第3話


 なんだか、知らない人の家の庭に迷い込んでしまったみたいだ。落ち着かなくて、きょろきょろと視線をさ迷わせてしまう。
「ほら、行くよ」
 先輩は、そんな私を横目で見て先に歩いて行く。置いて行かれないように、慌てて追いかけた。
 それから、先輩は当たり前のように玄関の引き戸を開けようとして、私は慌てて止めた。
「何で勝手に開けようとしてるんですか」
「だって僕、ここの奴らとも知り合いだし」
「そういう問題じゃないでしょう!」
 この人、少し……というかかなり礼儀が欠如してないだろうか。チャイムを鳴らそうかと呼び鈴を探すけれど、それらしいものはない。
「すみませ」
「おーい」
 ないものは仕方がない。だからと、声を上げようとした私を遮って、先輩は声を掛けながら勝手に引き戸を開けてしまう。開いてしまう。……あれ、私が間違ってるの? さすがに中にまで入ろうとしたのは、服を掴んで引き留めた。
 それから少しして、静かな足音が聞えた。やってきたのは、紫色の髪をした男の人だった。緑色の瞳は、どこか呆れた色をしているような気がする。
「まったく、彼女を連れてこちらに来るなら連絡の一つでも入れたらどうだい?」
「蜂須賀が入れてただろ?」
 普通、こういうときは事前に連絡を入れなくてはいけないのだろうか。いや、入れているだろうけど、たぶん入れたのは先輩じゃない。先輩ところの刀剣男士、なのだろう。呆れた視線向けてみると、先輩はその視線に気付いたのか私を見る。そして、にこりと笑って視線を逸らした。……駄目な人だ。思わず、小さな溜息を吐く。
 土間に入っていく先輩に続いて、私も入る。からからと戸を閉めた。
 それから、男の人を見上げた。目が合って、慌ててぺこりと頭を下げる。そんな私を見て、男の人は穏やかに笑った。
「……初めまして、僕は歌仙兼定。彼から話を聞いているかもしれないけれど、刀剣男士の一振りだ」
「私は、野々原夕鶴です」
 このひとが、刀剣男士。刀に宿った心が人の姿を得たひと。話には聞いていたけど、このひとが本来は刀だなんてまったく見えなかった。だって、本当に人に見えるから。
 この数日、少し刀の書籍を読んできたから、なんとなく思い出す。歌仙兼定は、確か、二代目の兼定が打った刀だった、はず。
 思わずじっと見てしまったけど、あまりじろじろ見るのは失礼だ。あからさますぎないように視線を外そうとする。
 そうしようとして、けれど歌仙さんの表情が気になった。
 なんだか、もの言いたげな表情で私を見ている。……そういえば、前の審神者さんが亡くなって、どれくらい経ったのだろう。もしかしたら、まだそれほど日は経っていないのかもしれない。それなのに、私みたいなのが来たのだ。やっぱり、嫌なんじゃないだろうか。
 最初、そう思ったけど、なんだか違う感じがした。嫌な感じではない。なんていうか、優しげで、寂しげで、それから。
 それから――。
「まったく、彼に突然連れてこられたんじゃないのかい?」
「……え?」
 きょとんと、思わず聞き返してしまう。
 どこか案ずるように尋ねてきた歌仙さんに、私は慌てて首を振った。
「大丈夫です。ちゃんと、私の意志で来たので」
「そうそう。そこまで無理強いはしてないよ」
「いえ、それとこれは別なんで、先輩はいろいろ反省してください」
 誘い方が強引だったこととか、今日みたいに事前に連絡を入れてなかったりとか、いくら知り合いだからとはいえ、他人の家を勝手に開けるところとか。
 先輩のところの刀剣男士のひとたちを、少し同情してしまう。たぶん、連絡を入れてくれたひとは、先輩のこういうところをよく知っているから、先に連絡をしてくれたのかもしれない。
