第2話


「――とまぁ、こんな感じなんだけど、わかった?」
「…………」
「うん、理解不能って顔をしているね」
 噛み砕いて説明してほしい。
 たぶん、噛み砕かれても理解の範疇を超えているような気もするけど。
「ええと」
 額に手を当てて、ゆっくりと咀嚼する。
 まずはじめに、歴史修正主義者と名乗る犯罪者がいること。彼らが従える時間遡行軍がいること。それと対抗するために、審神者なる者がいること。
 審神者とは、モノに宿る心を、人の姿として顕現させることができる力を持っていること。……私は、その力を持っているということ。
 だから私は、その審神者にならなければいけないとうこと。
 正直に言って、意味がわからない。私をからかっているのだろうか。そう思ったけど、ここまで詳細で、正直に言うと面倒くさい内容の嘘をいちいち考えるだろうか。
 それは、ないような気がした。
 だから、先輩が言ったことは全て本当の話だと思ったうえで、私が出す結論は一つだ。
「お断りします」
「なぜだい?」
「なぜって……」
 まるで、断る方がおかしいとでも言いたげだった。
 二の句が継げない私に、先輩は小さな子どもを窘めるかのように溜息を吐いた。
「残念だけど、君に拒否権はないよ。審神者の数は、決して多いとはいえない。歴史修正主義者、そして時間遡行軍をせん滅させるためには、一人でも多くの審神者が必要なんだ」
「どうして、私なんですか?」
「言っただろう。君にはその力がある。この学校にも一人か二人かは審神者はいるし。それに、若い子の方がより霊力は高いしね」
 嫌だって言いたかった。
 けれど、それを言わせない視線を先輩は向けてくる。目を合わせるのが嫌で、私は先輩から視線を外した。
「混乱しているようだから、話はまた今度にしようか?」
「……何度話をされても、答えは同じです」
「ありがとう。快諾してくれて安心したよ」
「してないですけど……!?」
 なんなんだこの人は。
 何を言っているんだこの人は。
 いい加減頭に来たわけだけど、先輩はどこ吹く風だ。むしろ打てば響くような反応をしたせいか、楽しそうにお腹を押さえて笑っている。
 扉の前でとうせんぼしていなければ、放っておいてさっさと帰るのに。
 申し訳ないけど突き飛ばして帰っちゃおうか。なんて危ないことを考えていると、やっと笑いが収まったのか、先輩は「ごめん、ごめん。からかって」なんて、ちっとも悪いとは思ってなさそうな声音でそう言った。
「ひとまずさ、話だけでも聞いてみない?」
「何度聞かされたって、答えは同じです」
「まぁまぁそう言わず。実際に本丸……彼らが過ごしている場所なんだけど、そこに行って、彼らがどういう存在なのか会って、話を聞いてみない?」
「……それは、刀剣男士にですか?」
「そう」
 ……なぜだろう。私は「嫌だ」と答えることができなかった。
 刀剣男士と会ってみる。
 さっきまで、どう断ろうかということしか頭になかったのに、その提案を出された瞬間、思わず考え込んでしまった。
「その沈黙は『会ってもいい』ってこと?」
「それは……」
 返答に迷う私に、先輩はさっきまで向けてきた意地悪な笑みとは違う、ほんとうに穏やかな笑みを浮かべた。
「拒否権はない……は、嘘だよ。審神者は本丸に残って、戦場には赴かないとはいえ、安全なわけでもないからね。いくら適正があったって、本人が拒否すれば基本的にはならなくてもいい」
 基本的には……に追及を入れたい気もするけど、とりあえず今はその話は聞き流しておく。
 いまだ答えを迷う私は、先輩をじっと見上げた。先輩は、ただ穏やかに笑って私を見返す。
「さて、どうする? さんざん意地の悪い追い詰め方をしちゃったけど、決めるのは君だ」
 それはきっと、刀剣男士たちと会って、話をして、それから審神者になるかどうか決めるのも、私ってことなのだろう。
 一度、会って話をする。審神者になるかどうかは、それから考えてみてもいいのではないだろうか。
「……わかりました。一度会って、話をしたいです」
「そうこなくっちゃ」
 先輩は、嬉しそうに笑って頷いた。
「さすがに今日から行くと遅くなるし、また今度にしようか。今週の日曜日は空いてる?」
「空いてますよ」
「じゃあ、そういうことで」
 そうして、待ち合わせの時間と場所を指定して、今日のところは解散ということになった。先に屋上から出て行く先輩を見送って、小さく溜息を吐く。
 このまま帰る気になれなくて、ふらふらとフェンスに近寄って身体を預けると、またぼんやりと校庭を眺めた。
 さっきの話を反芻してみる。
 歴史修正主義者、時間遡行軍。審神者なる者、そして刀剣男士。
 正直に言うと、まだ分からないことばかりだ。分からないことだらけだけど……。
 刀剣男士……そのひとたちに会えば少しは分かるのだろうか。


