瞼の裏側(1/2)


 艦が大きく揺れた。その衝撃で、彼女の体は宙を漂い始める。
 彼女は侵入者を告げる声や警報音に急かされて、私室にしている物置の片隅から、使い込まれた銃を取り出した。残りの弾数を思い出しながら、新たな弾倉をポケットに突っ込む。 
 こういう場合、彼女に役割は与えられていない。銃を持ったのも自衛のためだ。応戦命令が下れば話は別だが、そんな働きを求められていないことは自覚しているのだ。
 彼女は銃を持ったものの、物置からは出ない。浮遊しないように気を付けて、定位置に座り込む。
 どぉん。どこからか、そんな音が彼女の耳に届いた。銃撃戦の音もかすかに聞こえている。
 ここまでやってきたらどうしようか。非常に手際が良いらしい侵入者相手に、命乞いは通じるだろうか。ボロ雑巾一枚目に入ったところで、発砲するのももったいないだろう。
 死んだらそれはそれでいいかと頷いていると、物置の扉が外から開いた。銃撃音はまだ遠いはずだがと顔を上げると、宇宙服を着た男児が一人、顔をのぞかせていた。
 彼女は、親しくないまでもその子を知っていた。まだパイロットの役割を与えられていない、幼い男の子。

「あね、じゃなくて、えっと、敵が来てるんだ」

 彼女が起きていると分かると、子どもは息をひそめて物置へ入ってくる。彼女の持っている銃を見て、少し怯えたようだった。

「武器のある物置まで、行けなくて。おれ、戦えないんだ。どうしよう、死にたくない。武器がないと殺されちゃう」

 怯えているのに、戦う意思を示す子供。武器を渡してやろうにも、ここには彼女の銃しかない。
 侵入者の隙をついて武器庫まで行けたとしても、きっちり押さえられているに違いない。武器庫に行くことにもはや意味はないだろう。

「他の人たちは、どこに?」
「わかんないけど、多分、武器持って部屋にこもってる」
「では、私達もここにこもろう」

 物置の奥へ子どもを促す。なにせ物置だ、隠れられるところは多い。血気盛んな子ならば了承しなかっただろうが、対して力がないと分かっている彼女を頼ってきた子どもは、少しばかり臆病だった。
 出てこないようにと言い含め、彼女自身は見つかりやすい場所にとどまる。

「なんで、あ、隠れないの」
「こんなでも、盾にはなれるよ」

 銃撃音が近づいてくる。不安そうな子供に、彼女は自分の上着を脱いで羽織らせた。決してきれいなものではないが、子どもを宥めることは出来る。
 彼女はドアの正面に立つと、銃を構えて静止した。
 物置の前で、複数の人が居る気配がする。装備のかすかな音と、あとは彼女の勘だ。足音はないが、壁を蹴って移動しているのだからそんなものだろう。
 ウィン、とドアが開く。なんとなく赤い廊下と、武装した二人の男が目に入った。
 機関銃が彼女に向く。

「――っと、待て!」

 ピンクのヘルメットをした男が、強く言った。機関銃も、彼女の銃も、沈黙したままだ。
 部隊の動きを制した男は、銃を向けたまま彼女に問いかけてくる。敵意はないらしいが、彼女が銃を構えている手前、武器を下ろせないのだろう。

「ここは、あんただけか?」
「お、おれもいるぞ!」
「あ?ガキか……」

 隠した意味がないなあ、と彼女は少しだけ脱力した。
 男らの目が冷たく物置を見回す。子どもが顔を出したことで、彼らは物置に何者かが隠れている可能性を危惧したのだろう。
 彼女は、部隊長らしき男に向かって口を開いた。

「私と、彼しかいません」
「……俺たちは、あんたらの敵じゃねえ、つもりだ。出来ることなら撃ちたくない」
「降伏を受け入れてくれるということですか」
「もちろんだ」

