笑顔の裏に知らぬ顔



時は江戸。薩摩の国の山奥、人里離れたその場所に、人成らざる者達がおりました。彼等は自身を"鬼"と称し、同胞を多く殺めた人間を嫌い、理解ある薩摩の殿の協力の元、静かに暮らしておりました。

薩摩に住まう西の鬼の頭領は、風間千景と言いました。鬼であることに誇りを持ち、恩義有る薩摩に報いる為、彼は鬼の持つ力で、時折薩摩の命で動きます。しかし彼も例に漏れず人間嫌いであるので、いつも不本意ながら、ただ恩義に報いる為だけに動くのです。

そういう訳で、千景は頭領でありながら、里を空けることがあるのです。その間、里を守るのは千景の部下のお役目です。

そしてその部下達には、もう一つ重要なお役目があります。もちろん、里を守るのも十分大切なお役目です。しかし彼等は、頭領を怒らせると様々な事が大変な事になると身に染みて知っているので、"そちら"の方により神経を尖らせているのです。

「お早うございます、千世様。千景様から文が届いておりますよ」
「まあ、お兄様からっ?」

風間千景には、大変可愛がっておられる、美しく聡明な妹君がいらっしゃったのです。ただでさえ貴重な女鬼、しかも純血の女鬼、さらに頭領の妹君となれば、里の宝でありました。千景が留守にしている間、部下達は注意深く妹君を守っているのです。

その妹君――千世も兄である千景を大層慕っており、留守の際には、千世が心配せぬようにと千景が文を送って来ます。旅の様子はもちろんですが、人の世の情勢も無視できない千世の為、世の中の流れもそこには書いてあります。

その立場から里を容易に出られない千世は、千景の文や土産話を楽しみとしているのです。

「あら……?」

今回の文の内容、少々いつもと違っているようです。笑顔で読んでいた千世は、その笑みを更に深め、そそくさと筆と紙を用意しました。


* * * * * * * * * * * *


多くの人で賑わう京の都も、夜は静けさに包まれる。一方で、新選組の屯所はにわかに騒がしかった。険しい面持ちの数人の幹部が、闇に紛れるように屯所を走り出る。

「何か、前にもこんなのあったよね、一君」
「無駄口を叩くな、総司」

追いかけっこを楽しんでいるような沖田総司を、斎藤一が窘(たしな)める。真面目だなあ、と笑う沖田に反省は見られない。

「ヒャハハハハハハッ!」
「!いたな」
「案外早かったね」

耳障りな笑い声に、走る速度を上げた。二人がすぐに"それ"のいる場所へとたどり着くと、沖田が白い髪の男に向かって抜刀する。白い髪の男――羅刹は、赤い目を光らせて二人に襲いかかった。

「追いかけっこは終わりだよ」

理性を無くした羅刹の首を、最小限の動きで飛ばす。吹き出した赤が、沖田や建物を染めていく。

事切れた羅刹がその場に崩れ落ち、沖田は血払いして刀を収めた。

「後は監察方に任せてっと」
「……総司」
「分かってるよ――――ほんと、前にもこんなのあったよね」
「…………」

軒下に、一人の女――というよりも少女が立っていた。影になっているので顔は確認出来ない。沖田と斎藤が鋭い視線を向けると、少女が体を揺らしたのが分かった。羅刹を見ても悲鳴を上げなかった辺りは肝が座っているのかもしれないが、よく見ると体の前で握った手が震えている。

「どうする?見られちゃったよ。殺す?」
「……副長の指示を仰ぐべきだ」
「ああ、前と同じで、殺さないかもしれないから?」
「……。おい、一緒に来てもらうぞ」

終始楽しそうな沖田から、斎藤は呆れたように視線を外す。少女は斎藤の言葉に素直に従い、静かに影から身を出した。

その少女は、仕事第一・副長至上主義の斎藤が見惚れ、敬愛する近藤以外に興味を示さない沖田が息を詰まらせる程、美しい容姿をしていた。また着ている着物から、ただの町娘ではないと分かる。

「っ……名は?」
「千世、と申します」

表情には恐怖が滲んでいたが、千世は堂々と名乗り、軽く頭を下げた。

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* * *

千世side


自分の失敗に気付いた時には遅かった。

お兄様からの文に、『遊び甲斐のある人間と雪村の女鬼が共にいる』とあり、好奇心を抑えられず、京への旅を決意し、お兄様にその旨の文を出し、里の皆を説得したまではまだ良かったのだけれど……お兄様との待ち合わせに指定した場所に、お兄様はおられなかった。

