アルカディアを臨む


 仲間の死には、何度も遭遇してきた。鉄華団となる前からずっとだ。
 決して慣れることはないが、一々立ち止まることも出来ない。戻る場所がない子供たちは、進み続けることでしか生きられない。足を止めるのは死んだ仲間への冒涜だ。
 進め。止まるな。前へ。本当の居場所に辿り着くまでは。

「死んだらしい」

 沈痛な面持ちで声を絞り出したオルガに、集められていた面々は首を傾げた。ユージンやシノや昭宏や三日月らはそれぞれ、自分の目の届く範囲で仲間の死を見ていなかった。唯一にして最強の遊撃隊長である三日月はともかく、他は部下とともに行動していた。己の部下に犠牲は出なかったはずだし、他の隊からもそんな話は聞いていなかった。
 オルガの後ろでは、メリビットが唇を噛んでいる。手を白くなる程握っていた。
 三日月は不快な感覚に、ぶわりと髪を逆立てる。感じていた嫌な予感が、体を這いずっていた。

「……誰が?」
「ロアだ」

 船医のロアは対MA(モビルアーマー)作戦に組み込まれていなかった。クーデリアの所へも向かっていない。この基地内にいるはずなのだ。それが、気づかぬ内に死んだという。
 困惑するユージン、シノ、昭宏をよそに、三日月は冷静な声で問いかけた。
 
「オルガ、ロアはどこに行ってたの」

 常と変わらない三日月の声に、オルガが少しだけ眉をひそめる。何か言いたげに口を開いたが、三日月が殺気立ったことに気付いたのか、問いに答えるだけだった。

「……農場プラントだ」
「そこって、MAの攻撃で全滅してたとこじゃねぇか……!」

 ユージンが声を上げる。農場プラントは、MAのビーム兵器によって焼き払われてしまっていた。少なくない人数が仕事をしていたが、生存者はいないとハッシュやライドから聞いていた。
 農業プラントはMAの進路予想から大きくそれており、避難勧告は不要と判断していたが、MAの進路が変わったために焼き払われたのだ。
 三日月は口を閉じ、オルガたちのやり取りに耳を傾ける。
 
「ついさっき、そのプラントの奴から連絡があった。九割はシェルターに避難して無事だったそうだ。あとの一割と……"避難誘導に来てくれた鉄華団の団員"は、確認できないと」
「それがロアなのか」
「女の団員なんて、ロアとメリビットさんとアトラ以外にいねぇだろ。外見の特徴も一致する」
「ロアが一人で向かってたのか」
「ああ。廃棄予定だったMWを出したみてぇだな。プラントが危ないと思って、避難誘導に向かったらしい」
「なんで……せめてMSなら、ナノラミネートアーマーでMAのビーム兵器を防げたってのに……」
「無理だよ。ロアはMSに乗れない」

 三日月が口を挟むと、なぜ、とオルガが言う。
 
「ロアは、そういう大事なものを扱えない」

 オルガに相談せずプラントへ向かったのも、似た理由だと三日月は感じていた。たとえ廃棄前のMWでも、自身が乗ることにうしろめたさがあったのだろう。鉄華団に来た当初のロアならば、絶対にしないことだ。必ずオルガに許可をとってから搭乗する――が、それ以前に、プラントへ避難誘導に向かうべきだという提案もしないだろう。オルガらが不要と判断したことに、以前のロアが口を出せるわけがない。
 農場プラントの避難が必要であると独断し、廃棄予定とはいえ無断でMWを出す。ロアなりのわがままだったのかもしれない。
 
「……ったく、カッコつけだな、あいつは」

 ファミリーネームを与えた昭宏が、険しい顔で呟いた。三日月も同意する。
 葬式のような空気は短い間だった。進み続ける鉄華団は、仲間の死に引きずられている場合ではないのだ。

「オルガ、タービンズの姉さんたちに怒られるんじゃねー?」
「だよなあ……ロア、タービンズに誘われてたからなあ」
「嬢さんは知ってんのか?」
「いや、これからだ。アトラもな。お前らは部隊のやつらに知らせててくれ」
「じゃあ、俺がクーデリアに連絡しとく。オルガはナゼさんとかに連絡するんでしょ」
「ああ頼む、ミカ」

