欲しいとは言わないけれど
美夜side
夜間部が休みで風紀委員の仕事が無い日は、時々、理事長が晩ご飯を振舞ってくれる。家族団欒に水をさすのは気が引けるけど、遠慮しなくていいよという言葉に甘え、私も一緒にご飯を頂いている。
そして今日も私は、放課後二時間程眠って、丁度良いくらいの時間に居住区へと向かった。優姫は先に行っているはずなので、一人で歩く。もう学園内で迷子にはならなくなった。
理事長は本当に料理が上手い。私も出来なくはないけれど、あんなに手の込んだ物は難しいと思う。
あ、良い匂いがしてきた。
キッチンに向かって、理事長を手伝おうとしていたのだが、ダイニングの方から聞こえた声に、予定を変更してダイニングに向かう事にした。
「零の馬鹿ッ!」
「…………はぁ」
目に涙を溜めて零を睨むーー迫力は無いけどーー優姫と、呆れ顔でそれを受ける零。
「馬鹿!ばかばかばか!」
「だから俺じゃねぇって」
「嘘だ!私のプリン食べたでしょ!」
「違う。……そんなに食べたかったなら名前でも書いてろ」
「書いてたもん!"ゆっきーの"って!やっぱり零が食べたんじゃん!」
「だから違うって」
ばかばか!と零を罵倒しながら拳を振り回すーー迫力は無いけどーー優姫の頭を零が押さえる。身長に比例して腕の長さも違うので、零が優姫の頭を押さえただけで、優姫の拳は見事に空振っていた。
優姫可愛いなあ。でもそもそも零って、甘い物そんなに好きじゃなかったはず。
部屋の入り口で立ち止まったままの私は、非常に微笑ましいようなその光景を眺める。
「零のバカ!楽しみにしてたのにーっ」
「俺じゃないって」
「零のバカー!」
…………。
拳を振り回す優姫。呆れながらも相手をする零。私の頭に、いつか見た普通科生のカップルの様子が浮かんだ。
『その日は一緒に出掛けられるって言ってたじゃない!』
『俺だってそのつもりだったさ。でも親が、会社の会合で俺を後継ぎとして出席させるって』
『私楽しみにしてたのに……っ。バカ!』
『本当にごめん。次の休みには出掛けような?』
『……絶対よ?』
『ああ』
名門私立校だけあって、デートの中止理由が凄いなあ、と思ってた私の隣で、沙頼がぽつりと零した言葉がある。
『痴話喧嘩ね』
私はいまいちピンと来なかったので、辞書を引いたのだ。"痴話喧嘩"とは、痴話から生じる他愛ない喧嘩で、"痴話"とは、愛し合う者同士が戯れてする会話。単なる恋人同士の喧嘩という使われ方をするらしい。
痴話喧嘩、痴話喧嘩。今の優姫と零みたいな感じだと思った。
「…………」
私は二人に気付かれていないのをいいことに、そっとその場を動く。二人を見ていて湧いた妙な感覚に、あれ、と首を捻る。
優姫と零は別に付き合ってる訳じゃないから、痴話喧嘩にはならないんだろうけど。四年も一緒にいたから、あんな風に喧嘩出来るのかな。
……なんかもやっとする。
「………嫉妬?何に?」
首を傾げながらキッチンに入る。ふりふりのエプロンを付けた理事長に笑顔を向けられた。
「あ、美夜ちゃん!それもう出来てるよー」
「運びますね」
「ありがとう。優姫と錐生くんも呼んでおいで」
「……はーい」
痴話喧嘩もどきが終わっていたら声をかけようと決め、大皿の料理を持ってダイニングへ。控え目に顔を覗かせると、さっきとは違って、優姫がすぐに私に気付いた。
「あ、美夜!聞いてよ、零ってば私のプリン食べちゃったの!」
「食ってない」
「えっと……あ、理事長かもよ?」
皿をテーブルに置きながら優姫に言うと、優姫は声をあげて手を叩いた。
「そっちがあったか!ちょっと追及してくる!」
「んー」
優姫が慌ただしくダイニングを出て行くと、途端訪れる静けさと、不意に消える不快な感覚。何と無く可笑しくて私は小さく笑った。
「何だ?」
「仲良いね」
「…………まあな」
……もやっとしたのが微かに復活する。仲良いのを肯定されたからかな。
「……どうかしたか?」
「いや……」
嫉妬、とは何となく言いにくかった。構ってもらいたいように聞こえてしまうから。
二人の仲の良さへの疎外感か、優姫が無邪気に接する零への嫉妬か、零が構う優姫への嫉妬か。
どれでも何とも言えないなあ。
「……気になる事でもあるなら言えよ」
「ううん、ないよ」
首を左右に振るも、零は眉間に皺を刻む。
「…………」
「…………ちょっと羨ましいなって思いました……」
「羨ましい?」
何がどう羨ましいのかは言わなかった。私自身分かってないから、言い様もなかった。
零が首を傾げるのに、私も首を傾げる。
「どの辺が?」
「どの辺かな」
小さく溜め息をつかれ、何となく苦笑した。呆れ顔の零は、そんな私の頭に手を乗せて弾ませる。
頭を撫でられるのは好きだと思う。自然と力が抜けるのだ。
「……料理、運ぶか」
「あ、そうだった」
私は優姫と零を呼びに来たんだった。初めに運んで来た大皿料理も、粗方冷めてしまっているだろう。
優姫が戻ってこない事を考えると、優姫のプリンを食べたのは理事長で、その事で揉めているのかな。
歩き出した零に続きながら、撫でられていた箇所に手をやった。彼と私とでは手の大きさが違うので、自分の手を乗せると少しの違和感があった。
……あれ?嫉妬のような感情はいつ消えた?
「……美夜?」
「あ、何でもない」
ふと止めてしまった足を動かして零に並ぶ。キッチンまでの距離もあまりないので、我に帰れば、理事長が涙声で謝罪しているのが聞こえてくる。
「零、濡れ衣だったね」
「当然だろ」
見上げて言うと、零はキッチンの方向に鼻で笑った。その様子と、不可解なもやが消えてすっきりした事に私も小さく笑う。
また頭に乗った彼の手は、今度は横髪を梳いてから離れていった。
fin
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