 男の声はとても真摯なものとして彼女に届いた。命乞いをしているのはこちらだというのに、懇願しているのは彼らだと錯覚しそうになるのだ。
 彼女は、そのままの状態で銃を手放した。宙に浮いた銃を男の方へを押しやれば、それはふわふわと物置を出ていく。その間に、隠れていた子どもが彼女の元まで出てくる。二人で両手を上げて、戦う意思がないことを示した。
 男はやっと銃口をおろすと、漂ってきた銃を回収する。

「全部終わったら、後で声をかけるからよ。ここで大人しくしててくれ。あ、ドアは開けとけよ!」

 よく通る声で言った男は、どこか嬉しそうに見えた。



 "ブルワーズ"という名の海賊が、ある組織に喧嘩を売った結果敗北。ブルワーズの持ち物だった人間は、タービンズの兄弟組織に身を寄せることになった。
 ロアも、ブルワーズの持ち物の一つだ。
 鉄華団という団体に保護され、しばらく休めと案内されたのは、炊事係に与えられている部屋だった。一緒に保護された少年たちは空いた部屋にまとめられたが、ロアは女であるからと、鉄華団の団長に配慮されたのだ。
 炊事係とやらは、正式な団員の中で唯一の女で、名をアトラと名乗った。
 
「よろしくお願いします!ロアさん!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ふわふわの髪がひょこひょこ揺れて、ロアに対する好奇心を隠さない。そもそもイサリビにいる女性というのが客人の二人と監視役の計三人というのだから、同性が嬉しいのだう。加えて、ロアは子供ばかりの鉄華団の中では大人の部類に入る。あまり人見知りしないらしいアトラは、大人という存在に対する憧れを隠していなかった。
 部屋はそう広くない。空いていた二段ベッドの上側を借りることになった。アトラはここでの生活についてはきはき話したあと、何かに気付いて、一人でしゅんと肩を落とした。

「あ、その、すみません、疲れてるのに……。お風呂が先ですよね!」
「いえ、お構いなく」
「わたし、準備しますね!着替えはクーデリアさんに借りようかな……うん、ちょっと待ってて!」
「え、いやあの、」

 薄汚れたまま部屋にいられるのも迷惑かと、言葉に甘えることにする。床に座って少しすると、着替えを持ったアトラが戻ってきた。
 使い方を教えるついでにアトラも体を洗うらしく、ぐいぐいとシャワールームに案内される。少々呆気にとられるが、抗議するつもりもないので、大人しく上着を脱いだ。

「じゃあロアさん!脱いだのはこっちに、」

 汚れきった服を脱ぎながら、不自然に言葉を切ったアトラをうかがう。アトラはタオルを握りしめて、苦しそうな顔をしていた。


 客人に洋服を借りて素知らぬ顔を出来ようか。否、出来ない。
 身なりを整えたロアは、アトラに聞いて、クーデリア・藍那・バーンスタインの部屋を訪ねた。
 クーデリアのことは一方的に知っている。といっても、ブルワーズの人間が話していた情報のみだ。火星独立運動の重要人物であり、ブルワーズの標的。なぜブルワーズがクーデリアに手を出したのかは、よく分からない。
 ヒューマン・デブリの少年たちと同じく、ただの所有物であるロアに情報などおりてこない。

「突然、すみません。ロアといいます。替えの服をありがとうございます。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 ドアが開くタイミングで、深々頭を下げる。
 戸惑う声が降ってくる。顔を上げるように言われるが、大事な客人に顔を向けるのは躊躇われる。こうして独断で客人と話していることも、咎められるかもしれない。

「そんなに畏まらないでください!どうか気楽に」
「出来ません」
「ここにはもう、貴女を虐げる人はいないのです。わたしは、貴女と仲良くなりたい」
「気にしないでください」

