愛を知りたかったひと(1/2)


 マクギリスは、ギャラルホルンを運営・管理する七家門の一つ、ファリド家の人間でありながら、ギャラルホルンの改革を目論んでいる。
 モンターク商会のトップとしてクーデリアと鉄華団に接触したが、仮面を取るのは早かった。
 マクギリスはマクギリスとして、火星で三日月と面識があったのだ。仮面を被ったマクギリスを、三日月が見破ったのである。
 マクギリスは、取引に同席していたオルガとビスケットにイサリビを案内されているところだった。そこへ、積み荷の連絡のために三日月が加わり、モンタークの仮面を外すことになったのだ。
 マクギリスがギャラルホルンの所属だと知ったオルガに警戒されたが「腐敗したギャラルホルンの変革」を望み、外側からの働きかけを手伝ってほしいのだと告げれば、困惑はしたようだが協力破棄とはならなかった。
 思惑通りに事が運んでいる。マクギリスは満足げに口の端を上げていた。
 不意に、一行の行く先の通路を人影が横切る。

「驚いたな。鉄華団には男しかいないと思っていた」

 素直な感想だった。ちらりとしか見えなかったが、先の通路を横切ったのは女性のはずだ。
 オルガは、突然雑談を始めたマクギリスに拍子抜けしたらしい。頭をかきながら、誰もいない通路を眺める。

「依頼主は別として、三人……いや、メリビットさんは本来テイワズの所属だから、二人だな。炊事係と船医ってところだ」
「なるほど。確かに、必要不可欠な役割だ」
「それがどうかしたか」
「いや……男所帯では何かと大変だろうと思ってね。何かねぎらいの品でもプレゼントしたい」

 三対の目が、じとりとマクギリスを見る。確かに敵意が混じっているのを感じ、くつくつ笑いながら手をひらりと振った。

「安心するといい。君たちの大事なお姫様を、誑かしたりしないさ」





 ディスプレイに映る女性は、怪訝な顔をしていた。訝しみながらもマクギリスからの"お願い"をこうして素直に聞いているあたり、命令に極端に弱い性質なのだろう。好奇心だけで行動するような、軽率な人物ではないように見えた。
 オルガらにはモンタークがマクギリスであることを口止めしておきながら、彼女には贈り物――専用の通信端末を通じて本来の所属を自ら明かした。危険な橋を渡ったのは、彼女が誠実な人間であると確信していたからだ。

「やあ。まずは、こうして連絡をくれたことに礼を言うよ」
『いえ、構いません。ランチに乗った団員やパイロットの無事も確認でき、余裕がありますので』
「今、一人か?」
『はい。同室の方は、地球へ』
「それは都合がいい。君と、ゆっくり話がしたかったんだ」

 初めに見かけたときは、ただ気にかかっただけだった。しかし探りを入れる内、マクギリスの考え過ぎではないと気付いたのだ。

「まず……知っていると思うが、私はマクギリス・ファリドだ。改めて君の名前を聞いてもいいかな」
『……ロア・アルトランドです』

 鉄華団で、アルトランドという姓を名乗る者は多い。しかし、アルトランドを姓とするのは本来一人だけだ。
 昭弘・アルトランド。元ヒューマン・デブリで、鉄華団の優秀なパイロットだ。
 彼には弟がいたらしい。その弟はブルワーズに所有されていたヒューマン・デブリで、鉄華団対ブルワーズとの戦いの中で命を落とした。その戦いの後、鉄華団はブルワーズのヒューマン・デブリたちを引き取った訳だが、ヒューマン・デブリの中には己の名を覚えていない者が多い。そういった少年たちに、昭弘が好意で姓を与えたのである。
 つまり、ロアの姓はアルトランドではない。

「君の姓は、ダルトンだ」
『?』
「ロア・ダルトン。これが、君の本当の名前だろう」
『憶えていませんが……もしそうだとして、貴方と私が連絡を取るのに、どう関係があるんですか』
「ロア、君はいくつだ?」
『二十二程度だと思っていますが、正確なところは分かりません』
「君には弟がいるだろう。ヒューマン・デブリの少年たちではない、血のつながった弟だ。覚えていないか?」
『……』
「私の友人の部下に、姓をダルトンとする、君によく似た男がいる」

