隣同士の癖(2/2)
鉄華団が地球を目指すのは、依頼主の少女、クーデリア・藍那・バーンスタインを護衛するためだ。幾度となく妨害を受け、仲間の死を乗り越え、鉄華団はようらく地球圏内のドルトコロニー群へ到着した。
そのドルトコロニーでも陰謀に巻き込まれたが、なんとか地球に向かう目途が立った。
数人のパイロットがMSで援護し、一部の団員がランチで地球へ着陸する。他の団員はイサリビに残り、必要に応じて援護に出る。
三日月もバルバトスで出撃しーー地球外縁軌道統制統合艦隊からの妨害は確実なのだーーそのまま地球へおりることになっている。
出撃準備のためにハンガーへ向かうと、雪之丞とロアがバルバトスの最終調整のために待機していた。ヤマギが流星号の整備にかかりきりになってからというもの、ロアをバルバトスのそばで見ることが多くなっていた。
雪之丞の手を踏み台にして、コックピットまで飛び上がる。火星を出てからすっかり体にしみついた、宇宙空間ならではの移動法だ。
コックピットで待ち構えるロアが、浮き上がった三日月を引き寄せた。
「ロアもランチに乗ってると思ってた」
「アトラさんとメリビットさんが乗りますから。雪之丞さんやヤマギさんたちも地球行きなんで、私は留守を守ります」
「なるほど」
「接続します」
「うん」
うなじの阿頼耶識を介してバルバトスと接続する。かすかなモーター音とともにディスプレイが起動した。
コックピットの近くで、ロアがバルバトスに繋いだPDAをチェックしている。緊急時はともかく、綿密なチェックは不可欠だ。宇宙に出るだけではなく、阿頼耶識持ちのパイロットには脳負荷のリスクが伴う。
ロアがふわふわと視界を横切った。
「ロアは、地球ってどんなところか知ってる?」
「はい。海がきれいな、水の星です」
「ふうん」
「あと、三日月も見えますね」
「俺の名前のやつだ。霞んでるってクーデリアは言ってたけど、見えるの?」
「厄祭戦の影響はありますが、見えますよ」
「ロアは色んなことを知ってるから、沢山聞けると思ったんだけど、ロアは来ないんだ」
「あとで聞かせてください」
「そうする」
ロアがPDAを外し、バルバトスにつかまった。コックピットが閉じ、前面のモニターが全て起動する。バルバトスにつかまったロアが、足場の方にむかって移動しようとしているのが見える。
三日月はコックピットの中で、一人首を傾ける。外部へのスピーカーが機能していることを横目で確認した。
「ねえロア」
「あ、はい?」
ロアは中途半端な体勢で、コックピットをのぞきこむ。外から三日月は見えないので、ロアと視線は合わなかった。
「地球、行ったことあるの?」
ロアは目をしばたたいて、どこか困った顔をした。三日月の問いかけはハンガーに響いているので、答えにくいのかもしれない。だが少しの間を置いて、遠慮がちに頷いた。
「言う機会が無かったんですけど、私は地球の出身でして……」
「えっ」
驚いたのは三日月だけではない。コックピットには、ハンガーにいる者の驚愕の声が届いていた。
地球人、地球出身という言葉は、富裕層の代名詞だ。すべての地球人が裕福ではないにしても、優遇される立場にあるのは確かだ。反対に、火星人、火星出身という言葉は差別対象になる。
ギャラルホルンの大半が地球人で、鉄華団が火星人ばかりであるように。地球人と火星人は、しばしば対極にある。
恵まれているはずの地球人が海賊にとらえられ、阿頼耶識まで埋め込まれたということになる。
「そうか……じゃあ、ロアの生まれた星に行くんだ」
「そうなりますね」
いまだロアの出身に驚く声が聞こえているが、三日月はもう冷静だった。晴れてるといいな、と呟いて、シートにもたれる。出撃するまでは、三日月が動かす必要はない。
モニターに映ったままのロアが、再びコックピットをのぞきこんできた。少しずれた所を見ながら、かすかに笑う。
「ご武運を」
「……うん」
三日月はまた首を傾ける。心臓のあたりを指先で掻きながら、別の足場へ移動するロアを見送った。
*
三日月は、地球でのギャラルホルンのMS(モビルスーツ)との交戦により、右目と右腕の機能を失った。通常の機体よりも大きく、また、コックピットに人間を"組み込む"という究極の阿頼耶識システムを導入した未知の機体を戦闘不能にするには、自身の脳への負荷を気にしている場合ではなかったのだ。
動かない右腕を持て余す三日月に、三角巾を与えてくれたのは、船医として走り回っているロアだった。
「なにこれ」
「これで、首から腕を吊るんです。動きやすいと思いますよ」
「ふうん。……。ほんとだ、いいねコレ」
三角巾によって出来る空間に火星ヤシを仕込む。これで上着を脱いでいても火星ヤシには困らない。非常に機能性がよく素晴らしい。
三日月は無表情ながらも上機嫌に火星ヤシを口に放り込み、また別の一つをロアに差し出した。
「あげる。顔色悪いよ」
「ありがとうございます。……ぅぐっく」
「あ、ごめん。はずれだった?」
