少女の夢想(2/2)


 部屋のドアがノックされて慌てて開くと、今度こそ、オルガの姿があった。
 オルガに続き、ユージン、シノ、ヤマギ、ビスケット、三日月が入ってくる。ユージンはロアを抱えており、部屋のソファに下ろしていた。
 いつもつけている眼帯が外れ、閉じたままの左目が見えている。顔を何度か殴られているのだろう、頬は腫れ唇は切れているし、紫色の部分もある。クーデリアが貸した長袖ゆえに隠れているが、腕にも傷があると思われた。
 クーデリアは、ロアに駆け寄ってソファの前で膝を折る。
 もし、クーデリアの服を借りていなければ、ロアはうなじの阿頼耶識によってクーデリアではないと判断されたはずだったのに。なんということだ、自分のしたことが全て悪い方向へ向かっている。

「ロアさん、その怪我、」
「大したことはありません」
「でも、抱えられて」
「靴を置いてきてしまっただけです。大事ありません」
「手当をしましょう。少しですが、救急セットがありますから」
「自分でできます。汚れますから、構わないでください」

 クーデリアが近づくと、ロアはあからさまに避ける。クーデリアは行き場のなくなった手を握り、震えそうになる足を叱咤して立ち上がった。

「本当に申し訳ありません、私のせいで」
「……貴女や、アトラさんではなく、幸いでした。私は丈夫ですから」
「っそういう問題では……!」

 見上げてくるロアの顔に、感情は感じられない。クーデリアからそうそうに視線を逸らし、怪我の具合を確かめるように腕を動かしていた。
 クーデリアは救急セットを出し、けれど手伝うことは出来なかった。アトラがロアの隣に座るのを苦い気持ちで見つめ、通信機を握るオルガらへ歩み寄る。

「オルガさん」
「ああ。フミタンのことは、さっきアトラから聞いた」
「どうか、探しに行かせてはもらえませんか。このまま別れられません。フミタンと、ちゃんと話をしたいのです」
「気持ちは分かるがな……既に、労働組合側が行進を始めてんだ。俺らは一刻も早く、ここを出なきゃならねぇ」
「そんな、フミタンは……!」
「まあ待てよオルガ。どうせ、まだイサリビとは連絡とれねぇんだろ?なら、ギリギリまで探してみようぜ」

 シノが助け舟を出してくれる。イサリビは荷おろしと同時にコロニーを離れており――積み荷が武器であると分かった段階で、オルガが鉄華団の艦があると不都合だと判断したのだ――未だ
連絡がとれていない。クーデターによる影響で、民間の回線が規制されているのだ。
 オルガは片目をつむって、ため息を吐いた。




 クーデリアがフミタンの姿を認めたのは、労働組合の行進を挟んで、反対側の路地だった。
 探し始めてから三十分、ホテルの部屋へ引き上げるタイムリミット直前だった。
 
「フミタン!」

 その時、クーデリアの頭の中は"フミタンを見つけた"という喜びでいっぱいだった。労働組合の行進へ、躊躇なく駆けだしてしまったのである。
 このクーデターの糸を引いたのは、クーデリアの名を騙ったノブリス商会。労働組合側の目的は、待遇改善のための交渉だが、ノブリスの目的は違う。混乱に乗じて、クーデリアを殺すことだ。
 飛び出してすぐに、まずいと思った。しかし、行進に巻き込まれ、身動きが出来ない。
 後ろから仲間の声がする。前方のフミタンはクーデリアに気付き、踵を返してしまった。

「フミタン、待って!」

 手を伸ばした先、女性のクーデター参加者が、クーデリアに気付いた。クーデリア・藍那・バーンスタインの協力があると思っている労働組合だ、クーデリアの顔も当然知っていた。
 クーデリアがいると気付いた組合員が集まり、さらに身動きが取れなくなる。
 そして、行進前方のドルト本社で爆発が起きた。
 地面を揺らす爆音に、クーデリアは前方を確認する。確かに、黒い煙が上がっていた。

『自体窮迫につき、危害射撃を開始する!』

 デモ隊と対峙していたギャラルホルンから、そんな声が飛んだ。クーデリアの近くの組合員は、自分達ではないと声を荒げている。
 ――ギャラルホルンの自作自演だ!
 クーデリアがそのことに気が付くのと、銃撃音が響き渡るのは同時だった。
 刹那、強い力で突き飛ばされた。




 クーデリアが目を開けた時、周囲はまさしく死屍累々だった。建物は傷つき、街灯は折れ、大通りは血まみれだ。組合員は折り重なるようにして倒れ、ピクリともしていない。一方的な虐殺だった。
 ついさっきの銃撃が嘘のように静まる。耳に残る音が頭をガンガンと揺らしていた。

「クーデリアさん!」
「お嬢さん!」

 呆然としている間に、路地に引き込まれる。自力で立ってはいるが、足は震えていた。
 なんで、どうして、こんな。
 大通りに、一つだけ、労働組合のジャケットを着ていない人が倒れている。見慣れた青いベストと、まとめあげられた黒髪。倒れ伏したその姿に頭が真っ白になる。
 クーデリアの視線の先に気付いたオルガが叫んだ。

