影と月3
〜結里菜side〜
結局私はリゾットを食べた(食わされた)。
錐生は何故かあれから口を開いてくれないが、何だか機嫌が悪そうなのでそっとしておく。
お腹いっぱいだから昼は要らないな。
そう思ってぼんやりと、ソファーに腰掛けている錐生と美夜を見て私は微笑む。
ああしているところを見ると、恋人同士の様だ。錐生は美夜とそういう関係になることを望んでいるけれど、美夜はまだ望んでいない。
あの子はかつての私と同じような“何か”を抱えている。それはあの年で抱えるにはあまりにも大きくて、重くて。私は幾度も押し潰されそうになり、同時に零にバレて嫌われてしまうことに酷く恐れた。
具体的に美夜が何を抱えているかは解らないけど、かつての私と同じ目をしているから私の知る“何か”は分かる。
一度二人きりで話し合うのもいいかもしれない。そうすれば、美夜の重荷も少しは軽くなるかもしれない。
けれど、これは私が関わっていい問題では無いだろう。…少し錐生とは話してしまったが、相手も気付いてはいたみたいだし問題はない筈だ。
取り敢えず、武器は返しておこう。
私は所有している空間から昨夜美夜から預かったケースを取り出し、ロックを解除して開ける。
中から現れたのは、刀。
「あ。」
「限りなく低い可能性を案じて預かってただけだから、これ返すよ。」
ケースごと差し出せば美夜は刀を持ち上げて胸に抱え、私を見つめる。
…やはり、あまり美夜に刀は合わないな。戦ってるイメージが無い。
「もう預かったりしないから、自分で保管してね。」
「待ってください。
…何も、言わないんですね。」
「何も言わないからね、そっちも。」
私の言葉に、少しだけ肩を揺らす美夜。
私はそれに小さく笑い、自分の武器を机に並べていく。
まず一つ目は、金色の大型拳銃―――クイーン・ローズ。
二つ目は、金で装飾された槍―――ムーン・スピア。
三つ目は、アルテミス。
「私も、零同様扱えるんだよ。」
「…こんなに沢山……。」
美夜がムーン・スピアに手を伸ばすが、私はその手を素早く掴んだ。
ビクリと美夜の体が強張り、錐生が瞳を鋭くすると…それを零が制す。
「待て。
…晃咲、不用意にそれに触れない方がいい。ヴァンパイアの因子を少しでも持っていると、拒絶される。」
「あ…すみません。」
私が掴む力を緩めれば美夜は手を下ろし、錐生は零から視線を外した。
まさか、触るとは思わなかった。
私の武器は特別で、普通の対ヴァンパイア武器とは違う。私以外の者が触れれば拒絶するし、ヴァンパイアであれば直ちに触れた部分が灰になるだろう。まぁ、アルテミスは普通の武器だが。
「それ…その刀も、特別なんでしょ?
何か危ない感じだったから触らなかったけど。」
「はい。これは天守月影と言って、私だけが扱える武器なんです。」
「私のも、そんな感じ。意思があるらしくて、私以外の者が触れれば拒むんだ。」
拒む理由が二つ。
一つ目は、強力だから他者の手に渡らぬようにするため。
二つ目は、月光種しか扱えないから。
すると、錐生が私に視線を向ける。
「…親金が違うのか。」
「そうだね、この武器二つを造り出したのは私の両親だと聞いてる。」
「両親は、純血じゃないのか。」
「私が純血じゃないからね。」
「ならアンタは、何だ?」
何、か。
難しい質問をするな、錐生は。
私はヴァンパイアだ。そして、世界を渡る事が出来る月光種。
錐生が憎む獣でありながら、零が愛す女。
大切な存在のためならば、大罪を犯す事もこの手を血に染める事も厭わない。
大切な存在が危機に陥っているのであれば助け、殺されそうであれば…殺そうとしている者を潰す。
大切な存在が傷つく事を嫌い、人は殺さない。けれど、大切な存在に仇なす者が人であれば殺しはしないがそれ相応には痛め付ける。つまり、殺しはしないだけで死よりも苦しい目に遭わせる…ということだ。
それが、私。
「アンタは、まったくヴァンパイアらしくない。」