それもそうだ。文を運ぶのは人間、急いで来た私は鬼。文よりも早く着いてしまった――飛ぶような速さだったから、深夜に出て、今は翌日の深夜だ――らしい。お兄様が寝泊まりしている場所の名前は分かるが、場所そのものは分からない。聞こうにも、京に着いたのは運悪く深夜。

護衛で私を追っていた里の者も、私は置いてきてしまったようだ。急ぎすぎた。

立ち往生していた私は、白髪の男に襲われかけるも助けられ、新選組という組織の屯所へ連行された。鬼だとはばれないだろうけれど、念の為、姓は伏せた。

「状況は?」

今は新選組の幹部と思われる、私を助けたお二人と、副長であるらしい"土方"と呼ばれた男と共に座っている。人間をこんなに近くで見るのは久方ぶりで、あまり気分は良くない。

土方さんが私を睨んでいる。

「私が白髪の男に襲われた所を、お二人に助けて頂きました」
「……お前はその男を、おかしいとは思わなかったのか?」
「乱心のご様子でしたけれど……」
「乱心ときたか……」
「土方さん、この子は悲鳴を上げず、気を失うこともなかったんですよ?何も心配しなくていいと思いますけど」

にこにこしてるのは、"総司"と呼ばれていた人。遠回しに"鈍い"と言われているようで、私は眉を寄せた。

「総司は黙ってろ。……お前はどこの人間だ?着物を見る限り、並の身分じゃねぇな」

私の持っている中で、一番安価な着物なのだけれど。

「兄を訪ねて参りましたが、少し手違いがあり……兄が待ち合わせ場所に来るのがしばらく先になりそうなのです」
「どこの人間だって問いの答えには、なってねぇんだが?」

そもそも人間ではないのだけれど。

「……答え次第で、私の命に関わるようですね」

微笑めば、土方さんは鋭さを収めた。大袈裟なくらい息を吐いて、答えろ、と短く言う。図星だったのだろう。命に関わるって事くらい、総司さんが路地で言っていた事を思い起こせばすぐに分かった。白髪の男は、私が見てはならなかったのだ。私が大名家の直系だとでも言えば、命は助かるのだろうげど……いざとなったら私の方が強いし。

「秘密があるのはお互い様ですが……別に、誰にも言いません」
「そういう問題じゃ――」
「それよりも、出来れば、数日泊めていただけると助かるのですけれど」

丁度良い、この際だから泊めてもらおう。黙っていても、白髪の男や私については平行線となりそうだし。

「私、宿の取り方が分からなくて……もちろん、お礼は致します」
「……あんた、正気か?」

"斎藤"だったり"一君"と呼ばれていた人だ。初対面の私に向かって、正気を疑うとは失礼な。

「話が進まないと思ったから、個人的な要望を告げているのです」
「あっはははは!君、最高だね!」

総司さんが腹を抱えて笑う。ちょっとびっくりしたけれど、嫌味な笑い方じゃなかったから良しとする。でも、ついさっき人を斬ったとは思えないくらい明るいそれに、彼等が普段からこういう生活をしているのだと感じさせられた。

「僕は大丈夫だと思いますよ。お兄さんが来るまで、泊めてあげたらどうですか」
「"見た"者を放免という訳にもいかぬしな……」
「一君もそう思うでしょ。ほら土方さん?近藤さんだったらどうするでしょうねえ?」
「あーもう分かった。泊めりゃいいんだろうが」

土方さんが丸め込まれた模様。数日の宿を確保出来た私は、総司さんと斎藤さんに心の中で感謝した。


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お礼、何にしようかしら。金子が一番使い勝手が良いけれど、反物?刀?食材……は腐ったら終わりだものね。やっぱり金子かしら。

「おい、お前」
「なんでしょう」
「泊めてはやるが、客人としては扱わねぇぞ。身内と連絡が取れるまでじゃなく、お前の処遇が決まるまでだ。見張りもつける。……いいな?」
「はい、構いません。ありがとうございます」

