眠らぬお姫様
零side
俺は、前で優姫の隣を歩く美夜を窺った。今は出待ち警備に向かっているのだが、俺の知る限り、美夜が今日一日でつまずいた回数はとっくに二桁になっている。壁に当たりそうになったのも五回くらい。どれも怪我に繋がってはいないが、いつ転んでもおかしくない。
「眠そうだね、美夜」
「……眠いからね」
美夜は夜間部が休みだったり普通科が休みだったりする日に、睡眠不足をまとめて補う。言い換えれば、休みの直前、美夜の睡眠不足はピークに達するのだ。
"こう"なるのはいつもではないが、たまに、美夜の足取りがかなり危なくなる日がある。
「特待生でもさ、居眠りくらい良いんじゃないの?」
「居眠りくらいってお前……」
「零だって寝てるくせにー」
いやまあそうだが。
「私達って寝過ぎなのかな」
「……知るか。眠いから寝るだけだろ」
「二人とも、起こすのが躊躇われるくらい熟睡してるよね」
美夜がそう言って苦笑する。
「睡魔には抗(あらが)えないもん!」
「確かにーーーーっ!」
「おいっ」
階段を下り始めた美夜の体が不自然に傾く。こんな高さから落ちたら洒落にならない。俺は足を踏み外した美夜の腰に腕を回して、素早く脇に抱えた。
「ぅあっ」
軽い。んでもって細い。片腕で荷物よろしく抱えた美夜を見下ろして、はあ、と溜め息を吐いた。心臓に悪い。
「……今日はもう帰れ」
「え?う、ううん、帰らない」
「わー美夜顔真っ赤ー」
「っちょ、だって、この体勢……っ」
抱えた美夜から視線で訴えられ、階段を下りる手前に戻って立たせてやった。……赤面して上目遣いの威力は中々だ。
「あ、ありがと零」
「……もう寮に戻って寝たらどうだ」
「大丈夫だよ、今ので目も覚めたし」
「……寝ろ」
「行く」
「寝ろ」
「行く。仕事だし」
ちゃんと目も開いてるでしょ、と美夜は笑う。今はそうかもしれないが、この調子じゃ見回り中に行き倒れるだろう。
「何でそんなに真面目なんだよ……いいから帰って寝ろ」
「風紀委員業務をすっぽかせないよ」
「仕方ないよ零……美夜は私達とは違うから……」
その真面目さが眩しいとか何とか言いながら、優姫が美夜の肩に手を置いた。別に否定はしないが、だからって倒れられたら身も蓋もない。
じっと深い緑の目を見つめる。睨んでしまっているかもしれないが、美夜は気まずそうに若干苦笑するだけで逸らしはしない。
「……ったく」
俺は頭をかいてまた溜め息を吐いた。優姫が休めと言えば美夜は聞くのかもしれないが……優姫が働くのにうんたらかんたら言いそうだ。想像し易すぎる。
「……俺から離れるなよ」
「あ、はい」
「吸血鬼(あいつら)がうろうろしてる夜の学園で行き倒れなんて、笑えねぇからな……」
ぽすぽす頭を撫でると、美夜は少し目を細めてされるがままになる。……癖になるんだよなこの顔が。普段浮かべてる、完璧な作り笑いとのギャップ。
弾ませていた手を離すと、
「零……それ無意識?」
と優姫が俺と美夜を窺いながら言う。それってなんだ。
「いやあ……まあ、いいんだけどね?なんかこう……」
「はっきりしろ」
「……『俺から離れるな』ってさらっとプロポーズ紛いの事言うなーっと」
「…………」
「黙らないでよ!気にした私が馬鹿みたいじゃないっ」
「それは否定しない……」
「くっ……いいもん私には美夜がいるも……美夜?」
いち早く反応しそうな美夜から返答がなく、優姫は首を傾げて名を呼んだ。意識が違う方向へ向いていたらしい美夜は、はっとしてそれに応える。
「あ、ごめん、聞いてなかった……」
「いやいいけど……零の言う通り今日はもう休んだら?」
「ううん、眠気はないの。ちょっと考え事」
「……このタイミングでか?」
美夜が俺を見上げて目が合うと、美夜は僅かに目元を染めていた。
「……こういう感じなのかなあって」
「何がだ?」
「プロポーズ?」
予想外の言葉に、俺はまじまじと美夜を見つめた。恋愛経験がない上に、恋愛小説やドラマといったものと無縁だったらしい美夜だから、優姫の言葉を流せなかったのかもしれないけど……そういう言い方されると俺まで変な気分になる。嫌とかじゃないけど。
目元を赤くした美夜は、手を握って口元に持っていく。変な事言ってごめん、と小声で居心地悪そうに謝る美夜に、俺は思わず小さく笑った。
「謝る事じゃないだろ」
「そうそう。美夜だって女の子なんだから、そういうのに興味があったって別に変じゃないよ」
そう?と言いつつ見上げてくる美夜の頭にまた手を置いて、今度はやや乱暴に撫でた。結っている髪が乱れたかもしれない。
が、本日二度目の赤面しての上目遣いを食らった俺は、不覚にもぐっときていたもんだから、とりあえず美夜の視界から逃れたかったんだ。優姫が笑いたそうに俺を見てくるので軽く睨んだ。
.