「……いえ、大丈夫です」
地球での戦闘で出た被害は甚大だった。ロアはユージンらとともに、戦闘の終盤に地球へ到着した部隊であり、到着したその瞬間から仕事に追われていた。
団員らで応急処置はできたとしても、きちんとした処置が出来るのはメリビットやロアのみだ。メリビットは事務処理も負っているので、自然と治療の負担はロアに集まる。
普段すましている表情を苦しそうに歪め、必死で火星ヤシを飲み込むロアに、三日月はうすら罪悪感を感じてしまった。好意から自分のおやつを分けただけだが、こう苦しまれては。忙しさのためにまともに休めていないことが分かるだけに、余計に。
「……えっと。ちょっと休めば」
「仕事は終わっていませんから」
「でももう日が暮れる。あとすることって何?」
「洗濯物と、明日の薬の確認と、痛み止めが必要な方の確認と投与を。重傷者のバイタルチェックと、包帯の在庫も」
「ロアにしか出来ないことだってある。今、倒れるほうが困る」
三日月がおもむろに座り込むと、ロアは渋々その左隣に腰を下ろした。
戦闘続きだった三日月も、万全の体調とは言いがたい。が、右目と右腕のことがあり、安静を命じられているので、体力が有り余っているくらいだった。
「……片目が見えないと、距離感とか難しいと思いますが、どうですか?」
「バランスが取りにくいんだよね」
「分かります」
「ロアの左目は、見えないの」
「はい。殴られた時に打ちどころが悪かったことがあって、それ以降です。開けていると眩しいので、眼帯をしています」
「へえ」
三日月の右目は、光覚があるのみで手動弁ほどもない。狭くなった視野は、今、大半をロアが占めている。
そのロアは、ぐったりと脱力してる。全身から疲労がにじみ出ていた。阿頼耶識の恩恵で通常の人間よりは丈夫な肉体であるといっても、疲れない訳ではない。
しかし、三日月に医療処置は手伝えない。三日月は、先ほど三角巾で右腕を吊ってくれたロアの動作を思い出し、左手を握ったり開いたりを繰り返した。パイロット仲間からも怪力だのゴリラだの揶揄される三日月は、繊細な動作があまり得意ではないのだった。
「ロアはすごいな」
「そうですか?」
「俺、戦うことしか出来ないから。戦闘のあと、こうして治療してくれる人がいなかったら、もっと死んでた」
「……ありがとうございます」
ロアが困ったような声でもごもごと言う。
ヒューマン・デブリという立場にあった子どもたちは、自らを使い捨てと言う。ロアはなぜか、自分はさらにその下であると認識していたのだ。必要以上に自分を卑下することは少なくなったといえ、未だ、褒められたり礼を言われると座り悪そうにする。
三日月は、なんとなく暖かいものを感じた。アトラやクーデリアに対する"可愛い"と似ている感覚だ。だからといってほいほいキスしてはいけないらしい。三日月はやりどころのない感情を、火星ヤシと共に飲み込む。
「難しいな……」
「どうかしましたか」
「別に」
「三日月は、どうでした?」
「……?ああ、三日月ね。なんか、不思議な感じだった。少しずつ形が変わっていくの、綺麗だ」
「天気が良くて、良かったです」
暇がなかったのですっかり忘れていたが、この地球はロアの故郷なのだ。イサリビでのやり取りを思い出すと、芋づる式に、イサリビを出てから今までの戦闘が頭をよぎった。戦うことに極振りしている三日月も、連戦は中々堪える。
「……ロアって、MS乗れるんだっけ?」
「一応は。ですが、大事な戦力を私が扱うわけにはいきません」
「いや、乗れって意味じゃないよ。船医のロアが前線に出ることはないでしょ」
「万が一、必要になれば」
「いーよ。なんか、すごく強くなりそうな気がするけど……」
「そうですか?」
「でも進んで誰かの盾になりそうだから、やっぱり駄目」
「では、乗りません」
なぜそう思ったのか、三日月自身にも分からない。けれど、本音だった。ロアは、上からの命令であれば命を投げうつことに躊躇いがない。生きることに執着しない者が前線に出れば、結果は見えている。
三日月は、また火星ヤシを口に放り込んだ。
「私、そろそろ戻ります。三日月さんは?」
「……俺も一緒に行く。荷物運びなら出来るし」
「では、お願いします」
「うん」
立ち上がって、三日月はおもむろに立ち位置を入れ替えた。右側に立つロアに、三角巾でつった右腕を示す。
「持ってて。俺が慣れるまで、右側はよろしく」
「ええ、分かりました。では、左側は頼みます」
ロアはおかしそうに、少しだけ笑う。三日月の上着の右腕部分を掴んだのが分かった。それだとずり落ちる、と言えば、力の入っていない三日月の右腕に手を添えた。
前を向いてしまうと、三日月には、右隣に立つロアの姿は見えない。おそらく、ロアからも三日月は見えていない。
「ではまず、洗濯物を取り込みに」
「分かった」
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