私は錐生の言葉に、口元に弧を描く。
「ヴァンパイアらしくないのは、昨年まで人間として居たからだろうね…。
だがな、錐生。」
変化した口調。
冷える空気。
私は、誰よりも獣で誰よりも残忍だ。
「私はお前が思っている程、心優しくない。
必要であれば、ヴァンパイアだけでなく人をも傷つけるだろうな。
愛を知らなかったが故に愛を求め愛に溺れ、愛する者に溺れ餓え…執着する。愛する者に危害が加えられれば、加えた者を手に掛けるだろう。
よく言うだろう…? “ヴァンパイアの本能は野蛮で冷酷”だと。
私はソレその物だ。零を求め、零に溺れて餓え執着する。零が、私の全て。」
そう、零が私の全て。
私の世界は零が中心。
「零が居なければ、私は恐らく…笑う事はおろか感情すら忘れてしまっていたかもしれない。」
私はこの人が愛しくて堪らない。
「だから私は、“私”にしてくれたこの人を護り抜き愛し抜く。
たとえ零がハンターに追われる程の事を犯そうとも、私は零を護る。間違っていたとしても私には関係無い、私は零が無事ならそれでいい。」
絶対に失いたくない、傷つけたくない。
「たとえ零が私に愛想を尽かそうとも、私は愛し続け陰ながら護る。」
零を傷つける者には、死よりも恐ろしく苦しい罰を。
「だから私は、誰よりも、」
残酷だ。
そう言おうとした。
だがその前に、零に後頭部に手を回され唇を塞がれる。
柔らかい、感触。
「む、ぅ…!?」
驚いていれば、零は幾度か啄んだ後に下唇を軽く吸い付き、ちゅ…と音を立てて少しだけ顔を離す。
当然、私は硬直している。
「…お前が俺をどれだけ愛しているか、よーく解った。」
至近距離から言われた言葉で硬直から解けた私の頬は、赤く染まった。
「あいっ…!? いや違っ…くないけどいやでもその…っ」
ダメだ、今更ながら物凄く恥ずかしい。
私、何口走ってたんだろう。錐生は私が何か聞いただけなのに。
恥ずかしさで涙が滲んでくる。
私は両膝を抱え、真っ赤になってしまった顔をそこにうずめて動くのをやめた。
恥ずかしすぎて目も合わせられない。
目が合ったら体温が上がって死ぬ、寧ろ今は消えたい。
「〜〜〜〜っ」
「…とまぁ、こんな感じに自滅するのが結里菜だ。」
零はクスリと笑って私の頭を優しく撫でる。
(自滅って言うより零くんがトドメを刺したように思えるけどなぁ…。
ていうか、絶対に零くん楽しんでるよね。)
美夜は私を哀れむ様な視線を向けるも、錐生に至っては呆れた表情。
「…アンタがどういうヤツか、少し解った。
つーか、のろけてただけだろ。」
ごもっともだ。
何か色々野蛮だとか何だとか話したけど、後半の愛してるだとかで打ち消されている。
バカだ私。
「でも、それ程に…結里菜さんにとって零くんは無くてはならない存在なんですよね。大切にしたいと、思える相手なんですよね。」
コクリと頷くと、美夜が笑う。
「結里菜さん、耳まで真っ赤で可愛いですね。
自分で言ったのが恥ずかしかったんですか?」
「ぅ、うるさいっ」
「態と言った訳じゃないんだろ?」
「当然だっ」
「その割りには、よく自滅するよな。」
「それは零が私にッ」
反発しようと、思わず顔を上げてしまった私はその直後にハッとする。
直ぐ様膝にうずめようとするがその前に零が私の顎に手を滑らせてしまい、顔を隠すことが出来ない。
零、絶対に楽しんでる。
顔には出てないけど、目が悪戯気に細められてる。
「俺が…? 俺が何だって?」
「ぅ、ぁ……ぜ、零が…っ」
顔が近くて恥ずかしくて。顔を逸らすことは出来ないからせめて目だけでも逸らそうと試みるが、目も逸らすなよと釘を刺されて結局出来ない。
やっと引いてきた涙が、羞恥で再び滲み出す。体も熱い。
「ぜろ、がっ……そ、の………ぅ〜…。」
「俺が?」
「ぅ、…わた、しに………さっきみたいに不意打ち、で、キス…したり……っ」
零の口角が、持ち上がる。