「まだ生きてるぞ!シノ!」
「あいよ!」

 フミタンは息こそしているものの、被弾しており、危ない状態だ。意識もなく、か細い息の音が妙に大きく聞こえた。
 
「フミタン、フミタン、ねえ、フミタン」

 ――「急いでホテルに」「この怪我じゃ危ねえぞ」「イサリビに連絡とれるか」「やってみないことには」「止血くらいしかできない」「あっちで爆発が」「暴動が拡大してる」「こりゃ他のコロニーでも」――
 上手く思考できない。どうすればフミタンを助けられるのか。なぜこんなことになったのか。あの仮面の男が来なければ、フミタンはまだそばにいてくれたはずだ。この先も、一緒に地球へ行って、一緒に進んでいけるはずだった。
 鉄華団のエンブレムを追いながら、大通りの惨状が頭をよぎる。どうしてあんなことになってしまったのか。ノブリス・ゴルドンのせいか。いや、自分の名前が使われたというのならば、原因は少なからず自分にもある。苦しんでいる人々を幸せにするのが、自分の目的だったはずなのに。
 フミタンが傷ついたのも、組合員が死んだのも、もしかして自分のせいなのか。どうして自分は、こんなにも無力なのだろう。
 ぐるぐるぐるぐる、終わりのない問答を繰り返す。足がふらつき、倒れかけたその時。クーデリアは、自分を見据える研ぎ澄まされた目にようやく気付いた。
 ロアの一つだけの目が、クーデリアを刺している。

「いい加減に、してくれ」

 ブルワーズ時代からの仲である少年たち以外には、決して敬語を外さないロアが、低い声で吐き捨てた。
 大声で怒鳴られたわけではない。いたって静かな声だ。にも関わらず、クーデリアは身がすくんだ。ロアの声には、怒りや苛立ち、失望が混ざっている。
 クーデリアとロアの間で、アトラがおろおろと狼狽えている。先を歩いていたオルガたちも、何事かと足を止めていた。
 ロアは一呼吸おいてから続けた。

「賦抜けるのは、イサリビに戻ってからにしてください」
「ロアさん!クーデリアさんは、フミタンさんがあんなことになって、まだ混乱して……っ」
「ええ、アトラさんの言うとおりなんでしょう。……ですが貴女は、己が与える影響を自覚していなかったんですか。独立運動は戦争と隣り合わせであると考えたことはなかったんですか」
「っ私は、」
「貴女が動けば、人が死にます。そのことは、十分承知しているはずでしょう。この期に及んで、『子どもだから綺麗な部分しか受け入れられない』とでも言うつもりですか。今までの犠牲を、犬死にするつもりですか」
「そんなつもりはありません!」
「ロア、言い過ぎだよ」

 ヤマギが、ロアをなだめにかかる。ロアはヤマギに謝ったが、引くつもりはないようだった。
 
「覚悟が出来ないのであれば、ドルトコロニーを出た後、火星に帰ればいいと思います。賦抜けた貴女のために彼らが死ぬのは、我慢なりません」

 ロアは小さく頭を下げて、クーデリアに背を向けた。オルガたちがロアを注意しているが、それは否定ではない。少なからず、彼らも思うところがあったのだろう。
 クーデリアは崩れそうな足で彼らに続いた。アトラが労わるように寄り添い、早足のオルガらに遅れないよう手を引いてくれていた。
 空いている手できつく己の頬を叩く。小気味いい音にアトラが慌てるが、大丈夫だと頷いた。
 こんな痛みがなんだ。鉄華団の団員は、いつもこれをはるかに上回る痛みに耐え、戦っている。クーデリアを庇ったフミタンも、クーデリアを守るために鉄華団が対峙してきたギャラルホルンの人たちも。
 クーデリアが立ち止まってはいけない。これがオルガの言う"筋を通す"ということなのだろう。



 民間の回線が制限され、宇宙港が全て閉鎖という事態に陥ったものの、一向はイサリビへの帰還を果たした。
 クーデターやギャラルホルンの掃討作戦に疑念を持った報道クルーと偶然出会い、彼らの専用回線を借りてイサリビと通信が出来たのだ。そして労働組合側を迎撃にきたギャラルホルンと交戦しながら、また彼らの専用ランチを借りてイサリビへ帰還した。
 クーデリアは、報道クルーに、自分の声を届けてほしいと頼んだ。あのクーデターの真実を訴えるためだ。結果、ギャラルホルンに喧嘩を売り、一時は四面楚歌となったが、戦闘が開始されることはなかった。これ以上信用を落とすわけにはいかないと判断したギャラルホルン統制局が、作戦の中止を命じたのである。
 かくして、ドルトコロニーにおける革命は、成功をおさめたのだ。