 ロアは戦闘員ではなかったが、炊事係のアトラを手伝ったり船医としての役割であったり、団員とは広く交流していた。元ブルワーズの少年たちとは言わずもがなだ。女性ということでタービンズから誘いもあり、小柄なためかタービンズの女性パイロット陣に可愛がられてもいた。
 三日月は首を回すようにして右側を見る。左目で自分の右側を見て、その位置に立つシノを見上げて、ため息をついた。

「ちょ、なんだよ三日月」
「なんでもないよ」

 ロアの訃報が本題だったようで、ひとまず解散となる。丁度、ここまで三日月を運んだハッシュが荷運びから戻ってきたので、三日月はまたハッシュに運搬されることになった。
 三日月は医務室にある通信設備を使うため、ハッシュに担がれて基地内を進む。揺れる視界は、逆さまになったハッシュの背中しか見えない。

「えらく短かったけど、何の話だったんですか?やっぱりMAの?」
「ロアが死んだんだって」
「……は、ロアさん?前線には出てなかったんじゃ」
「プラントにいたらしい。農場の人は、ロアが避難させてほとんど無事だって」
「……」
「……」
「……」
「何か言いなよ」
「ってぇ!なんで背中殴るんですか!」

 悪魔や筋肉ゴリラと揶揄される三日月の拳を背に受け、ハッシュがたたらを踏む。日々のトレーニングの賜物か、暴挙に及んだ三日月を落とすことはなかった。
 文句を言うハッシュの声は、いつもよりトーンが落ちている。
 担ぎ直された三日月は、凛々しい眉を目一杯寄せる。文句を聞き流しつつ、舌打ちを一つ。

「……不機嫌ですね」
「仲間が死んで上機嫌なヤツなんていないでしょ」
「……まあ、そりゃそうだ」

 焼き払われたプラント近くには、三日月もハッシュもいた。MAがビーム兵器を用いたときにはライドしかいなかったが、そのすぐ後に駆けつけられる程度には近くにいたのだ。
 MAとMSの特性が分かっていなかったあの時点では、少し早くプラントに着いたところで何もできなかったかもしれない。だが、もし、あのプラントにいるロアに気付けていたら。MAの進路変更に早く対応できていたら。
 そんな"もしも"を、三日月は己自身で切り捨てた。
 三日月は、過去を悔いることをしない。今どれだけ悩んでも、過去に戻ることは出来ないと知っている。取り返しのつかないことを、取り戻すことは絶対に出来ない。

「……目が見えないのは、こんなにイライラすることだったかな」

 左側だけの視界は、妙に狭かった。



 昭宏の部下は、ブルワーズから保護した少年が多い。自身が元ヒューマン・デブリであり、同じ境遇の彼らを放っておくことが出来なかったのだ。口下手なので分かりにくいが、昭宏は彼らを熱心に鍛え、あたたかく接し、ファミリーネームを与え、実の弟のように可愛がっているのだ。
 そのため、ロアの訃報によるショックは大きかった。元ブルワーズの少年たちがロアを慕っていることはもちろん、ブルワーズ出身でなくとも彼らの影響でロアを"姉貴"と呼ぶ少年たちばかりなのだ。
 昭宏は部下にロアの訃報を伝え、仕事に戻った。ショックの大きい部下には休むように伝えたものの、動いている方が良いからと、結局みんなで仕事を続けている。
 
「あっ昭宏さん!」

 グシオンの調整が一段落したところで、少年が駆け寄って来る。いわく来客だそうで、どうすればいいか分からず、たまたま目に入った昭宏を頼ったらしい。

「団長は歳星に出発するし、メリビットさんもそっちに行ってるし、副団長がどこにいるか分かんなくって。お客さんは誰でもいいとか言うし……」
「……分かった。とりあえず、俺が行こう」
「ありがとうございます!えっと、応接室ってとこに案内してます」
「おう、サンキュ」