 なんとなく姿勢は起こしつつ、顔は足元に向けたまま。あまり長居も良くないだろうと一歩退くと、素早く腕を捕まれた。
 ロアは思わず顔をあげた。引き留めてきた少女は、ロアには眩しすぎるくらい真っ直ぐな目をしている。滑らかな肌、輝くアメジスト、艶のある金髪は長く、腰の位置を越えている。
 ……はやく離れたい。この綺麗な生き物から、はやく。
 身長ではロアはクーデリアに劣るが、箱入りのお嬢様の腕を振り払うことは容易だ。離れたいとは思うのに、体は命令を待って動かない。
 硬直したロアに、何を思ったのか 、クーデリアは意を決したように口を開いた。

「髪を、整えましょう!私は不器用なので、フミタンにお願いしましょう!」
「……いえ、必要ありません」
「さあ、入って!」

 話を聞かない人である。抵抗できないロアは、クーデリアの部屋にある椅子に大人しく座った。
 フミタンとやらに端末で連絡をとっている姿を見上げる。金髪を何気なく眺めて、納得した。美しい髪のクーデリアは、ロアのざんばら髪が見るに耐えなかったのだろう。そういうことならば尚更、拒否することはできない。
 客人の要望に応えるのも、ロアの役目だ。


 フミタンは器用らしく、それなりに見えるようロアの髪を整えた。
 フミタンとクーデリアに礼を言うと、二人揃って気にするなと言う。体しかない今はそれに甘んじるしかなく、深々頭を下げた。
 片付けが終わったところで、ちょうどインターホンが鳴った。部屋の主であるクーデリアが応答する。

『クーデリアさん、もしかしてロアさんそこにいますか?』
「アトラさん?はい、いらっしゃいますよ」
『スープが出来たので、食堂に来て下さい!ブルワーズから来た子達に振る舞うんです!』

 シャワーの後に分かれたアトラはなにやら慌ただしかったが、厨房に行っていたのだろう。新入りでありながら、自分は炊事の手伝いもすっぽかしてしまったらしい。
 仕事を放棄するなど、後でどんな目に遭うか分からない。人間以下の生活が長いと言えど、痛いことは嫌いだ。
 そう、遠くに行きかけたロアの意識を、クーデリアが肩を叩いて引き戻す。いつの間にかロアの前にはアトラがおり、ロアと手を繋いでいた。

「さあ、行きましょう!皆待ってますよ。スープが冷めちゃう」

 クーデリアとフミタンとは分かれて、時折浮遊するアトラの案内で食堂に向かう。ロアも宇宙航海歴は長いので、移動に苦労はしなかった。
 すれ違う団員は、物珍しさを隠さずロアをうかがってきた。声をかけてこなかったのは、急いでいるのが見て分かるからだろう。
 男ばかりの環境なのは変わらないが、皆肉付きがよく顔色も良い。ここはブルワーズではないのだとしみじみ思う。
 清潔な食堂では、見覚えのある顔がずらりと並んでいた。痩せ細った少年達は席につき、温かいスープを前に体を小さくしていた。
 ロアも、アトラに背中を押されて空いた席につく。ロアを待っていたと言うのは事実らしく、ロアの着席を合図に、鉄華団団長のオルガ・イツカが前に立った。

「これで全員か。とりあえず何か食い物ってことで、うちの炊事係が頑張ってくれた。ありがとな、アトラ」
「いえいえ。皆、火傷しないようにね」
「俺たちはもう仲間だ。家族だ。見返りなんざ求めてねぇ。しいて言うなら、残さず食うこと!」

 スプーンを持つのさえ、久しぶりな気がした。温かい食事などそれ以上だ。
 ゆっくりすくって、口に運ぶ。まともに味を感じたのも久しぶりだ。温かいスープは飢えた体に染み渡り、忘れていた感情を呼び起こす。ただの物である自分が、少しだけ人間に近づけたような。
 周囲からはすすり泣く声が聞こえていた。鉄華団で保護するとオルガから告げられた時も泣いていたが、まだまだ涙は枯れないらしい。
 ロアは静かにスプーンを動かし、ほんの少しだけ泣いた。

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