 マクギリスの"友人の部下"というフレーズで、ロアの表情が明らかに強張った。弟の存在は覚えていても、その所属が予想外だったのだろう。
 マクギリス・ファリドの友人の部下となれば、ギャラルホルンの所属であると考えるのが普通だ。当然、鉄華団とは敵対関係になる。

「君があまりにも彼に似ていたのでね、少し彼のことを調べた。地球人の父と火星人の母を持ち、兄弟はなし。けれど、友人がぼやいていたよ。『あいつはどうやら、行方知れずの姉を探しているらしい』とね」

 そこまで言えば、ロアは深く長いため息をついた。

『……死亡処理がされているものと思っていました』
「書類上はそうらしいが、遺体が確認できなかったからと。己を奮い立たせるための、誓いのようなものなのだろう。君がブルワーズに入ったのはいつだ?」
『十年以上前です。地球から火星へ向かう宇宙船がブルワーズに襲撃され、捕らえられました。私の他にも子供はいましたが、もう皆亡くなりました』

 当初から抱いていた"拒否を知らない"印象は、虐げられた期間の長さのためなのだろう。
 虐げられながら怒りを育てていたマクギリスとは違い、ロアは順応するために自分の意思を捨てたのだ。

「君は火星の生まれではないのか?」
『弟とは母親が異なります。私は、両親ともに地球人で、地球の出身です』
「火星へ行くのは、父親に会いに?」
『はい。幸い、私の母親と弟の母親の気が合ったらしく、是非会おうという話になった……のだと思います。結局、会えませんでしたが』

 皮肉なものだ。
 家柄や血筋を重視しがちなギャラルホルンに所属する、火星人の母を持つ弟。対して、生まれなど関係なく虐げられる、地球人の姉。おまけに立場は敵対している。弟がマクギリスの友人の部下でなかったら、もう少し穏便な関係だったかもしれないのに。
 マクギリスの脳裏に、その友人がよぎった。彼には、マクギリスの婚約者になった妹がいる。彼らはよく似た、仲のいい兄妹だ。年が離れているので、喧嘩も出来ない――兄が折れざるを得ない――ことが大きいだろう。言い争いも可愛いものだ。
 マクギリスはそっと自嘲した。自分がこうしてロアとその弟のことにわざわざ首を突っ込んだのは、罪滅ぼしなのかもしれないと。
 しかし、利用できるものは利用させてもらう。少し情をかけるだけだ。

「……酷な知らせになるのだが、その彼は今、非常に危険な状態だ」
『そう、ですか』
「そこで、君に提案がある。彼の上司……つまり私の友人を、説得してもらいたい。彼へ機械化の手術を施すようにと」
『……なぜ』
「なぜ?理由など分かりきっているだろう。機械化を忌避するのは、ギャラルホルンの教育に染まった地球人だけだ。決して衰退していい技術ではない。私は友人の部下を助けられ、君は弟を助けられる。……君が望むなら、彼と会えるよう手配もしよう」

 マクギリスの言葉に嘘はない。弟と敵対するのを避けるために鉄華団を抜けたいというのならば、手を貸すつもりでいた。
 弟と同じギャラルホルンの所属を望むならば己の部下にしてもいい。地球や火星へ行きたいというのならば確実に送り届け、必要なものは全て準備しよう。
 マクギリスが思っていたより早く、ロアが頷いた。

『ですが、弟――アインには、私のことを知らせないでください』
「……理由は?」
『今更亡霊が現れても、困らせるだけです。私は、今まで私を忘れないでいてくれた弟に、一方的にお礼をするだけで構いません』
「……そうか。君がそういうのなら、私が無理強いする理由はないな」
『よろしくお願いします。それから、ありがとうございます』

 ディスプレイの中で、ロアが頭をさげる。通信を始めた直後とは違い、マクギリスに対しての不信感が大幅に少なくなっていた。マクギリスが百パーセントの善意で提案してはいないと分かっているだろうに、詮索するつもりはないようだ。
 骨がないというべきか、忠実な部下としては優秀だというべきか。その割には、あの狂戦士と似た目をしている。
 ほんの少し何かが違えば、冷酷な戦士になれただろうと思わせた。