 昭宏はタオルで汗をぬぐい、鉄華団のジャケットを羽織った。普段の来客対応は、団長であるオルガや副団長のユージン、渉外担当も兼任しているメリビットあたりが出るのだが、軒並みいないのならば仕方がない。
 応接室に入ると――以前よりマシとはいえ――埃っぽい鉄華団には似合わない、上品な雰囲気の男性がいた。ギャラルホルンの管理部門であるセブンスターズの一角、マクギリス・ファリドだ。
 マクギリスがトップを務める地球外縁軌道統制統合艦隊と鉄華団は協力関係にあり、この数日はMA(モビルアーマー)討伐のため、頻繁に連絡をとっていた。現場にも共に出動しているので、昭宏もマクギリスのことは知っている。
 昭宏は少しばかり警戒を解いたが、彼は一筋縄ではいかない男だ。腹の底に力を入れた。
 マクギリスは大きな花束をテーブルに置いて、応接室にたたずんでいる。側近の石動の姿はなく、一人らしい。

「グシオンのパイロットか」
「昭宏・アルトランドです。今、団長たちは事後処理で出払ってるんで、俺が」
「ああ、分かっている。私も地球でセブンスターズの会議があるのでね、長居するつもりはないよ。あの少年でも良かったのだが、すぐ飛び出してしまって」
「……なんか、すんません」
「構わない。あと、もっと力を抜いてくれていい。仕事の話ではないんだ」

 マクギリスはテーブルに置いた花束を持ち上げ、昭宏に差し出す。大きな花束は昭宏の上半身と同じくらいの大きさで、腕にずっしりとおさまった。
 花束は、落ち着いたオレンジとレモンイエローをメインに取り入れており、穏やかな日差しを思わせる。昭宏は花の名前など知らないが、花束の大きさだけを見ても、とても高額だろうとは察せられた。

「立派、ですね」
「ああ。ロアが亡くなったと聞いて、火星を発つ前に時間を作ったんだ。どうか、ロアの部屋にでも飾ってほしい」
「は?」

 思わず、素っ頓狂な声が出た。
 以前、ロアがマクギリスに保護されたことがあったが、それだけだ。鉄華団はマクギリス・ファリドと協力関係であり、要事は連絡を取るが、船医であるロアは関わっていない。
 昭宏は花束を崩さないよう注意して、マクギリスをうかがった。
 マクギリスが花を手向けに来たことなど、今までの戦闘では一度もなかった。それに不満を覚えたことはない。なぜなら、彼との関係は、タービンズのそれとはまったく違う温度だからだ。仲間や家族よりも遥かに冷たい、ただ"利害の一致"である。
 
「あんた、そんなにロアを気に入ってたのか」
「不満かな」
「いや、そうじゃねえけど……」
「ただの、自分勝手な贖罪だよ」
「……なんで、よりによって鉄華団の人間を?そういうことはギャラルホルンの仲間にすりゃあいいだろ」
「ギャラルホルンを裏切っていると言っても過言ではないのに?」
「……」
「あまり気にしないでくれ。では、私はこれで」

 急いでいるせいか、マクギリスはあっさり会話を切り上げてドアに向かう。ロアに花を届けに来たと言いつつ、悲しんでいるのかさえ分からなかった。
 しかし、こうして時間を作ってでも鉄華団を訪れているのだから、特別な存在であったのは確かなはずだ。
 昭宏は大きな花束を抱いたまま、マクギリスを呼び止めた。

「生まれ変わりって、知ってるか」
「……聞いたことはある。死後、肉体を離れた魂が、再び生を受けると」
「くだらねぇって言われるかもしんねぇけど、俺はそれを信じてる。死んだ弟とも、また会えるってな。ヒューマンデブリなんてもんじゃなく、幸せな家でさ」

 今でも、目を伏せると昌弘の最期が鮮明に思い出せる。ヒューマンデブリという存在に人生を狂わされ最期まで苦しめられた弟が、このまま苦しみ続けるなど認められない。葬送をもって解き放たれたならば、きっと、次こそ。
 ブルワーズで長く虐げられていたロアも、今度は普通の女の子として、穏やかに過ごせるはずだ。そうでないとやり切れない。
 生きている自分たちの慰めにしかならないのだとしても、そう願ったっていいだろう。
 マクギリスは昭宏の言葉に目をしばたたき、口元を緩めた。

「慰めてくれているのか?」
「分からん。ただ……ヒューマン・デブリが人間になれたんだ、また会うことも出来るだろ」
「ふ、はは!敵と巡り会うのは御免だが、中々素敵な考え方だ」
「馬鹿にしてるだろ」
「いいや、感心している」

