隣同士の癖(1/2)


 阿頼耶識システム――脊髄に埋め込んだナノマシンによる操縦システムのことだ。阿頼耶識を介してMS(モビルスーツ)やMW(モビルワーカー)と接続することで、脳で外部情報の処理を可能にし、高い操縦性能を引き出すことが出来る。
 その分、脳へかかる負担は大きい。また、ナノマシンが成長期の子供にしか生着しないという点から――被験者が子供であっても、成功率は高くない――非人道的として忌み嫌われているシステムでもある。
 三日月は、その阿頼耶識の手術を三回受けて成功している。化け物や悪魔などど例えられるほど、高い技術を持った少年パイロットだ。ガンダムフレーム"バルバトス"を乗りこなす彼は、人一倍戦場に立つ機会が多い。
 火星で発掘された殺戮兵器、MA(モビルアーマー)"ハシュマル"との戦闘にて、三日月はバルバトスのリミッターを外すという荒業で勝利を収めた。しかし、基地に帰還して阿頼耶識システムとの接続を解除した三日月は、体の自由が効かなくなっていた。

「あれ?足が動かないな……」

 先の戦闘にて、三日月は右目の視力と右腕の自由を失っている。阿頼耶識を通してバルバトスと繋がっていれば不便はない。足も、どうやら同じ状態らしい。
 様子を見に来ていたオルガによってコックピットから出される。三日月は担がれた状態で、整備士の雪之丞に左手を上げた。

「おやっさん、バルバトスよろしく。ボロボロになっちゃったけど」
「ったく、無茶しやがってよぉ。さっさと医務室行って来い」
「俺はこのままミカを運んでくる」
「ああ」

 オルガが医務室へと走る。ひどく焦っているオルガに「大丈夫だよ。」と言ってみるが、三日月を抱える腕に力がこもっただけだった。
 医務室には、船医の役割をこなしてくれている女性がつめている。三日月たちと同じような育ちでありながら、独学で豊富な知識を身につけた、貴重な人材だ。

「おいロア!ミカを……」

 飛び込んだ医務室は無人だった。三日月はひとまず椅子に降ろされて、左目で部屋を見回す。
 ロアは大体この部屋にいるが、四六時中ではない。アトラと厨房にいたり、子どもたちに字を教えていたり、ハンガーで機器整備の手伝いをしている時だってある。

「ミカ、ロアはアトラとお嬢さんのとこに行ったのか?」
「クーデリアのとこにはいなかったけど。食堂じゃない?」

 戦闘前、ハシュマルの暴走を危惧して、協力者の女性に避難を促しに行っていた。その時そこに残ったのではとオルガは言うが、そもそもロアは同行していなかった。
 この基地内のどこかにいるのだろう、と結論づけて、オルガが通信機を手に取る。ロアと同じく医学知識のあるメリビットを呼ぶのだろう。オルガが執務室へ繋ぐ傍ら、三日月は特に焦りもなく体を休めていた。




 メリビットに簡単な検査をされた結果、三日月は右半身不随になっていることがわかった。
 外傷があるわけではないこともあって、三日月は自身の希望通り、自分のベッドに運ばれた。複数人が寝起きする相部屋だが、当然、まだ他のベッドは空いている。部屋にいるのは、三日月と、三日月を運んだハッシュのみだった。

「ハッシュ、何か食い物」
「持ってませんよ。火星ヤシ(いつもの)はどうしたんですか?」
「無くなった」
「なら、食堂行きますか?」
「運んで」
「はいはい」

 筋肉量は明らかに三日月に軍配が上がるが、ハッシュは元の体格が良い。少なくとも、小柄な三日月よりは恵まれている。三日月は、まだまだ操縦も下手くそなハッシュに担がれることが、少々不服だった。

「ほんと、三日月さんってなんか、呑気っすよね」
「なんで?」
「体が半分動かなくなってるのにまず飯とか、」
「戦闘のあとだから、腹減ってて当然でしょ。それに、バルバトスに繋いでくれれば動けるんだし」
「そーなんすけど……こりゃあ、アトラさんが心配するのも分かります」
「なんでアトラ?」

 食堂へ向かう中、すれ違う団員が皆驚き、心配の声を駆けてくる。ハッシュに運ばれている状態ではあまり説得力がないが、三日月が大丈夫だといえば皆安心した顔を見せていた。
 ハシュマルとの戦闘後の処理がまだ終わっていないため、食堂に人は少ない。厨房に何人か団員がいるだけだった。もっとも、かつがれている三日月がそれに気づいたのは、椅子に降ろされてからだった。
 半身が動かないというのは、バランスを取ることが非常に難しい。右目と右腕のことがあった直後も苦労したが、足で踏ん張れないというのは、より不便である。

「なあ、食い物ある?三日月さんが腹減ったって」
「あるけど、これは晩飯」
「あれ、お前、飯当番とか当たってんの?」
「違う違う。アトラさんが戻ってくるの遅くなるからって、メリビットさんが下ごしらえの方法教えてくれたんだ」
「ふーん。火星ヤシでもいいからどっかにねぇかな……」

 厨房にいた団員とハッシュのやりとりに、三日月は眉を寄せた。椅子から落ちないよう、背もたれに体をおさめたまま、厨房の方へ声をかける。

「ねえ、ロアに会ってない?」
「え、ロアさん?会ってないっす。お前は?」
「見てねーよ」
「俺は結構前に出たの見た。どこかは知りませんけど」
「だそうっすよ、三日月さん」