「今日は皆いるのか? あいつとか」
 私の突っ込みを無視するかのように、先輩は話を変えてくる。
「……遠征や出陣はしばらくできないから、今日はそれぞれ内番をしているよ。さすがに、大勢に会うとなると彼女も緊張するだろう」
 なんだか、気を遣わせてしまったみたいだ。申し訳なく思ってしまう。それが顔に出ていたのだろう。歌仙さんは「気にしなくていい」と小さく笑った。
「なあに、ただいつも通りの仕事をしているだけさ」
「そう、ですか?」
 また気を遣わせたかな、と思ってしまう。けど、その気遣いに感謝した。人見知りはあんまりしない方だと思うけど、知らない人が多くいると、さすがに緊張する。
 そんな私と歌仙さんのやりとりを聞いていた先輩は「ふぅん」と小さく相槌を打った。
「てことは、案内はやっぱり君か」
「そういうことになるね」
「よし、それなら後は任せた。歌仙兼定」
「は?」
 なんとなく、私を置いて帰ろうとする素振りを見せる先輩に、歌仙さんは胡乱げに眉を顰めた。
「まさか、この子を置いて帰るのかい?」
「僕がいても仕方ないだろ。それに、説明が苦手な僕より、この本丸の一番の古株の君が説明する方がずっといい。それに、僕も用事があるしね」
「きみねぇ」
 呆れたようにため息を吐く歌仙さんに対し、先輩はどこ吹く風だ。私は、ただただ苦笑を零す。
「大丈夫です。むしろ、先輩がいるといろいろ話が引っ掻き回されそうな気がするから。先に帰っていいですよ」
「……きみは一体この子に何をしたんだい?」
「さて?」
 私のそんな言葉に、歌仙さんは呆れた視線を先輩に向ける。素知らぬ顔をする先輩に、歌仙さんは小さく嘆息した。たぶん、先輩の傍若無人な性格をよく知っているからかもしれない。
 何も知らない私を置いて帰ろうとすることに難色を示していた歌仙さんだったけど、私が『帰っていいですよ』と言い切ってしまったのもあったのか、先輩は本当に先に帰ってしまうようだ。
 だから、元の時代への帰り方だけ、教えてもららう。
「それじゃあ、夕鶴をよろしくね」
 そう言って、先輩は自分が持つ懐中時計使って目の前から姿を消した。……これは確かに、何も知らなければ、けっこう心臓に悪い。私も、気を付けないと。
 なぜだか、さっきまで先輩がいた場所をじっと見てしまう。ついさっき、先輩にあんなことを言ってしまったけど、どうやら、私はまだ緊張は解けていないようだ。小さく深呼吸をして、歌仙さんを見上げた。
 どうしてだろう。歌仙さんは、またさっきと同じ表情をしていた。
 どこか優しげで、寂しげで、それから……。それから、この表情は――、
「それじゃあ、まずはこの本丸を案内しようか」
 歌仙さんはそう言って、中に入るよう促してくれる。少しぼんやりと考えてしまったけど、その声で我に返った。
「あ、はい。お邪魔します……」
 靴を脱いで部屋に上がり、脱いだ靴を端っこに揃えて置く。それから、改めて中を見てみると、部屋は思っていたより広かった。こういう日本家屋の建物の中に入ったのは、初めてのはずなのに、なぜだか、懐かしく思ってしまう。
 ……そうだ、修学旅行で京都に行ったんだっけ。中には入らなかったけど、古い建物は幾つか見た。さっき外からみた本丸がなんだか懐かしい気持ちになったのも、もしかしたらそのせいなのかもしれない。

 歌仙さんが案内してくれたのは、主に審神者になったときに必要になる部屋だ。
 刀を打つための鍛刀場や、時間遡行軍の動きが察知できるという機械がある部屋。そこは、なんだかまるで執務室みたいだと思った。
 それから、離れには道場があるらしい。中には入らなかったけど、何かを打ち合う音が聞こえてきた。竹刀、なのかな?