 昭宏が不服を表情に表すも、マクギリスは涼しい顔だ。

「二度目の人生など考えたことはなかったが、そうだな……ロアを君たちのような危険な集団には近付けないようにしたいものだ」
「……マジでどういう関係なんだ、あんたら」
「さあ。好きに想像してくれ」

 確か、ロアは地球の出身だと聞いている。その時にマクギリスと顔を合わせでもしたのだろうか。
 昭宏は頭を振って、意味のない疑問を追い出した。もうロアに確認することは出来ないし、マクギリスも話す気はないらしい。鉄華団にとって都合が悪いことではないのならば、今更自分が気にすることでもあるまい。
 マクギリスは前髪をもてあそんでいた指を離し、では、と今度こそドアに手をかけた。

「っあ、石碑……慰霊碑みたいなもんだ。死んでいった奴らの名前が刻んであるだけなんだが」
「……いや、構わない。ロアだけならともかく、私と顔を合わせたくない者もいるだろからね」
「そうか。じゃあ、花束(これ)は言われた通りロアの部屋に置いておく」
「ああ、ありがとう」

 二人で応接室を出たものの、すぐに分かれる。マクギリスは一人でさっさと外へ向かい、見送りを断られた昭宏は、ゆったりとした足取りでロアとアトラの部屋に向かった。
 またアトラが泣くかもしれない。そう考えると昭宏の足取りは重くなる。だが渡さないという選択肢もなく、慰め方に頭を悩ませながらアトラの姿を探した。



 火星にある鉄華団基地の近くには、サクラ農園を見渡せる岬がある。青々した農園に対し、岬は草花がなく地肌が剥き出しで、寒々しい印象を抱かせる。
 岬の先端には、大人の腰ほどの高さがある石碑が一つ建てられている。中央上に鉄華団の団章が入り、以下は戦死した仲間の名前が刻まれている。
 三日月は、石碑の前で足を投げ出して座っていた。ここまで運んできたハッシュは先に戻らせ、眠る前にでも回収しにくるよう頼んでいる。
 石碑に整った字が並ぶ中、一つだけ乱れたアルファベットがある。唯一、人が手で刻み込んだのだ。
 三日月はその文字を見つめたまま、じっとしていた。時折、思い出したように火星ヤシを食べては、またじっとする。
 日が完全に落ちた頃、三日月はおもむろに口を開いた。

「……これ、彫ったんだね」
「団長に許可もらってる」

 三日月は振り返りもせず問いかけたが、背後の人物に驚いた様子はない。ざくざくと歩いて来て、三日月の左隣で立ち止まる。考えるような雰囲気の後、三日月と同じように足を投げ出して座った。
 三日月は、左目で隣を確認する。顔色の悪いアストンが墓石を睨んでいた。

「アストンが彫ったの」
「ああ。あんまり、綺麗には出来なかったけど」
「俺よりは綺麗だよ、きっと」
「アルトランドも入れようと思ったんだけどさ。汚くなりそうでやめたんだ」
「ふうん」
「……馬鹿だよな、姉貴」
「そうかもね」
「……農園の人が助かったのは良かったけど、誰かが一緒に行ってれば、MSで庇うことも出来たのに」
「……」
「団長たちには言いにくくても、昔から一緒の俺らには相談してくれたっていいだろ」
「……」
「馬っ鹿だなあ……」
「アストン、手」

 三日月はポケットを漁り、数個の火星ヤシをアストンの手に乗せる。アストンは困惑気味に受け取ると、早速一つを口に放り込んだ。
 仲間は今までに何度も喪った。三日月にとって最も衝撃が大きかったのは、エドモントンでの戦いよりも前の、ビスケットの死だ。あの時はオルガもショックが大きく、一日で立ち直るようなことは出来なかった。
 三日月は"Biscuit Griffon"の文字を目でなぞって、またロアの名を見つめた。
 三日月やオルガにとってのビスケットが、アストンにとってのロアなのだ。
 隣から大きなため息が聞こえた。体中の空気を全て抜くかのような重さがあった。

「……今いるブルワーズの奴らの中で、姉貴の次に、俺が長いんだ」
「らしいね」
「だから、姉貴とも一番付き合いが長い。あっちにいた頃は、まともに話すことも少なかったけどな」