 マクギリスはガエリオに、ギャラルホルン内にある阿頼耶識の研究施設を案内した。阿頼耶識とはギャラルホルンの原点であり、阿頼耶識こそが、ガンダムフレームの実力を引き出せるのだと語った。
 ギャラルホルンであることや血筋に誇りを持ち高潔な考え方をするガエリオは、アイン延命のためと分かっていても、機械化させることに踏ん切りがつかないようだった。
 友人であるマクギリスの言葉でも、ガエリオの顔は渋いままだ。今は凍結している阿頼耶識の研究施設にて、長い間稼働していない機体を見上げている。パイロットのいないMSは、廃棄されていると同義だ。
 マクギリスは懐からPDAを取り出し、苦々しい表情のガエリオに押し付けた。

「なんだ?」
「ガエリオ、是非とも話してほしい人がいる」
「俺と?なぜ?機械化のことか?」
「まあ、端的に言ってしまえばそうなる。君と同じで、アインの延命を望む者だ」

 阿頼耶識の研究が凍結されている今、研究施設に人の気配はない。人払いする必要もなく、マクギリスとガエリオの二人だけだ。

「ただし、今から聞くことは全て伏せていてほしい。アインに対しても。これは先方の希望でもあり、お互いのためでもある」
「……よほど、訳アリの人物なのか」
「ああ。私は鉄華団の情報を集めるため、個人的に情報を集めてもいるのだが、その中でたまたま見つけた人だ。だが安心していい、既に接触して信用に値すると判断している」
「マクギリスがそう言うのなら、俺が断る理由もないだろう」
「ガエリオならばそう言ってくれると思っていたよ」

 ガエリオにPDAを持たせたまま、通信画面を開く。通信先のPDAとは専用回線をつけているので、別の通信機器への接続も必要なく、ログが残る心配もない。
 呼び出し画面のまま、数秒待つ。ガエリオはやや緊張した面持ちだった。
 三度目のコールで、画面が切り替わる。初期設定の飾り気のない画面に、一人の女性が映し出された。
 瞬間、ガエリオが息を飲んだのが分かる。マクギリスにもその気持ちはよく分かった。彼女とアインは、一卵性の双子かと思うほど似ているのだ。

『はじめまして。ロア・アルトランドと申します』

 マクギリスは画面を見ていないが、ロアも緊張しているのであろうことは声音から分かった。
 
「き、みは……ああ、いや、俺も名乗ろう。マクギリスから聞いているかもしれないが、ガエリオ・ボードウィンだ。君は、俺の部下の身内、ということでいいのか」
『そのようです。私は本当の姓を忘れてしまっているのですが、弟の名前はアインでした』
「アインが探していた、姉というのは……!」
『私のことだと思います』
「なるほど。弟の延命のために……か」
『はい』
「君は、アインを機械とすることに賛成している、と」
『……少し、私のことを話させてはくれませんか』
「ああ、いいとも」

 ガエリオが画面に映らないところでこぶしを握っていた。マクギリスは腕を組んで、成り行きを静観する。
 ロアには前もってマクギリスと知り合った嘘の経緯を伝えており、同時にマクギリスからの支援を失うことで生じる損失の大きさについてもほのめかしている。マクギリスが鉄華団と手を組んでいるなどと、口を滑らせることはないだろう。ロアは命令に忠実で、賢い人間だ。

『アインとは異母兄で、私は、両親ともに地球人です。私は十年と少し前、父親ともう一人の母親、そしてアインと会うために、地球から火星へ向かう宇宙船に乗りました。道中、海賊からの襲撃に遭い、長い間、人間としての生活を許されてはいませんでした』
「……」
『私は、阿頼耶識の手術を受けています』
「なっ……」
『私たちにとって、阿頼耶識は忌避するものではありません。なので、アインの機械化について、特別反対する理由がありません。彼が生きるべき人間なら生きていてほしいと思うし、人間として死ぬべきならば、そのまま死なせるのも構わないと思います』
「アインはここで死んでいい人間ではない!俺が決して死なせない。姉である君は、アインの命についてどうとも思わないというのか」
『……何も感じていなければ、こうして、ガエリオさんとお話していません』
「……すまない、失礼なことを言った」
『いえ。アインは、とても素敵な上官のもとについているのですね』
「アインの顔でそれを言われると、複雑だな」
『幼いころからよく似ていました。今は、分かりませんが』
「父親似なんだろうさ。今もそっくりだ、よく見ると違うが。……待て、アインに伏せるというのは、君の存在もか」