「したり? 他にも有るような言い方だな。」
「え、ぁ……。」
しまった。
迂闊だった。
零はクツリと喉を鳴らし、で?と続きを促す。
もう、駄目だ。無理。
恥ずかしい。
「ぅ、やっ、もうっ意地悪っ」
私は顎を摘まんでいる零の手をぐいーっと押し戻すのだが、逆に手を掴まれてしまい零の脚へと引き倒される。
一体何をするつもりだ。
「ちょ、もぅっ!」
くすくすと笑う零は本当に楽しそうで。
誰、Sのスイッチ入れたの。
それを見ている美夜達はどうすればいいのか困っていた。
「…結里菜さん…あれもう泣きそうだよね…。」
「……加虐心でも煽る何かがアイツには有るんだろ。」
(好きな女にあんな反応されたら、そりゃ虐めたくもなるだろ。)
「確かに結里菜さんって零くんが絡むと可愛いけど、ちょっと可哀想…。」
そんな会話が二人の間でされているとは知らない私は、仰向けになって必死に抵抗する。
「ちょっとどこ押さえてるのっ!」
「腹。」
「起き上がれない退けてッ」
「断る。」
「断るなッ
〜〜〜っ誰か助けて!」
で、結局誰も助けてくれなかった。
やっと解放されたのは、あれから二十分後。
「………。」
「あの…結里菜さん……?」
「………何。」
(わぁ…拗ねてる。)
「な、何でもないです…。」
アハハ、と乾いた笑みを浮かべた美夜は私が居るソファーから離れる。
触らぬ神に何とやら。
ぶすっ不貞腐れて眉根を寄せた私はクッションを抱えてうずくまり、そのままボスンッとソファーに身を沈める。
何が嬉しくて美夜と錐生の前であんな事をされなければならないのだ。
確かに愛してるだとか口走ってしまったのは私だけれど、あんな風にからかわなくてもいいのに。
それに、人前でキスしたりするのは嫌って言ってあるのに。
「………バカ。」
零のバカ。意地悪。ドS。
…ダメだ、貶そうとしてもこれ以上思いつかない。本人に面と向かって言ってやりたいが、言ったら最後私は立ち直れなくなりそうだ。…色んな意味で。
一つ溜め息をついた私だが、ギ…とソファーが軋む音に上体を起こしてそちらに目を向ける。
そこには、小皿を手にした零が。小皿の上には焼きたてであろうマドレーヌが乗っている。
「…機嫌取りのつもり?」
まだ怒っているのだと知らせるために態と刺々しく言えば零は苦笑して私を抱き寄せ、小皿を差し出した。
強ち間違いではないのだろうが、きっと零は私の機嫌を直すつもりは無い。
なら何故私の好物のマドレーヌを? いつの間に作って?
疑わしげ…訝しげに零を見つめる私は小皿に乗っているマドレーヌの一つを手に取って食べる。
…美味しい。
どうやら私が食べたのはチョコレートの生地にオレンジの皮が入ったヤツのようだ。生地自体はいつもより少し甘いがその分オレンジが爽やかにしてくれているから、私でも全然大丈夫。寧ろ好き。
モグモグと夢中でマドレーヌを食べていると零が私の口元に口付け、ついでと言わんばかりに唇を舐める。
「………、」
「付いてた。」
「…っふ、普通に取れッ」
くそ、油断した。機嫌取りに来たんだろうから何もされないと踏んでいたら、まさかのこの様。
…やっぱり零は侮れない。……侮ってないけど。
思わず口調がキツくなってしまった私を対して気にしていない零は耳元に唇を寄せ、宥める様にして囁く。
「…で、晃咲達を帰さない理由は?」
零の質問に、眉根が寄った。
「帰せないって言った筈だけど。」
「晃咲達は騙されたけど、俺は騙されない。それに元々突き通すつもりのない嘘が俺に通用すると思うな。」
本気で嘘ついてないくせに。
そう零に言われて、視線が膝に落ちる。
そう、私は嘘をついている。
本当は出会った時点で美夜達二人を元の世界に帰すことが出来たのだ。
「帰さない理由が…お前にはあるんだろ? 理由無しにお前が帰りたがってる奴等を帰さないわけがない。」
あぁ、零には全てお見通しなのだろうか。それとも、私が分かりやすいだけか。
