賛美して3


 快斗は一睡もできないまま、朝を迎えた。しみる朝日に目を細め、頭を抱える。
 これは、自分の不用心が招いた結果だ。
 錦に声をかけられ、不審に思いながらも頷いたのが全ての間違いだったのだ。所詮子どもの戯言、と侮った自分の落ち度である。真夜中に教会の屋根の上にいたり、魔女と親しくしている子が、ただの少女ではないと知っていたはずなのに。
 快斗が協力を拒否したところで、錦が首を突っ込まない、とも言い切れないのだが、了承したことはうかつだったと思う。
 展示会場で出会ったとき、錦の提案はこうだった。

『ミス・ドライアドごと、外に出してあげる。あなたは、わたくしの合図で、目隠しをするだけでいいわ』

 こう言われて、まともに取り合う者などいないだろう。あーハイハイイイヨ、と流してしまうのも仕方がないと快斗は思う。
 錦の言葉が冗談ではないと分かったのは、展示場でミス・ドライアドが身動きをしたときだ。快斗はそこで錦の本気を悟り、煙幕をたいて会場内から出たのである。
 結果、橙茉錦と名乗ったミス・ドライアドは、パンドラとともに姿を消した。
 探し求めていた宝石を見逃すわけにはいかない。しかし、快斗として錦に宝石のことを尋ねるわけにはいかない。そもそも、連絡先を知らない。親しいらしい紅子に聞いてみようにも、それらしい理由が思いつかない。
 登校しても、頭の中は昨晩のことでいっぱいだった。どうやってミス・ドライアド、ひいては錦と連絡をとるか頭を悩ませていたところで、自席に影がさした。
 紅子だった。

「黒羽快斗君、ちょっと、いいかしら」

 なぜかフルネーム呼び。紅子は尊大な態度で快斗を見下ろし、教室の外を示した。

「いいぜ……?」

 渡りに船だが、怪盗という仕事を隠している立場上、はてなんのことやらと首をひねるポーズをとった。
 紅子が向かったのは、人気のない校舎外階段の踊り場だった。興味津々の取り巻きは笑顔一つで退かせ、現在、紅子と快斗の二人きりである。残念ながら色気はない。
 さてどう切り出すかと快斗がタイミングをはかっていると、先に紅子が切り出した。

「気になる予言があったから、昨晩、現地にいたのよ。今回は、細かいことは大目に見てあげるわ。ひとつだけ教えて。彼女はなんと名乗ったの」

 快斗の聞きたいことを、紅子から聞かれるとは思いもしなかった。掘り下げたいのは山々だが、一高校生としては、直球の質問に対してとぼけるしかない。

「彼女って?誰のことだよ」
「細かいことは指摘しないと言ったでしょう、今回に限りね。それだけ答えてくれれば、わたしは何も言わないわ」
「……なんの話だよ」
「まったく、認めないからややこしい話になるのよね。なんと言えばいいかしら……昨晩、錦さんと会ったでしょう?」
「同じ名前の別人とは、会ったかもしれねーな」
「やっぱりね……。彼女は本人よ。わたしも、まさかあそこまで力のある存在だとは思わなかったわ。いえ、只者じゃないことは知っていたけれど」
「……あの子は、紅子と同じ魔女なのか」

 失言にならないギリギリを見極めながら、そう問いかける。
 紅子は頷かなかった。

「そう思っていたけれど、今となっては分からない。魔女という枠にくくるには、彼女は強大すぎるの。いっそ、神と言われたほうがしっくりくるわ」
「おいおい、冗談だろ」
「昨晩、何があったかは覚えているのでしょう」

 人形が動き、怪盗キッドにも分からないトリックでガラスケースから屋上に瞬間移動し、さらに屋上からも消えた。
 神、か。
 それならば、どんな現象にも説明がつけられる。"なぜなら神だから"。しかし、納得しろと言われても土台無理な話だった。そう思うのに、人工的ではなく超自然現象だと考えそうになるのも事実。快斗は屋上で、ミス・ドライアドの入れ替わりトリックについて思考停止した瞬間が確かにあったのだ。それは一種の願望だったのかもしれない。ミス・ドライアドが奇跡の産物であってほしい、と。

「紅子は……どうするんだ」
「どうもしないわ。でも、尊敬する錦さんが本来の姿に戻ったというなら、お祝いはしたいわね。ぜひ、お会いしたいとは思っているわ」

 紅子は紅潮し、うっとりと頬に手を当てていた。思えば、紅子は最初から錦を目上のように扱っていた。認めたくはないが、快斗は昨晩、その一因を目にしたのだろう。
 快斗は、一度深呼吸をして腹をくくった。

「俺も錦ちゃんと話したいことがある。伝言を頼めないか。『今晩、教会の屋上で待つ』って」
「それは、構わないけど……わたしも行くわ」
「はあ!?」
「分かってるわよ、二人きりがいいんでしょう。でも、危険すぎるわ。いい?わたしにとっては尊敬すべき方でも、イコール無害ではないのよ。今までの比にならないくらいの力を手にした相手の前に、対抗手段を持たないクラスメイトを置き去りには出来ないわ」
「心配してくれてんのか」

 そんなわけないでしょ、とか、自惚れるのもいい加減に、とか、そういった言動が飛び出すかと思いきや、紅子は『心配』を否定しなかった。

「近くで待機ならいいでしょう。わたしの力では気休めでしょうけど、万が一のとき、少しくらい役に立てるわ。いいこと?人間と同じ物差しではかっては駄目よ」

 恋する乙女の表情はどこへやら、紅子は真面目そのものだった。快斗は、それを一笑に伏せない。展示会場の屋上で会ったとき、空気に呑まれてしまったのは否定出来ないからだ。
 友人に会いに行くのではない。神に等しい力をもった何かに会いに行くのだ。
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