 眠れずに足を向けた食堂で、ロアと顔を合わせた。厨房で作業しているロアは、クーデリアに気付くと軽く会釈する。深夜にも関わらず、丁寧に何かの生地をこねていた。
 クーデリアは水差しからグラスへと水を注ぎ、カウンターキッチンの中が見える位置の椅子を引いた。
 ロアは、まるでクーデリアがそこにいないかのように、構わず生地をこねている。
 彼女の顔にはもう腫れはないが、痣は残っている。顔だけではない、腕にも足にも、傷跡があるのを知っている。

「……ロアさんは、私のことを嫌っているのだと思っていました」

 何気なく切り出してみる。ロアからの返答はない。変わらず、生地をこねている。

「当然です。どこかで甘えていた私は、沢山の血を見るまで、フミタンが倒れるまで、そして貴女に突き付けられるまで……浅はかでした。そんな部分は、最初の戦闘で捨てたと思っていたのに、私はまだまだ愚かでした」
「……」
「私は、貴女にお礼を言いたいのです。叱ってくださったこと、そして、フミタンのこと……。貴女の適切な止血があったからこそ、最期に、ゆっくり話すことができました。感謝しています。ありがとうございました」
「……」
「何をしているのですか?」
「クッキーを作っています」

 言いたいことは、一方的に話した。一度も応答はなかったが、クーデリアは満足していた。受け止めてはくれなくとも、知っていてほしかったのだ。
 疑問形で話すと、ロアはきちんと返事をくれる。それが少しだけおかしくて、クーデリアは密かに笑んだ。

「なぜこんな時間に?」
「以前、歳星で買ったものがおいしかったから、また食べたいと。作ってほしいと頼まれました」
「……深夜ですが」
「昼間に厨房を使うのは、アトラさんの邪魔になります。私も昼間にしておきたいことがありますから、夜に行うのが妥当かと思いました」
「皆さん、そんなつもりで言ったのではないと思います。夜はきちんと休むべきです。眠って、一日の疲れを取って、翌日に備えるのです」

 途端、生地をこねる音が止んだ。
 クーデリアの見つめる先で、ロアはなぜか静止している。数秒そうして固まってから、シンクへ移動して手を洗っていた。ラップで生地をくるみ、冷蔵庫へと仕舞う。クーデリアはクッキーの作り方を知らないので、一体どういう工程なのか分からない。
 動向を見守っていると、ロアが不意にクーデリアを見た。ぐっと閉じだ唇は何かを逡巡しているようだ。あの路地での怒りや失望はうかがえないが、何となく苛立っているような気がした。
 また、自分は何か失言をしてしまったのか。クーデリアは背筋を伸ばしてロアの言葉を待つ。
 ロアは深くため息をついてから、クーデリアに向き直った。

「私は、クーデリアさんのことが嫌いです」

 気づいていたとはいえ、本人から告げられると辛いものがある。眉を寄せながら、はい、と頷くと、ロアはばつが悪い顔した。

「鉄華団で、人間になることを許されたからこそ、羨ましいと思ってしまいます。綺麗な環境で育ち、綺麗な世界を目指す、綺麗な貴女が、妬ましいんです。夜は休むことを当然と疑わない貴女が、私は羨ましくて、嫌いです」
「はい」
「だからこそ、貴女には生きてほしいと思います」

 ロアの声には力があった。
 クーデリアは思わず瞠目した。恨み言の一つや二つ、覚悟していた。"綺麗なまま"のクーデリアがあるのは、ロアが身代わりになってくれたお陰に他ならない。二人きりの今、いかなる罵倒にも耐えようと腹に力を入れていたというのに。
 クーデリアに生きてほしいというロアは、建前で言っているようには見えなかった。

「クライアントである貴女を生かすのは当然ですが、これは私情です。クーデリアさんの姿は、私の夢なんです。無垢だったころの私が夢見た女性の姿。私はもう、そんな場所には立てません」
「っそんなこと、誰が決めたというのですか。ロアさんだって立派な女性です。皆から慕われ、頼りにされ、賦抜けた私を叱咤してくれました。素敵な女性に他なりません」
「そう口にできる貴女が羨ましいんです。だから、幸せになってほしい」
「でしたら、一緒に幸せになりましょう!」

 テーブルに手をついて立ち上がる。引いたままの椅子を直さず、つかつかと厨房に入った。
 鉄華団の団員に対して、可哀想という言葉は侮辱に他ならない。考え方の違いも同じだ。彼らの考え方をおかしいと否定するのは、自分が傲慢な証拠だ。
 ロアに同情はしない。だが、ともに歩くことは諦めない。ロアは鉄華団に入ってクーデリアを護衛するという任を与えられた時から今まで、一度もそれを放棄していないのだ。
 ロアは既に示してくれている。ならば、自分も示さなければ。

「私は、ロアさんがもっと生きていたいと願う世界を作ります。それが私の夢ですから」
 
 とびきりの笑顔で言い切ると、今度はロアが瞠目していた。クーデリアが目の前に立っても退かず、視線も合わせたままだ。
 しばらく見つめあい、ロアがふいと視線を外した。女性にしてはしっかりとした手を、自身の短い髪に持っていく。

「……私、髪を伸ばしてみたかったんだ」

 そう言って、照れくさそうにはにかんだ。

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