ツン、と鼻の奥が痛い。
泣きそうな顔を見られたくない私を分かってくれている零は小皿をテーブルに置き、胸に顔をうずめさせてくれる。
その優しさが、また涙を誘う。
「…違う世界でも、“零”が大切にしてる人と関係を築いてみたかった…。“零”が大切にしてる人なら、気を許しても大丈夫だと思って…。」
全部全部、私の自分勝手な我が儘。皆を私のそれに付き合わせてるだけ。
「…漫画の登場人物じゃない美夜と…仲良くなりたかったの…っ」
早く帰さなきゃって思うけど、それを拒む私が居る。まだもう少し、もう少しだけ一緒に居たいと望んでしまう。
出会いがあれば、別れもある。
頭では解っているけれど、受け入れ難い。
「っ…こんなことなら、早くに帰しとくべきだった…。」
私達から少し離れた所に居る二人に聞こえぬよう声を圧し殺して涙を流す私は静かに泣き、零に縋る。
そんな私を優しく受け止めてくれる零は柔らかく相槌を打って、甘やかしてくれる。
どうしてこの人は、こんなにも自分勝手で我が儘な私を愛してくれるのだろう。
「お前は晃咲達と仲良くなれた事…後悔してるのか?」
「するわけ無い…。」
「ならお前のやった事は間違ってない…、お前のやる事はいつも正しいから大丈夫だ。」
だから、泣くなよ。
そう言って零が頭を優しく叩くから、涙腺がついに決壊して私はしゃくり上げる。
「ふ、ぅっ…ぜろぉ…っ」
「謝るなら一緒に謝ろう…、な…?」
「ごめ、なさ…っ…ごめんなさぃ…っ」
次々と涙を流す私に笑い掛けた零はあやす様に抱き締めて背中を摩り、今頃私達の様子を窺っているであろう美夜と錐生に視線を移した。それから何かを読み取った美夜は錐生に、心配無いよと首を振って未だに泣く私を見る。
私はそれに気付かないふりをし、後ろめたくて零の胸に顔をうずめたまま泣疲れて眠った。
〜零side〜
ただ純粋に、晃咲と良好な関係を築きたかっただけの結里菜。そんなこいつを誰が責められるだろうか。
安らかな寝息を立てる結里菜に頬を緩めつつ大事に抱き抱えていると、不意に影が差す。顔を上げれば、そこにはもう一人の俺…錐生。
「何だ。」
「…話は聞こえた。」
だろうな。結里菜がそれに気付いてたかは知らないけど、ヴァンパイアの聴覚なら聞き取れる音量だったから。
ふぅん、と適当な相槌を打った俺を複雑そうな顔で見る錐生だが、俺は無視。そして晃咲を呼ぶ。
「晃咲、ちょっと。」
「はい。」
何ですか?
パタパタとスリッパを鳴らしながらやって来た晃咲はそう言って首を傾げ、俺の腕の中で眠る結里菜を不思議そうに見つめた。どうやら錐生と違って聞き取れていなかったらしい。
俺は二人を前に、頭を下げた。
「結里菜に代わって謝罪をする。
帰す事が出来ないと嘘をついて悪かった。」
「…え?」
「結里菜は悪気があった訳じゃない。ただ純粋に晃咲…お前と親睦を深めたかっただけなんだ。」
だから、許してほしい。
再び頭を下げた俺を晃咲が困った顔で頭を上げるよう言うが、俺は上げない。
先程結里菜には一緒に謝ろうとは言ったけど結里菜が謝る必要なんて無いんだ。結里菜は悪くない。
「結里菜は過去に色々あった所為で人間不信で、クラスでもまともに話すのは俺と優姫、若葉程度。他の奴等は信用しない。
でもお前は、世界は違えど俺の…いや、俺と一緒に居るから結里菜も気を許して大丈夫だと…仲良くなりたいと思ったんだろう。それにその理由が無くても結里菜は初対面のお前に色々奢ったし、突き放そうとはしなかった。
本当に親睦を深めたくて、嘘をついてまでお前達を引き止めてたんだ。」
「…結里菜さんは何故泣いていたんですか?」
「お前達に嘘をついて引き止めている事に罪悪感を感じてたから。」
俺の言葉に笑んだ晃咲は首をゆるりと横に振り、責められる筈がありませんと俺に告げた。予想通りの反応に僅かながらも安堵しつつ苦笑に近い笑みを浮かべた俺は涙の残っている結里菜の頬を手の甲で拭い、目元をなぞってやる。
