瞼の裏側(2/2)


 目的の見えない紛争が終結し、事後処理に追われている中、ロアは安静を命じられていた。五体満足で体調も良いが、無暗に動き回るなと雑務を取り上げられてしまっている。伸ばしていた髪は切られ、身体はやせ細り、ブルワーズ時代に逆戻りしてしまったかのような有様なせいで、ブルワーズの少年ら筆頭に「休め」と口をそろえられるのだった。
 仕方なく、ロアは傷病者の手当てが終わると、バルバトスが眺められる場所に腰を下ろした。疲労がたまっていることは否定しないが、阿頼耶識のおかげで多少の無理は効く上、ブルワーズ時代にはこの程度の疲労状態で動くのは普通で――ああ、ここはブルワーズではなかったな、と。
 日向でうつらうつらしていると、左隣に三日月が座った。差し出された携帯食を受け取り、口の中に押し込む。

「なんで目を離すと攫われるの?」

 視界に入らない左側から、これ以上なく呆れた声がする。ロアは投げ出された二人分の足を見ながら、そう言われても、と涼しくなったうなじを撫でた。結べる程度まで伸びていた髪は乱雑に切られてしまい、一時身を寄せていたフウカが整えてくれていた。

「二回だよ。一回の誘拐すらそうそうないだろうけど、二回だよ。二回とも俺がいないときに」
「すみません」
「それでも……前回も今回も、ロアの動きのおかげで助けられているから責められない」
「……あの、不謹慎かもしれませんけど」
「なに?」
「二回とも、三日月さんが駆けつけてくれました。嬉しかったです」

 一度目、クーデリアのフリをしてギャラルホルンに捕まったとき、三日月は単身で乗り込んできた。怪我をしたロアを見て顔をしかめ、銃を構えて報復に向かおうとしてくれた。脱出が優先だったのでロアとビスケットとで止めたが、その気持ちは嬉しかった。
 二度目、マクギリスとともにアストンとタカキと対峙していたとき、降り立ったのはバルバトスだった。アストンとタカキの理解が得られていたとはいえ、紛争状態には変わりなく、不安が完全に払しょくされたわけではなかった。その中での、バルバトスだ。コックピットから手を伸ばしてくれた三日月を見て、きっと大丈夫だと思えたのだ。

「……。……ふうん」

 三日月が、間を取って生返事をする。
 ロアは、ただでさえ左隣の三日月が見えないのにさらに視線を右にやった。三日月にとっては、何ら重要視する事柄ではなかったのだろう。妙に印象に残っていることが、少しだけ恥ずかしかった。
 言い訳のように付け足す。

「みんなも、そうだと思います。三日月さんはとても頼もしいから」
「……よく分かんないけど」
「はい」
「俺は戦うことしか出来ないから。そういう、頼もしいと思ってくれるのは嬉しいかな」

 そう言って、何か食べる気配がした。十中八九、火星ヤシ。おやつであり、人一倍脳を酷使するパイロットの効率的な当分補給方法でもある。二つほど差し出されたので、ありがたく受け取った。今回は外れではなかった。
 三日月は火星ヤシを食べ、ロアはもらった火星ヤシとアトラやアストンから渡された携帯食を食べ。しばらく無言で口を動かしていたが、ふと三日月が口を開いた。

「ここ、眠くなんない?」
「なります、とても」
「日当たり良くて、良い場所だ」
「バルバトスも良く見えるんですよ」
「確かに。……もうロアがバルバトスの整備に入ることって無いのかな」

 三日月か呟くので、バルバトスを眺めながら今の鉄華団員を思い浮かべる。
 ロアが整備に入っていた時期は、整備士が少ない上にモビルスーツが増えていた。ロアには船医という役割があったが、整備の知識があるということで動員されたのだ。
 現在、鉄華団は人員が増え、整備士も増えている。人員増加に伴ってモビルワーカーもモビルスーツも増えているが、整備の手が回らないというほどではない。