微笑んで軽く頭を下げて上げると、赤面した三人に一斉に視線を逸らされた。やっぱり失礼な方達だわ。




総司さんに続いて、暗い屯所の廊下を歩く。他の幹部の方はあの白髪の男の捜索に出たままなようで、明朝に対面することになった。

「空き部屋無いから。君と同じような境遇の子がいるから、その子と同室ね」
「分かりました」

難儀な人の子もいたものだ。こんな殺伐とした世界に身を置くなんて。私は少し同情した。

広く暗い屯所を少し歩くと、一つ灯りのついた部屋があった。総司さんはそこで立ち止まると、障子に向かって声をかける。

「まだ起きてるの?」
「っお、沖田さん……」
「あいつは処分したよ」

総司さん改め沖田さんは、障子が開くと素っ気なく告げた。この部屋の人も、あの白髪の男関連での軟禁なのだろう。

「で、本題だけど。千鶴ちゃん、これからこの人もここで寝起きするから。君と同じような理由でね」

沖田さんに促されて部屋を覗くと、桃色の着物と白い袴の……女の子がいた。悲しそうな表情だったけれど、私を見ると少し頬を染めて、慌ててぴょこんと礼をする。

「あ、よろしくお願いします!」
「こちらこそ。千世と申します。千鶴さん?」
「え、そんなご丁寧じゃなくても……っ」
「千鶴ちゃん、かしら。私にも砕けてくれて構わないわよ」
「えっと……千世ちゃん?」
「ええ。急にごめんなさいね、お礼は改めて――――!」

突然、沖田さんから鋭い敵意を感じた。敵意どころではない、殺気が混じっている。

咄嗟に千鶴ちゃんを背に庇って、帯に隠している護身刀に手を伸ばす。沖田さんが向けてくる脇差の白刃から目を逸らさず、護身刀を抜いて片手で刃を止めた。

重い。沖田さんが相当な剣豪であるというのは、白髪の男を絶命させた時に承知している。

「沖田さんッ?!」
「千鶴ちゃんは黙ってて」
「でも!」
「僕は千世ちゃんに用があるんだよ」

ぐっと力を込められ、私は足に力を入れる。沖田さんから、中々経験出来ないような鋭い殺気が感じるのに、彼は楽しそうに笑っている。

「なんのつもりですか」
「ん?それは僕が聞きたいなあ。僕の剣を片手で止めてることが、どう言う意味か分かってる?」
「護身術は叩き込まれていますが」
「護身術で済まないよ。……君、何者?」

対応を間違えたのね、私。けれども生憎、身を守る術に関してはお兄様も厳しいのだ。

「私は千世です。それだけですよ、沖田さん」

口元は弧を描いているけれど、目は全く笑っていない沖田さんに、私もにこりと笑いかけた。彼は剣客として強いだろうけれど、私とて負けるつもりなど毛頭無い。

「……く、ははっ!」
「え?」
「ただの箱入り娘かと思えば……やっぱり面白いね、君」

鋭い殺気は何処へやら。沖田さんはあっさり脇差を収めると、満足気に笑う。私は呆気に取られながらも護身刀を仕舞い、沖田さんの反応に首を捻った。

「これから楽しくなりそうだよ。よろしくね、千世ちゃん」
「よろしくお願いします……?」

沖田さんの中で、一体私はどう認識されたのだろう。何となく嫌な予感がする。楽しくなると思った理由が知りたいが、聞いてはいけないと何かが告げた。

若草色の目を細める沖田さんは、その様子も態度も猫のようだ。もっとも、猫ほど可愛らしいものではない気がする。

「じゃあ、今夜の見張りは僕だから。おやすみ」
「はあ……」
「お、おやすみなさい、沖田さん」

顔をしかめた私を放置して、沖田さんは障子を閉めた。少しの物音の後に静かになったということは、部屋の外で腰を落ち着けたのだろう。

「……あの、千世ちゃん、大丈夫?すっごく強いんだね」
「ええまあ……ねえ千鶴ちゃん。沖田さんは……いえ、何でもないわ」

何者なのか聞こうとして、意味が無い事に気付いた。沖田さんの剣を受けた腕を軽くほぐしながら、心配そうに見てくる千鶴ちゃんに笑いかけた。

「色々教えてくれると嬉しいわ、千鶴ちゃん」
「うん!お友達が出来たみたいで嬉しいな」



――拝啓、千景お兄様。

千鶴ちゃんの無垢な笑顔が心に染みる、今日この頃。私は何かに巻き込まれてしまったようです。供の者を置き去りにする、一族きっての俊足を僅かに恨めしく思いました。

お兄様のおっしゃっていた、面白い人間と女鬼を拝見するだけのつもりでしたのに……。何やら厄介な人物に気に入られてしまいました。



就寝の準備をしている時に、私の視界に入った千鶴ちゃんの小太刀。それに微かな違和感を覚えたけれど、気のせいかと追及しなかった。


fin
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