するとピクリと動いた瞼がゆっくりと持ち上がり、眠たげにトロンとした瞳が現れた。
「……ぁ、れ…?」
俺、晃咲、錐生の三人に覗き込まれていて状況を呑み込めない結里菜は暫し瞬きを繰り返し、取り敢えず視線だけで俺に状況説明を求める。
そんな結里菜に俺は頭を撫でてやり、何でも無いと小さく笑った。
「…ん……。」
だけど結里菜は納得いかないらしく、短く唸って俺を見つめるが俺が言う筈もなく。また暫くしたら諦めて視線を外した。
別に言ってもいいけど、言ったら眠そうな結里菜が見れなくなるから言わない。
自然と口元が緩む俺を見て錐生が眉根を寄せるが、無視だ。すると何故か結里菜は、あぁ…と呟き眉尻を下げて二人に頭を下げる。
「…ごめんなさい。」
…きっと、気付いたのだろう。
突然頭を下げた結里菜を晃咲はじっと見つめ、ふんわりと笑んだ。
そして、そっと肩を押して顔を上げさせる。
「結里菜さん、私も零も怒っていませんよ。
貴女がした事は確かに謝らなければならなかったのかもしれませんが、私と仲良くしたいと思って下さったのはとても嬉しいです。」
だから、そんな顔しないでください。
そう言った晃咲の横に立つ錐生は結里菜を見下ろし、閉ざしたままだった口を開く。
「…泣くな。」
「っ……泣い、てない…。」
ゆらりゆらりと揺れる結里菜の瞳。
結里菜は泣いていないと言い張るが、泣きそうなのは一目瞭然で。それにフッと笑みを浮かべた錐生が結里菜の頭を一回だけ軽く叩いた。
「説得力皆無。」
「ぅ、煩い。」
図星であったであろう結里菜は拗ねた様にぷいっとそっぽを向き、暫し無言になってから不意に立ち上がる。
その瞳に宿るは、決意。もう、決めたのか。
突如立ち上がった結里菜を不思議そうに見つめていた晃咲と錐生だが、纏う空気を一変させた結里菜に気付いたらしく二人とも口を開く事は無い。ただただ、じっと結里菜な言葉を待つ。
すると、そんな二人を見て結里菜が悲しげに眉尻を少し下げて口を開く。
「…今から、二人を元の世界に帰すよ。」
寂しげな声が、嫌に耳にこびりついた。
晃咲が、この世界の人物だったら良かったのに。…なんて思っても仕方ないのに、思わずにはいられない。
結里菜があまりにも可哀想すぎる。
「…結里菜さん……。」
「本当に、ごめんね。」
迷惑掛けたね。
そう言って微笑む結里菜はどこか痛々しくて。だけど、この選択が正しくて。
俺は何も言えない。何も言えない自分が、悔しい。
すると、そんな結里菜を見てか、表情を曇らせていた晃咲がパッと明るくした。
「結里菜さん、私達まだお二人と一緒にいたいので、帰してもらえるのは明日の夜でもいいですか?」
「え、いや、でも…。」
「…まぁ、美夜もこう言ってる訳だからいいんじゃねーの。」
晃咲と錐生に押されて結里菜は暫し困った顔をし、やがて俺に振り向く。俺を見つめる目は、どうすればいいのと問いたげ。
俺は困っている結里菜の頭を撫でて頷き、途端に先程の晃咲の様に表情を明るくした結里菜が二人に向き直るのを見下ろす。
「じゃあ…明日の夜に、道を開くね。」
…口調が素になっているのに、結里菜は気付いているだろうか。いや、気付いていないだろうな。結里菜がこの口調になる時は、相手を完全に信用した時か自分の気持ちを押さえなくていいと判断した時。
まぁ、一年前の俺にもちょくちょくその口調で接してたけど。
嬉しそうな顔を俺に向ける結里菜。
俺はそれに無意識に微笑み、結里菜を抱き寄せた。
それから一日。
錐生と晃咲は結里菜の力によって開かれた空間を通って元の世界へと帰るため、数少ない荷造りをしていた。荷造りと言っても荷物は全くと言っていい程無いが、強いて言うなら各々の武器と結里菜に持たされた土産だろう。
因みに土産は結里菜が朝から作っていたパウンドケーキだったりする。
「美夜、忘れ物は無いか?」
「無いよ。私が持ってたのは月影ぐらいだし。」