 他にも、馬小屋や畑もあるらしい。
 なんだか、本当に人間みたいな生活だ。ご飯もふつうに食べるんだなぁ……とそんなことを考えてしまう。
 一通り案内してくれた歌仙さんは、「少し、休憩にしようか」と言って、居間に案内してくれた。広い部屋だった。きっと、ここで皆とご飯を食べるのだろう。
 歌仙さんが出してくれたのは、冷たい濃い緑茶と羊羹だ。羊羹も美味しかったけれど、何より驚いたのは緑茶だ。
「美味しい」
 美味しいの一言で済まされるものじゃなかった。普段飲んでるペットボトルのお茶は、ただお茶の風味がする水なんじゃないかと思えるレベルだ。
 たぶん、私の顔が今日一番の楽しげな表情になっていたのだろう。歌仙さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「いろいろと案内したけれど、分からないことはあるかい?」
「大丈夫です。歌仙さんの説明が、分かりやすかったので」
「まったく。彼は本当にざっくりとしか説明しなかったようだね」
「あはは……。説明、苦手らしいですね」
 休憩がてらに話をする。
 審神者のことについての話もしたけど、 この本丸にいるひとたちのこととか、私のこととか、そういう他愛のない話の方が多かったかもしれない。これじゃあまるで、遊びに来たみたいだ。
 どれくらい話をしただろう。ふと、会話が途切れた。気まずい感じじゃなくて、ただ自然に会話が止まっただけ。
 なんとなく、私は開け放たれた向こうの庭を見た。庭には大きな桜の樹が一本植えられている。……うん、たぶんのあの樹は桜のはず。春になったら、きっと桜が綺麗なんだろうな。
「一つ、確認をしてもいいかい?」
 ふいに、歌仙さんは口を開いた。私は視線を歌仙さんに戻す。
「はい」
「きみは審神者になりたいかい?」
「それは」
 どうしてだろう。数日前の私は「嫌だ」と答えたはずなのに。ここに来て、歌仙さんに会って、なぜだか、悩んでしまう。
 話をして、楽しかったから?
 ううん、それは絶対に違う。いくら楽しくったって、審神者になるということは、彼らと共に戦うということだ。そんなふうに、安易に決めていいものじゃない。
 それなら、どうして?
 わからない。どうして私はすぐに答えを出すことができないのだろう。
 審神者になりたいわけじゃない。でも、なりたくないと答えることもできない。それなら、私は審神者になりたいのだろうか?
「わからない、です」
 こんな曖昧な答えなのに、それでも歌仙さんは黙って頷いた。
「そう簡単に決められることじゃないからね」
「……すみません」
 俯く私の頭を、歌仙さんが撫でてくれた。
 どうしてだろう、今日初めて会った人なのに、嫌だと思わなかった。むしろ、どこか安心感を覚えてしまう。まだ多く話したわけじゃないのに、彼の人柄がそうさせるのだろうか。
「あの、あなたは嫌じゃないんですか?」
「なにがだい?」
「私みたいなのが、後継の審神者で」
 ここにいた、本来の審神者の人はどんな人だったのだろう。
 きっと、優しい人だったんだろうなと思う。だって、ここはとても良いところだ。嫌な雰囲気は全くなくて、安らげる。そんな場所。その審神者さんと、このひとが、ここのひとたちが築いてきたその場所に、私が入ってもいいのだろうか。
「新たな主を迎えることは、主の……あの人の願いだから」
 歌仙さんはとても優しい顔をしていた。亡くなった審神者さんのことを、本当に大切に思っていたのだろう。だから、なおのこと思ってしまう。私は、この本丸の、新たな審神者になってもいいのだろうか。
「あの、本丸って、必ずしも審神者がいないといけないんですか? もし、私が審神者にならなかったら、この場所はどうなるんですか?」
「……」
 歌仙さんはただ小さく笑うだけだった。その顔で、なんとなく想像できてしまう。
 たぶん、いいことにはならないのだろう。そして、それを言わないのは、私に負担を掛けたくないからだ。
 きっと、聞いてしまったら、私が気にしてしまって、断れなくなると思っているのだろう。
 このひとは、私のことを案じてくれている。
 審神者としての力を持つが故に、歴史修正主義者や時間遡行軍との戦いに巻き込まれそうになっている、私のことを。
「あの、私……!」
「こういうことは、感情で決めることじゃないよ」
 読まれている。
 私は、言葉を続けることができなかった。
 歌仙さんの言う通りだ。私は今、感情で決めようとした。この本丸を守りたい。ここで過ごすひとたちの居場所を守りたい。その理由で。
 歴史を守るとか、時間遡行軍と戦うとか、そういう理由じゃなく、ただこの本丸がなくなってしまうかもしれない、そのことが嫌だったから。
「でも、それじゃあ……」
 この本丸は、どうなるのだろう。
 言葉が見つからない私に、ふむ、と歌仙さんは思案する顔をする。そして、
「それじゃあ、こういうのはどうだろう?」
 そう、一つの提案を投げた。