* * *
美夜side
眠い、の一言に尽きる。酷い睡魔は風紀委員業務に支障をきたしている。今まで、どれほど"仕事"が忙しく、生活が不規則となっても、何とか一日五時間は眠るようにしていたけど……風紀委員になってからは、五時間眠れるなんて事は無いに等しい。
「……」
一応見回りなので周囲へ視線を走らせてはいるが、普通科生がいてもすぐに反応出来ない気がする。
斜め前を歩く零が時折振り向いてくる。振り向いて、小さく溜め息を吐く。零の手を煩わせているのは申し訳ないんだけど、でも、守護係の仕事が大事だと分かっているから、休む気もない。
「……美夜は眠くなると無口になるタイプか」
「うん……」
ごめんね零、喋る気力がないの。それに、眠さのせいで何かうっかり口を滑らせる訳にもいかないから。色々と。
歩いているにも関わらず、眠気が飛んでくれない。さっき階段で落ちそうになった時くらいだ、目が覚めたのは。
「……一つ、聞くが」
「うん」
「言いたくないなら答えなくていいから」
「?うん」
私に合わせたゆっくりな歩調のまま、零が振り返った。
「美夜が居眠りをしないのは、真面目だからか」
……うん?
質問の意図を測りかね、私は小首を傾げた。思考の回転が通常より遅いせいもあるのだろうか。零らしくないような質問に思う。零は至って真面目なようだけど。
「……それか、人見知りの延長か」
「あー……」
「美夜は……クラスメイトでさえ警戒してるのか?」
私は少し長く息を吸って、脳に酸素を送り込む。僅かながら睡魔が抑えられた気がする。
「別にそういう訳じゃないんだけど……他人がいる環境で眠れないの」
「……不便な体質だな」
「はは、そうかも」
授業中に眠れたならどれだけいいかと思う。周りが言うように"真面目だから"という理由もあるのかもしれないが、私としては、"眠らない"のではなく"眠れない"だけ。
自分以外の存在がいても眠れる場合もある。"カゾク"が、信じられる者が側にいる時だ。
と、そこまで考えてはたと思い出した。零も同じだったのか、疑問を滲ませて私を見る。
「……美夜、俺の前で寝たろ」
「うん……あれは私もかなり驚いたよ」
「そんだけ疲れてたって事だろ」
「それもあるけど……どっちかって言うと、零と優姫は特別だから」
「……物好きだよな」
「そんな、」
つもりは無いんだけど、と続けたかったのだけど、欠伸が出ので口元を手で覆った。睡魔が退いてくれたのは一瞬だったみたい。涙を拭っていると、零が口の端を上げた。
「ねむ……」
「俺がいても眠れるなら、添い寝でもしてやろうか?」
「うん。……ぅわっ」
急に立ち止まった零に思い切りぶつかる。どうしたの、と驚いた表情で見下ろしてくる零を見上げてーーはっとした。
「っ……ご、めん」
「いや……驚いただけだ」
眠さ故の失言に、私の意思に関わらず赤面してしまう。平謝りすると、零は私の頭を軽く撫でた。
「……ちゃんと休めよ」
「努力する……」
「はあ……」
大袈裟なくらい息を吐く零は、暗い中だったけれど、どういう訳か、ほんの僅かに目元が赤いように見えた。
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