よいしょ。
そう言ってケースを肩に掛けた晃咲。晃咲の刀…月影が入っているケースは結里菜が作り出した物だ。晃咲によると見た目に反して軽いそうだが、構造がどうなっているのかは俺にも解らない。それに対ヴァンパイア武器を収納するケースなら普通のケースではないだろう。
「…そろそろ、開こうか。」
ソファーから立ち上がった結里菜が二人の頷きを確認してから、何も無い筈の宙を指先でなぞった。
するとどうだろう。なぞられたそこからはジワリと闇が滲み出し、やがて大きく口を開ける。
中に広がるのはただ闇ばかり。初めて見るそれに、晃咲と錐生は目を見張った。
「ここは無限にある世界の狭間。ここを通れば、帰れるよ。」
「…狭間って言われても……俺達の世界がどれか分からない。」
「その心配は無いよ、私が手繰り寄せるから。」
少し待ってて。
そう言って結里菜は真っ白な床を作り出してから開かれた空間に入り、闇に手を沈める。ズブリと埋まった手で本当に手繰り寄せているのか、または探っているのか。しかしそれは直ぐに終わった。
結里菜が沈めた手を闇から引き抜かず、ゆっくりと下ろしたのだ。
途端、闇から光が漏れる。
まるで、木漏れ日の様。それは先程の空間を開く時の闇の様にしてジワリと滲んでゆき、やがて真ん丸になった。
その向こうには、見知ったようで見知らぬ世界が。
「はい、繋いだよ。」
「…凄い。こんな簡単に異世界と繋がるなんて…。」
「見たこと無い力だな。」
「うん。」
結里菜の力を目の当たりにして凄いとただ感嘆する晃咲と、物珍しそうに眺める錐生。
結里菜はそんな二人を見て柔らかく微笑み、狭間から出るのと同時に自分の足元までだった白い床を向こうの世界まで繋げる。
「因みに二人が巻き込まれた空間の歪みは自然に発生するモノだから、そのままにしておくよ。」
「え、自然に発生するものなんですか?」
「じゃなかったら世の中トリップものの小説なんて出ないよ。」
それに、歪み自体はその場から移動する事は無いから、そこを通らなければ飛ばされないらしい。ついでに言うと、自然消滅する事もあるとか。
俺も以前言われたな。あれは…丁度一年程前だろうか。
「まぁ、自然に発生してしまったものはどうしようもないからね。処置はそちらに任せるよ。」
「…はい。」
頷いた晃咲に結里菜は柔らかく微笑む。
それを見届けた晃咲と錐生は、空間へと踏み込んだ。
「結里菜さん、零くん…お世話になりました。」
「私の方こそ世話になったね、美夜、錐生。
…この世界は、楽しかった?」
結里菜の問い掛けに晃咲は僅かばかり驚いた顔をし、しかし次の瞬間は先程の結里菜の様に柔らかく微笑む。勿論です、と答えながら。
晃咲の答えに満足そうに頷いた結里菜は隣に並んだ俺の服の裾を二人からは見えぬ様強く握り締め、笑い続ける。
「私も楽しかったよ。
もしまた迷い込んだ時はここにおいで、アンタ達二人なら大歓迎だよ。」
「見知らぬ地に放り出されるのは御免だが…まぁここなら悪くないかもな。
アンタの言う“もしも”が起こった時は頼む。」
「殺気はしまえよ。」
錐生の言葉に一応釘を刺しておけば苦い表情が返ってきた。もう一人の自分の反応ではあるが、思いのほか面白い。だが結里菜からの視線が痛くなるのが落ちだからこれ以上弄るのはやめよう。
苦笑いをしている晃咲は錐生の手を引き、ぺこりと頭を下げた。
「本当にありがとうございました。
いつか、私達の世界に遊びに来て下さいね。」
「…全部の仕事が終わったらお邪魔しようかな。」
ね、零。
話を振られて俺はほぼ反射で頷く。
すると今度は錐生が晃咲の手を引き、踵を返した。どうやらもう行くらしい。
「美夜。」
結里菜の静かな声に晃咲が振り返る。
「どうか、幸せに、」
悔いの無いように生きて。
そう結里菜が言い切る寸前で空間は音も立てずに閉まった。否、結里菜が意図的に閉めた。
部屋に、静寂が訪れる。