「あまり無さそうですね。人がいますし……地球から撤退するなら、地球支部の整備士も加わるわけですから。なにかありました?」
「なんとなく。ロアが、バルバトスとか俺の周りをふわふわしてた時期があったなって」
「地球に行く途中でしたね、わたしが整備に入っていたのは」
「ロアってちっちゃいじゃん」

 突然身長の話になり、ロアは返答に迷った。成長期の栄養不足で低めなのは認めるが、三日月と変わらないくらいなのだ。つまり、三日月も「ちっちゃい」枠になる。三日月が身長を気にしているのかどうかの判断が出来ず、ロアは何とも返さなかった。
 三日月は宙に文字を書くように指先を動かす。

「それまで、整備はおやっさんとかヤマギがやってくれてたんだ。だからロアになって、ちっちゃいロアがふわふわ移動してるの見るの、ちょっと楽しかったなあって」
「そんなこと考えてたんですか」
「うん。待ってる間、暇なときあるから。ふわふわしに来なよ、火星まで帰るとき」
「構いませんが、バルバトスの整備が宇宙で必要な場合は、つまり戦闘なのでは……」
「俺、よくコックピットで勉強してるんだ。両目のほうが本が読みやすいから」

 三日月の右目と右腕は、バルバトスと阿頼耶識接続しているときのみ動くということは知っている。ロアは、そういうことならと頷いた。
 バルバトスの整備をしていた頃を思い出すと、鉄華団に加入した当初のことも思い起こされる。ロアは少し笑って、笑えていることに驚いてまた笑った。

「なに、楽しそうだね」
「ずいぶん変わったなと思うと、すこしおかしくて。こうやって雑談しているのも、日向ぼっこしているのも」
「良いじゃん」
「はい。変われてよかったと思います。以前のわたしなら、きっとラディーチェさんの通信を盗み聞きしようだなんて思わなかったでしょうから。上から降りてきた言葉に疑問を持つなんて」
「定時外の通信で、なぜかロアだけで、すごい早口でラディーチェのことを伝えてきたとき、俺はいなかったけどオルガたちはすごい焦ったんだって。行動力で言えばタカキが一番だろうに、ロアだったから。ロアしか動けないんだろうってなってさ」
「そのあと捕まってしまいました」
「ほんと気を付けて。三回目はないようにしてよ」
「努力します」

 あのとき、ラディーチェの通信を聞かなかったら。目的の見えない戦争はさらに長引き、団員はさらに死んでいた。ロアがオルガに現状を伝えることも当然なく、三日月がアストンとマクギリスの間に降り立つこともなかった。きっとタカキは家に帰れないままで、ロアやアストンがフウカ作のシチューを再び飲むこともなかった。

「ブルワーズでは、人材は使い捨てでした」

 忙しそうに動き回る団員を眺めながら言う。

「わたしも、それに慣れていました。死ななければいいなとは思うものの、死んだとしてもあまり心が動かなくて。……そんなだったのに、守らなきゃと思いました。一刻も早く死傷者が出ないようにしなければと、それだけで。ギャラルホルンに接触するのも、今思うと相当な賭けでした」
「……チョコの人にはあんまり近づかないでよ」
「え、なんでですか?」
「なんか……なんかさ……」

 スッとまた火星ヤシが差し出されたので受け取る。今回も当たりだった。咀嚼していると、三日月がおもむろに立ち上がる。

「そろそろ、俺行くよ。何か手伝ってくる」
「ではわたしも」
「ロアは駄目。昼寝してからおいで」

 アストンらと同じようなことを言われて、浮かしかけた腰を戻す。アストン相手ならば「もう休憩はとった」と粘ったが、ある意味上司の三日月相手に反論は中々出来ない。心配されていると分かっているので余計に口答え出来ず、そのまま仰向けに転がった。
 青空と、視界の端に三日月がいる。
 三日月は寝転がったロアを見てどこか満足そうに頷いていた。
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