賛美して2


 相棒は朝から一日難しい顔で、学校を出ても心ここにあらずだった。

「完敗かしら。探偵さん?」

 哀は、顎に手を当てて黙りこくっているコナンの意識を引き戻す。からかう色を含んだ声音に、コナンが唇を尖らせた。
 怪盗キッドがミス・ドライアドとドライアドの瞳を盗んだのは昨日のこと。哀はテレビで怪盗キッドの勝利を見た。派手な演出こそなかったものの、彼は厳重警備の二品を速やかに盗み出した。
 コナンは朝から心ここにあらずである。独り言を聞くに、どうやらキッドキラーは完全に出し抜かれてしまったようだ。珍しいコナンの様子に、哀もついからかいたくなってしまうのである。
 コナンが思考を巡らせているのは、ミス・ドライアドのすり替えトリック、ミス・ドライアドの消失トリック、宝石だけでなくミス・ドライアドまで盗んだ理由、の三点らしい。

「盗んだのに停電のニュースがないってのも変だ。くそ、絶対暴いてやる」
「宝石をすぐ返却しないのも妙よね。いつもあなたに預けるじゃない、彼。ミス・ドライアドもあったから、顔を出す余裕がなかったのかしら」
「顔出すって……いきつけの居酒屋じゃあるまいし」
「それとも、そこまで追い込めなかった探偵さんの落ち度なのかしら?」
「……オメーどっちの味方なんだ」
「しいて言うなら、拗ねる子どもたちの味方、かしら」

 哀とコナンの前では、光彦、元太、歩の三人が、唯一コナン以外で会場に足を運んだ錦に絡んでいる。三人は、キッドキラーのコナンが呼ばれることに関してはある程度納得しているのだが、"そうではない"錦が園子に呼ばれたことを相当悔しがっていた。園子に無理をさせることは不本意だとしても、錦が融通を効かせてもらえたのなら、自分たちも行けたかもしれないと。
 哀は四人の背中に声をかけた。落ち着いて三人をなだめる錦だが、ずっと絡まれていてはいくらなんでも気疎いだろう。

「あなたたち。橙茉さんに言っても仕方ないでしょう、いい加減にしなさい」
「はあい……」
「橙茉さんも、せっかくなら、この負けず嫌いの名探偵と情報共有でもしたら?」
「それはいいわね」

 哀が呼ぶと、錦は哀とコナンに並んだ。
 そういえば、哀自身も展示品の批評をきちんと聞けていなかったとふと思う。コナンは朝から黙りこくって考え込んでいたし、錦が現地にいたというのも下校時に遭遇して初めて分かったことなのだ。

「見るものを狂わせるだなんて報道されているけれど、本当なの?」
「ああ。目があったときには背筋が凍った」
「さあ。そうかもしれないわね」

 早速意見が割れた。同じものを見てきたはずなのに。

「動いたというし、キッドが変装して入り込んでいたという仮説があるけど?」
「俺は可動式の人形って線を推す。あれは生身の人間が再現できる域を超えてるだろ」
「生きているという説はないのかしら?」
 
 無邪気に第三の説をとなえる錦には、哀とコナンからツッコミが入った。

「橙茉さん、いくらなんでもそれは無いわ。数日、微塵も身動きせず存在するなんて不可能だもの」
「単に食事を絶つだけじゃない。排泄も水分摂取も出来ないんだぜ。それに、生身の人間なら、最初に通報を受けた救急隊員が分かるはずだろ。彼らはプロだ、医療機器が使えなくても生きてるか死んでるかの判断は出来る」
「夢がないわね、二人とも」
「橙茉さんは案外ロマンチストなのかしら」
「二人が、現実の幅を狭めているだけよ。大人が子どもになるなんて、突飛な発想を披露してくれたのに」
「そ、それはそれ、これはこれ」

 とんだ藪蛇だった。
 哀は咳払いを一つ挟んで、怪盗キッドの犯行について問いかける。

「いつの間にか無くなっていたって言うじゃない。会場内でも、そんなに静かだったの?」
「ミス・ドライアドが動いたことで騒然とはなってたけど、キッド自体は静かだったな。煙幕で目隠ししている間に終わってたし。ハンググライダーで逃げるところだけは見た。そんとき、キッドは一人だったんだよ。だからてっきりミス・ドライアドとドライアドの瞳は会場に置いてったんだと思って……」
「追いかけなかったのね。結局、どちらも見つからなかったと」
「ああ。橙茉さんは、いつ頃見に行ったんだ?」
「夕方よ。ちょうどキッドの犯行時だったけれど、すぐに帰ったわ」
「ま、見るものが無くなれば当然だな。……あんのヤロー、盗んだもの返さねぇなんて、泥棒らしくなりやがって」
「彼は元々泥棒よ。宝石を返していただけで」
 
 哀が訂正すると、コナンの表情はさらに苦いものになる。対象的に、錦はどこか楽しそうだった。

「大丈夫よ。ミス・ドライアドが散歩に出てしまったとしても、きっとそのうち、ドライアドの瞳は返してくれるわ」

 盗難品の行方など無関心そうに振る舞っておきながら妙に自信に溢れた言葉に、哀はおかしくなって笑った。根拠のない言葉も、錦が口にすれば不思議と真実に聞こえた。

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