賛美して1


 錦は人外ならではの方法で帰宅し、電気をつけて景光の帰りを待った。本当に食欲を自制しきれるか不安になり、"錦用"と書かれた肉のパックを平らげたりしたが、おおむね大人しくしていた。
 景光の帰宅は、景光がマンションのエレベーターに乗る前に分かった。あらゆる感覚が以前よりも格段に研ぎ澄まされ、出来ることの幅も広がっている。やはり空腹故、全てを実行することは難しいにしても、普通の人間から更に離れた位置にいた。
 帰宅した景光はどんな反応を見せるだろうか。
 錦は無邪気に――見る者が正気を削る容貌をしながら、無邪気に――気配を殺して待っていた。
 
「あれ、俺電気消し忘れ……」 
 
 独り言が途切れる。小さな女の子を抱えた景光が、リビングに入った体勢で硬直した。
 錦は椅子に腰かけたまま、上品に手を振る。景光の受けている衝撃を察しながらも、容赦なく話しかけた。

「おかえり、パパ」
「こ、んなおっきい娘はいません……」
「ひどいわね。わたくしを忘れたというの?」
「俺の娘はこっち……」
「じゃあ『はじめまして、パパ』?」
「だから、そんなおっきい娘は記憶にないし、あなた、その、ドライアドさん?」
「ふふ、ドライアドさん、ふふふ」
「いや笑ってないで」
「わたくしは橙茉錦よ、景光。とりあえず座ったら?」

 景光は形容しがたい複雑な表情だった。錦から極力距離を取るようにして移動すると、子どもを抱えたまま椅子に腰かける。ポケットから携帯を取り出すと、キーパッドを開いて首をかしげた。

「不法侵入……警察に通報していいか」
「駄目よ、パぁパ」
「その言い方は錦っぽさあるけど、絵面がまずい。ドライアドさんは錦の親戚か何か?……というか、待て。ここにいるってことは、今展示会場は大騒ぎなんじゃ。錦のってより、怪盗キッドの知り合い?ああそうだ、テレビ点けよう」

 話が全く進まないが、錦は混乱する景光を温かく見守った。後々に「俺が公安所属じゃなかったら確実に気絶してたからな」と苦言を呈されるほど、説明が不親切で悠然とした態度である。いつも通り、とも言う。
 テレビ番組は、どの局も怪盗キッドの犯行と"動く展示品"でもちきりだった。実際に動く様子を見た客のインタビューや再現CG、空になったガラスケース等々、大々的に取り扱われている。今までの宝石とは比にならない価値の宝石盗難とあって、さすがに警察や鈴木財閥に向けられる目は厳しいものだったが、どの地域でも停電が報告されていないからか、批判は控えめな印象を受けた。

「マジでキッドが盗んだものがウチにある……?」

 景光は震え声だった。

「わ、分かった。そっくりさんだろ。停電してないし」
「ご本人よ。停電は、この体の力の余波ね。わたくしがいれば制御出来るもの。見てほら、ブラックダイヤモンドもあるわ」
「ウワア。こんなことになるなら、錦と合言葉でも決めておくんだったな」
「ママが十億円を盗んだそうなの」
「合格……。嘘だろ、本当に錦なのか。今、死んだように寝てる錦?」
「わたくしが抜けたから仮死状態になったのね」
「どういうことなんだ。錦は一人二役なのか?俺は何を言ってるんだ?」
「ふ、ふふふ」
「笑い事じゃないんですけど。錦は死んでないってことでオーケー?」
「ええ、オーケーよ。わたくしたちは丈夫なの。百年そのままでも、その肉体は朽ちないわ。こっちは、たとえ千年でも。乾きはするでしょうけれど、眠ったところで死なないわ」
「不思議パワーでぶん殴られるの久しぶりだな」

 錦は景光の表現が上手く理解できなかったが、景光が肩の力を抜いたのは分かった。落ち着いたのならばそれでいい、と一人で頷いて騒がしいテレビの電源を落とす。

「景光の立場上、難しいでしょうけれど、警察に通報はしないで。この通り、人形なんかじゃないわ」
「そうしたいけど……」
「記憶を消してあげましょうか。前よりもきれいさっぱり忘れさせてあげられるわよ」
「黙ります。ここにいるのはミス・ドライアドじゃなくて錦。宝石鑑定士じゃないから宝石は分からん。盗んだのは怪盗キッド」
「素敵よ、パパ」

 景光に拍手を送る。各方面には申し訳が無いが、どうしようもないので勘弁してもらいたい。不思議パワーが受け入れられないことくらい、錦にも分かっている。
 隠れてさえいれば景光に目が向くこともないし、隠れきる自信もあった。
 
「こっちの小さいほうは起きないのか」
「元人格はともかく、わたくしが入れば起きるわよ。明日も学校だから、ちゃんとそちらで起きるわ」
「そりゃ学校は……え、『元人格』って言ったな。誰なんだこの子。おい急に怖くなってきただろ!」
「今は、わたくしよ。どちらもわたくし」
「……本体は?」
「こっち(大きいほう)」
「嘘だろ」

 景光が顔を覆う。
 超絶美人な娘が出来たことによる歓喜か、見る者の正気を削る容貌の娘が出来たことによる絶望か。錦は判断せず、景光の反応を楽しむに留めた。

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