 三日月の表情は更に険しくなる。この非常時に、ロアが独断で行動しているとは考えにくい。彼女は命令や役割に忠実で、それを決して放り出しはしない人間だ。団長であるオルガでさえロアの行方を把握していないのは、どうにもおかしい。
 不吉な考えが頭をよぎる。戦場にいないロアになにかあるなど、可能性は低い。しかし、三日月の勘は悪い方向の時ほど外れないのだ。

「あ、三日月さーん、火星ヤシ!」
「ちょうだい」

 ロアの行方が分かったのは、その一時間後のことだった。
 


 ロアは元々、海賊・ブルワーズの所属だった。金銭でやり取りされてはいないらしくヒューマン・デブリ――人身売買される子供――ではないが、扱いは変わらない。非常に貴重な"阿頼耶識持ちの女"故に、使い捨てはされなかったようだが、虐げられていた期間は長い。
 鉄華団がブルワーズを壊滅させた際、生き残ったヒューマン・デブリの少年たちと一緒に鉄華団にやってきた唯一の女性がロアだ。女性という年齢でありながら、成長期の栄養失調と劣悪な環境が原因で、アトラや三日月と変わらない身長しかない。
 ロアは鉄華団に来た当初、炊事を任せられていたアトラについて回っていたことが多く、アトラと話す機会の多い三日月も自然とロアを視界に入れていた。
 三日月がまともにロアと接したのは、ロアが一人で動きまわり、船医として医務室にいることが多くなった頃のこと。食堂にて、他の少年たちと文字の勉強をしていた時だ。

「三日月さん、どうしたの?」
「んん……字が思い出せない」
「文字?アトラに聞けばいいじゃん。アトラ!ちょっとこっち来てよ」
「なにー?」

 ライドが、厨房からアトラを呼び寄せる。

「俺の名前の字が思い出せないんだ」
「もう書けるようになってなかったっけ?」
「そっちじゃなくて、もっと線が多いやつ。多分、ミカヅキはこう……なんだけど」

 三日月はPDAに"三日月"と歪な字を書く。すると、ライドら少年たちと一緒にアトラも首を傾げた。
 この文字は、鉄華団の兄貴分組織であるタービンズのトップが、一度、三日月の名前を書いてくれた時に覚えたものだ。アトラやクーデリアから教えられたものとは全く違う文字。
 三日月は、この文字を気に入っていたのだ。けれど、なんと書いてくれていたか思い出せない。

「線がいっぱいあるね……」
「三日月さん、これなんて読むの?」
「ばかライド、これでミカヅキってことなんだろ?」
「初めて見た、こんなの。これも文字なんだ」
「わたしも初めてみたよ。三日月、これ誰に教えてもらったの?」
「ナゼさん」
「ナゼさん物知りだねー」

 三日月のPDAを覗きこんでいた一人が、あっと声を上げた。その少年は元ブルワーズのヒューマン・デブリで、最近勉強会に参加している子供だった。

「姉貴に聞いてみよう!」

 そういった少年に、何人かが同意を示す。皆、元ブルワーズの少年だった。
 三日月とアトラが顔を見合わせて首を傾けていると、少年の一人が医務室へ走り、ロアを引っ張ってくる。ロアは、三日月を中心に集まる子どもたちに驚いた顔をしていた。
 三日月はいつもロアのことを"アトラと一緒にいるヤツ"として認識していた。真正面からロアを見たのは、おそらく初めてだった。
 とりたてて美人ではないし、スタイルがいいわけでもない。ただ、阿頼耶識をもつという珍しい女。なんとなく親近感を覚えたのは、黒髪青目という己と同じ色合いのせいだろう。左目を白い眼帯で覆っているロアは、右目だけで三日月たちをうかがっていた。

「姉貴は何でも知ってるんだ!」
「な、姉貴!だからきっと、その文字のことも知ってるよ」
「ふうん、そうなんだ。ねえロア、この文字分かる?」

 三日月がPDAを見せると、ロアはややあって、はい、と頷く。わっとギャラリーがわいた。

「俺の名前、こういう文字で書きたいんだけど」
「三日月さん、ファミリーネームは?」
「オーガス。三日月・オーガス」
「オーガス……。どういう文字か、なにか手がかりはありますか?」
「自分ってことだって言ってた気がする。三文字だった。一文字目は"三"(これ)に似てて……三文字目も似てたかも」

 あまり信用ならない記憶をたどっていると、アトラに「三日月全然覚えてないじゃん」と容赦ない言葉をもらう。そう言われても、覚えてないものは仕方がないのだ。もとより、勉強の出来る頭ではない。
 左上に視線をやって考えこむロアをじっと見ていると、ふと目が合った。そのまま見ていると、ロアは居心地悪そうに視線をそらす。そして遠慮がちにPDAに触れてきた。

「多分、こうだと思います」

 ロアは綺麗な字で"王我主"と書いた。三日月よりも整っていて、ナゼよりも華奢な文字だ。
 これだ、と頷くと、またギャラリーが沸いた。
 三日月は喜ぶ周囲をよそにしばし画面を眺め、"Delete"のコマンドを選択する。すると画面から文字が消えた。

「三日月、なんで消しちゃうの!?」
「あっほんとだ!三日月さん、この文字書きたかったんでしょ?」
「せっかく姉貴が書いてくれたのにー」
「うん、だからもう一度書いてほしい。三日月・オーガスって、ロアの字で」

 文字を消したPDAを差し出すと、ロアは文句言わずに"三日月王我主"と指先で書く。
 "MikazukiAugus"の文字よりも、身に馴染む気がした。それに、ナゼの文字とは違うくすぐったさも感じる。
 三日月は今度こそ"Save"のコマンドを選択した。
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