 ***


 そして、日曜日。
 指定されたのは、学校の近くの神社だった。今まで一度も来たことはないけど、どうやら結構古い神社らしい。待ち合わせより早い時間に着きそうだけど……まぁ良いか。
 鳥居を抜けて、境内に入る。木々が多く植えられているせいか、少し涼しくて心地がいい。
 別に私服でも良かったと思うけど、なんとなく制服で向かっていた。たぶん、一番無難な気もするから。
 待ち合わせ場所は社務所のすぐそばだ。腕時計を見てみると、やっぱり少し早い。そう思っていたのに、そこにはすでに制服姿の先輩が立っていた。
「……すみません。遅かったですか?」
「気にしないで。この前怒られちゃったから、今日は早く来ただけだよ」
 おどけたように笑っているから、たぶん嫌味で言っているわけではないのだろう。それでもなんとなく気まずく思ってしまう。先輩は、そんな私に気づいたのか、「それがさぁ」と肩を竦めた。
「あの日のことを、僕の刀に言ったらなんて言ったと思う?」
「え……怒られたとか?」
「叱られたんだよ。大げさに溜息まで吐かれて」
「ええと……」
 返答に困る話だ。なぜなら、私もあの時はだいぶ呆れていたから。……あれ? さっき先輩は僕の刀≠ニ言っていた。ということはもしかして、
「先輩も審神者だったんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
 そりゃあ、私にこの話を持ってきたのだから、全く無関係というわけはないか。でも、そうか。先輩も審神者なのか。
「あの……先輩は、どうして審神者になったんですか?」
 過去に赴いて、時間遡行軍と戦うのは刀剣男士。審神者は本丸にいて、戦う必要はない。けど、その本丸も完全に安全な場所というわけでもない。先輩はそう言っていた。
 それなのに、先輩はどうして審神者になったのだろう。だって、先輩も私より一つ年上なだけの、高校生なのに。
「聞いてどうするの?」
「どうって……一つの参考になればと思って」
「ふぅん?」
 先日よりは審神者になることに対して、前向きな問いかけに聞こえたのか、先輩はどこか嬉しそうに笑う。
「残念だけど、僕の場合は君の参考にはならないよ」
「そう、ですか……?」
 それはどういう意味なのだろう? ひょっとしたら、あまり聞かれたくないかもしれない。
「まぁ、それよりも本丸に行こうか。――付いてきて」
「はい」
 そう言って、先を歩く先輩に付いて行く。けど、先輩は境内から出ることはなく、なぜか、境内の奥にある小さな鳥居の、更に奥へと入っていく。
 道は狭く、左右にある木々のせいで、日差しも少なくい。涼しいどころか少し肌寒いくらいだ。
「あの、本丸に行くんですよね? この奥がそうなんですか?」
「違うよ。あそこだと人目に付くしね。もう少し、ひと気のないところに行きたいだけ」
「どうして、ひと気のないところに?」
「本丸はこの時間軸とは別の軸の上にある。過去でもなく、未来でもない、まぁ狭間といったところかな。だから、どこからでも行けるし、どこからも行けない」
「なんだか物語みたいな話ですね」
 正直に言うと、少しわくわくした。
 先輩は、そんな私を見て小さく笑う。
「君、こういう話好きなんだ? ――けどさ、別にどこからだって行けるんだけど、いきなり人が消えたら問題だろ?」
「それは、確かに」
 目の前で歩いていた人が突然消えたとする。想像してみると、それはなかなかのホラーだ。
 だからここに来たのか。境内に人は少なかったし、ここへの道も奥にあったから、今ここまで来る人はたぶんいないだろう。
 少し歩き続けて、一番奥にある古い摂末社に着くと、先輩は振り返った。
「君には、ある本丸の後継の審神者になってもらう。予定だ」
「予定、ですか?」
「審神者になるかどうかは会って話をしてから、なんだろう?」
「……そうですね」
 まさか先輩にそう突っ込まれるとは。そりゃあ、その通りなんだけど、そういう意味で聞いたわけじゃなかったのに。
 それにしても。 
「後継、ですか」
「嫌かい?」
「嫌というか……本来の審神者さんはどうしたんですか?」
 気になったことを聞いてみる。
 だって後継≠ネのだ。最初の、本来の審神者の人がいるはずなのに。私の疑問に、先輩は「あぁ」と頷いた。
「これから行く本丸の審神者は元より身体が弱くてね。つい最近死んだんだ。――まったく、人の子は本当に儚いね」
 まるで自分は人ではないとでも言いたげな物言いだった。それを問おうとして、……やっぱり辞めた。たぶん、聞いても答えてくれないだろう。
 それに、先輩の顔はどことなく悲しそうで、寂しそうで……。むしろ、それ以上深く聞いたらいけないような気がした。
 でも、先輩がそんな顔をしたのは少しだけで、すぐにどこかおどけたような笑みを浮かべる。
「よし、それじゃあ向かうとするか。夕鶴、手を出して」
「あ、はい」
 なぜかナチュラルに名前を呼び捨てにされたのは、もうこの際突っ込まないでおこう。言われたままに右手を出すと、先輩は懐中時計を手渡した。
「これは?」
「本丸とこの時間軸を繋ぐ鍵、みたいなものかな。失くすと行き来できなくなるから、大切にね」
「……はい」
 おそるおそる、左手の指で触ってみる。細かな紋様が刻まれた、綺麗な金色の時計だ。
「綺麗ですね」
「だろう? とりあえず、これから僕の言う通りに動かしてみて」
「はい」
 先輩の指示通りに時計の針を動かす。
「――っ」
 その瞬間、ふわりと身体が浮かんだような気がした。思わず、目を瞑る。
 でも、それは一瞬のことだった。恐る恐る目を開けると、私は見知らぬ場所に立っていた。
 まず目に入ったのは、古い日本家屋の建物だ。それから、玄関へ続く石畳。初めて見るのに、どこか懐かしさを覚えてしまうのは、私が日本人だからなのだろうか。
「ここ、は」
「ここが本丸。刀剣男士たちが暮らしている」
 はじめ、本丸だなんて言われてもいまいちピンとこなかった。時間遡行軍……倒さなくてはいけない敵と戦っているのだから、もっと殺伐しているようなところを想像していた。
 でも、実際は違った。
 ここはとても普通で、どこか安心できるような場所。まるで一つの家のようなところで、刀剣男士たちは暮らしているのだ。