 ガエリオがマクギリスへ顔を向ける。マクギリスは神妙な顔をして頷いた。

「ああ。ロアの希望だ。彼を混乱させたくはない、とね」
「はあ?喜ばしいに決まっているだろ。死んだとされた姉が、こうして生きているんだぞ」
『あっ』
「ん?」
「……ああ、私がいると思わなかったか?」
『すみません』
「構わないよ。……ガエリオ。混乱させたくないというのは、姉の生存によるところではないよ」
「訳アリ、の理由か?」
「ああ。ロア、君が今どこにいるのか、ガエリオに教えてやってくれ」

 ガエリオの視線が画面に戻る。ここでガエリオが逆上してしまえば、ロアの説得は失敗に終わるだろう。重要なのはこれからだ。
 ガエリオは素直な人間だが、浅はかではない。ロアが煽らない限りは大丈夫だと踏んでいるが、デリケートな問題故にどうなるか分からない。

『私は、鉄華団の人間です』
「鉄華団だと……!?」
『ギャラルホルンの方とつながりを持っているのは、仲間にももちろん隠しています。衝突が避けられないことは理解していますから』
「……なるほどな。これは確かに、公には出来ない。アインが混乱するというのも、分かる。あいつは優しいから」

 マクギリスの予想以上に、ガエリオは落ち着いていた。部下によく似た身内という要素が、敵意を幾分か相殺しているのだろう。
 これならば、いける。

「回りくどいことは無しで言わせてもらうが……俺は鉄華団が憎いし、それはアインも同じだろう。衝突は避けられないぞ、これからも。俺や君の弟が、君の仲間を殺す。逆に、君の仲間に俺たちが殺されることもある、かもしれない。それは理解しているな?」
『はい』
「アインの機械化についてどこまで聞いている?」
『阿頼耶識の上位互換、と認識しています』
「ならば、パイロットとして強大な戦力になることも分かるはずだ。それでも君は、アインの延命を望むのか。君の仲間が殺される可能性が跳ねあがるのに」
『戦争ですから』

 ロアは間髪入れず、そう返答した。

『私は姉として、生き別れた弟の存命を望みます。また、鉄華団として仲間の無事を願います』
「……そうか。ならば俺はアインの上官として、アインの勝利を望む」
『はい』
「ただ、アインの姉を知る者として、君の無事も願うとしよう」
『!?』
「話せてよかった、ロア」
『っこちらこそ、ガエリオさん。アインは本当に、良い上官をもったんですね』
「だからそれは複雑だな……」
『アインをよろしくお願いします』
「ああ、任された」

 肩の荷が下りたように笑うガエリオは、PDAに数度指先を触れてから、マクギリスへと返してきた。マクギリスを見る目はじとりとしていて、PDAを手放すなり、これみよがしにため息をつく。

「アインの姉なら、先にそう言ってくれ。驚いただろう」
「私も驚いたからな、ガエリオにも驚いてもらおうと思ったんだ」
「何の気遣いだ。……しかし、皮肉な姉弟だ」
「ああ」
「鉄華団といえば、真っ先にあの失礼なネズミが思い浮かぶが、話が通じる者もいるんだな」
「少々、自分の命を軽んじる傾向にはあるがな」
「……アインとロアが直接対決、などという展開にならないことを祈るばかりだ」

 ガエリオは、再び廃棄されたMSを見上げて呟く。心の底から、そう思っているのだろう。付き合いの長いマクギリスにはよく分かった。軟派な風に見えてしたたかで、情に厚い男だ。
 マクギリスは、ガエリオを見て目を細め、一度目を閉じた。己の方針を曲げる気はさらさらないが、眩しいものにはどうしたって惹かれてしまう。
 
「俺は、ドクターの所へ行ってくる」
「……そうか」
「全く……地球人至上主義の根付くこのギャラルホルンで、火星人の血が流れているという部下と、地球人でありながら阿頼耶識を持つ部下の姉とは。つくづく、俺をいじめるのが好きな姉弟だな」

 おかしそうに言うガエリオに、マクギリスは相槌を返す。頭を悩ませながらも変化を受け入れていくガエリオこそ強いのだろう。
 マクギリスとガエリオはMSに背を向けて、アインの病室へ向かった。
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