 三日月はアストンを慰めなかった。得意ではないし、誰かに慰められたところで、アストンが立ち直るとも思えない。
 ビスケットが亡くなった時も、三日月はオルガを慰めるようなことはしなかった。見方によっては厳しすぎる言葉をかけて、オルガを叩き起こした。いつまでもくよくよしている時間はなかったからだ。
 三日月自身もそうやって仲間の死を乗り越えてきた。ショックが大きくても立ち止まらない。悲しみや怒りを抱えて、自分の最善を探すのだ。
 
「姉貴に懐いてたのはチビたちだろうけど、俺も、親しい方だったと思う。俺だけじゃない、皆の支えだったんだ。あの環境で唯一、俺らを人として扱ってくれた」
「……なんとなく分かる。ここも鉄華団になる前は、そういう場所だったから」
「俺、自分が思ってた以上に、姉貴に頼ってたんだなって……なんか、悔しい」

 "悔しい"。悲しいや苛立ちではなく、"悔しい"。
 三日月は、一人で頷いた。合点がいった。多分、己も悔しいのだ。
 三日月はとても優秀なパイロットで、事実、対MS(モビルスーツ)兵器であるMA(モビルアーマー)を単独で撃破して見せた。右半身麻痺という代償はあったけれど、阿頼耶識で繋がれば動くので問題はない。
 戦う力はあるのに、守れる距離にいた彼女をみすみす殺した。

「三日月は、姉貴と仲良かったよな」

 アストンが鼻をすすりながら言う。自分の中で区切りをつけたような、少しだけ吹っ切った声に聞こえた。

「バルバトスの調整だよ。前はおやっさんが全部みてたけど、今はMSが増えて、おやっさん引っ張りだこだから。グシオンもあるし」
「流星号にもヤマギがついてるもんな」
「これからは、またおやっさんに頼むか、ちょっとヤマギ借りようかな」
「……三日月は」
「なに」
「姉貴のこと、どう思ってた」
「……どうって」

 同じ仲間だが、ユージンやシノらとは全く違う。ロアは戦場に出て戦わないからだ。アトラやクーデリアも同様、彼女たちはとても脆い。
 アトラは小さなころから三日月やオルガとつるんでおり、炊事係として重宝されている。アトラがいなければ、鉄華団の生活はもっと荒んでいただろう。特に食事面において、アトラの役割は大きい。
 クーデリアは言葉で戦う。育った環境の違いから考え方の食い違いもあったが、気高い心と理想を持ち、それを実行する強さがある。今では鉄華団の大事な仲間だ。
 ロアは、傷ついた仲間を冷静に手当てしてくれる。独学ながら、船医という役割をこなしていた。知識が広く、バルバトスの調整もすぐに覚えてしまった。女の阿頼耶識持ちというだけではなく、学のない者ばかりの鉄華団では特殊な存在だった。
 アトラやクーデリアとも、ロアは違う気がする。阿頼耶識を持っているからだろうか。二人よりも身近で、二人とは違った親しみを感じていた。

「アトラとかクーデリアのことは、守らなきゃいけないと思う。いつも危ない所にいるし、突っ込んでいくし。……でもロアは、前線にいる方が少ない」
「船医だからな」
「守るよりも……生きていてほしいと思ってたよ。鉄華団を離れてもいい。ああでも、目を離すとすぐ攫われてるから、やっぱり近くにいないといけないかな」
「……今回も、知らない間に死んでるし」
「うん」

 三日月は、左手で右目に触れた。触っている感覚はあるのに、触られている感覚はほとんどない。奇妙な感覚だ。

「ロアはいつも俺の右側にいたんだ。俺からロアは見えないけど、お互いがお互いの目だった。だからかな、今も、俺の右に座っているような気がしてくる」

 三日月が右目の視力を失ったのはずっと前なのに、当時よりも視界が狭くなったような気がする。オルガやアトラに対するものとはまた違う、"己の片割れ"という感覚がロアに対してあったのだ。

「……よく見てた、あんたたちが一緒にいるの」
「そんなに一緒にいないでしょ。ロアは地球支部にいたし」
「そうだけど、印象がさ。なんか似てるんだよ、あんたら」
「アトラに、『後ろ姿だと双子みたい』って言われたことがあったなあ」
「はは、分かるかも。姉貴はちっせえしな」

 横目で見たアストンは、泣きながら笑っていた。
 三日月は泣かずに、少しの間目を閉じていた。

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