思っています。ですが、これだけはどうにも止められそうにはない……。」

もうすぐフィナーレであろう、夜空を飾る為の最大級の花火が今打ち上がろうとしている。

高鳴る胸の鼓動の先、光の輪が輝くよりも早く


「貴女の事が、好きだ。」


言い終わると同時に起こる閃光と爆音、視界の隅でも分かるくらいの色鮮やかな花火。まるで自分の心を撃ちぬかれたかのような銃音にさえ聞こえてきた。

キラキラと火の粉が舞い落ちる中、文鴦は続ける。

「ずっと、慕っていました。私は、いつも笑顔で……何事にも一生懸命なななしさんの姿を目にして、心を打たれたんです。……ああ、貴女みたいな素敵な女性と一緒にいられたら、なんて。」

照れくさそうに少し顔を逸らす。

「………すみません、勝手な事を。」

「そ、そんな……事無いです!あの、えっと……私も………。」

好きだ、好きだ、心はそう言っているのに肝心な所で噛み噛みだ。せめてもと、ななしは首を何度も横に振った。

「ななしさん……?」

「………文鴦さんは、凄いです……ますます、ときめいて、しまいました。」

「と、ときめき……。」

「ずっと……想ってましたから……嬉しいんです。嬉しくて、驚きで、ああ……なんて言っていいのかな……。」

顔はどれだけ真っ赤なのか分からないが、集まる熱が体温よりもずっと高いような気がする。

「でも、正直に言いますね……私も、文鴦さんの事が好きーー」


言い終わる前に感じる包まれる温もり。瞬きを繰り返せば、いつの間にか目の前は背の高い彼とスーツに纏う爽やかな香り。

「あ…………。」

「………その言葉、受け止めても……いいだろうか。」

「………はい、私で良ければ。」


まるで二人を祝うように、終わりを飾る花火が彼らを光に包み込んだ。








「おはようございます、文鴦さん。」

互いの想いを告白し合ったその後、文鴦は家まで送ってくれた。そのお礼と言っては何だが、昼の弁当を作っていくという約束をしたので、そわそわしながらもそっと挨拶をする。

「おはようございます、ななしさん。」

見上げるような形で笑みを浮かべれば、文鴦もまた嬉しそうに笑みを返す。そして手に持つ弁当の存在に気付くと、更に喜ばしい顔をして穏やかに口元を緩ませた。

「すみません、忙しい中。」

「いえ!私が文鴦さんの為に作りたかった…です、から。」

文鴦の為に、自ら言ったその言葉につい先日恋人になったんだな、としみじみ思う。惚気けてしまいそうで、うっかり仕事に支障をきたしそうだ。

「…………………。」

「あの………真顔でだんまりされると、不安になるんですが……。」

「……はっ、すまない…!私の為に作ってきてくれた事が、この上なく幸せだと感じてしまい、つい。」

ああ、彼は本当に。

「……こっちが照れてしまいますよ。」


とん、と胸に弁当箱を押し付け、私もです、と付け足した。




(今日は残業なし!文鴦さん、これからご飯食べに行きませんか!)

(いいですよ、ちょうど私も同じ事を考えていました)