空間を閉めた場所に佇む結里菜。そんな結里菜は俺の服の裾から離した手を宙へと伸ばした。
「結里菜…。」
「っ、…ッ」
俺は伸ばされた手を背後から自身のそれを伸ばして握り締め、小さな体を見下ろす。
足元には、幾つもの水滴。
結里菜が泣いているのは一目瞭然で。俺は小さく震える体を優しく抱きこむ。
それに小さな肩が小さく揺れた。
「今この家には俺達二人しか居ない。…何を堪える必要があるんだ。
約束したろ、泣きたい時は泣けって。」
噛み締めているであろう唇をそっと人差し指の背で撫ぜてやれば、少量の血と共に嗚咽が零れ落ちる。
「ぅ、ぁ、あ…っ
っぜ、ろぉ…! ふぅ、ぅっ」
「ん、大丈夫だ…。」
泣きじゃくる結里菜は言う。
何故私の大切なモノは…大切な存在となってしまうモノは、離れてゆくのかと。手放さなければならないのかと。
「大丈夫、俺はここに居るからな。」
大粒の涙を流す結里菜の両腕を俺の首に回させて抱き上げ、自室へと向かう。その間も結里菜は泣きっぱなし。
自室に着いたら俺はベッドに腰掛け、結里菜を正面向かせて膝に乗せ涙を拭ってやる。
「ん、」
「結里菜、お前にはあいつらに会いに行く力がある。
永遠の別れじゃないだろう?」
「…で、も……。」
少しは落ち着いたのだろう。しゃくり上げてはいるものの、嗚咽は治まっている。
結里菜は涙に濡れた瞳で俺を不安げに見下ろして瞬きと共にまた涙を流した。零れ落ちた涙が、俺の頬に落ちる。
「結里菜、解ってるだろ。」
「っ!」
「晃咲は“あっち”の世界の者。俺らは“こっち”の世界の者。
ずっと一緒に居ることは出来ない。」
また一滴、落ちた。
「…わか、てる…わかってるもん…ッ!
だけどッ、…だけど…かなしいの……。」
「ん、よく言い切ったな。」
ポンポンと背中を叩いてやると結里菜は眉根をきつく寄せて俺の方に額を乗せ、小さくまた嗚咽を漏らし始める。
少し言い方がきつかったかもしれないが、こうして感情を吐き出させるのは大切だ。特に結里菜は溜め込む癖があるからな。
「会いたいなら会いに行けばいいから…な?」
「うん…っ」
こうして泣いて、感情を吐き出して、強くなっていけばいいと思う。強くなれなくても、俺が支えるから。
だから、だからせめて、
「俺だけには、」
泣きたい時ぐらい全て委ねて欲しい。
「ぅ、ぜろ…ぜろぉ……っ」
「ん、よしよし。」
それが、俺にとっては凄く嬉しいんだ。迷惑だなんて考えるなよ。
なんて言っても、お前は頷かないんだろうな。
なぁ錐生、晃咲も同じだろう?
だからこそ、そばで支えてやりたくなるんだよな。
これから色んな事が待ち受けてるけど、受け入れろよ。
〜錐生と美夜〜
結里菜が作り出した空間から既に出ていた二人は自分達の黒主学園を前に佇んでいた。
「…美夜。」
「何?」
「……お帰り。」
突然の錐生の言葉にポカンとする美夜。それに対し錐生は少しだけ眉根を寄せる。
だが意味を飲み込めたのか美夜は小さく吹き出し、お帰りと言われた側の言葉を返した。
ただいま、と。
その言葉をもらった錐生も、小さく笑う美夜に釣られて穏やかに笑んだ。
END
↓アトガキ
魅様、大変お待たせしました!
年を跨いでしまって本当にすみませんでした!
なんとお詫びして良いか…。
この度黒白は魅様との相互作品を最後に、閉鎖する事に致しました。
今までお世話になりました、魅様との相互作品を書く事ができてとても楽しかったです!
自分が楽しみすぎて暴走してる部分もあるかもしれませんが、すみません…あ、返品受け付けます!
お持ち帰りも魅様であれば、こんな未熟な文で良ければどうぞ! 泣いて喜びます!(笑)
暇が無くても魅様のサイトにちょくちょくお邪魔させていただいてもよろしいでしょうか…?
今まで本当に、本当にありがとうございました。
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