賛美して4
錦は自分の体を見下ろし、洋服のサイズが合っているかを確認した。現在錦は小学一年生の姿でもなければ、成人女性の姿でもなく、小学校高学年程度の子どもの姿だった。小学生の錦が成長したのではなく、ミス・ドライアドの時間が巻き戻った姿だ。
「『大きくなったり小さくなったりは不可能』って言ってたじゃん……!」
仕事が遅くまでかかったにも関わらず、嫌な顔一つせず大型スーパーに立ち寄って少女服を購入してくれた景光は、錦の前で四つん這いになっている。
錦はしゃがみこむと、うなだれる景光の顔をのぞきこんだ。
「あの体では、不可能よ。肉体を巻き戻そうと思ったことは初めてだったから、分からなかったというのもあるけれど、この体で何でも出来ることは知っているもの」
「メールに気付いたときに、嫌な予感はしてたんだけどさあ」
「パパ、わたくしのこと、嫌い?」
「んなわけねーでしょう、その状態も可愛いよ……けど『なんで?』ってなるだろ」
「これはね、省エネよ」
「省エネ」
景光が顔を上げて復唱する。
「人間って省エネ出来るもんか……?」
「ふふ、そうね。出来ないわね」
「そもそも、なんで省エネの必要があるんだよ。今日は朝から、そっち、動いてなかったのに」
「少し、人に会いに行くの」
放課後に携帯を確認すると、紅子からメールが届いていたのだ。ただ、待ち合わせるのは紅子ではない。紅子のメールには"彼"とだけ記してあった。
昨日の今日だ、相手の推測は容易い。錦が小学生の子どもの姿ではなく、ミス・ドライアドの姿を選んだのは当然のことだった。
景光は時計を一瞥するも、常識外の出来事が連続しているせいか、深夜のお出かけに対する苦言はなかった。ただ「ちっさいほうは?」と気遣われ、錦はそっと笑みを深める。
「わたくしの部屋で、寝かせているわ。景光、今日は先に休んでいていいわよ」
錦は未だ四足歩行の景光の頭を軽く撫で、窓に向かう。大きく開けると、夜風が入り込んで頬を撫でた。軽く目を伏せて夜の香りを吸い込むと、おもむろに片腕を外へ伸ばした。
「いってきます」
伸ばした指先から、小鳥の翼が羽ばたいた。
*
娘が小鳥の群れになった。
景光の目の前で起こったのは、つまりそういうことだった。第三者に言えば病院を勧められること間違いない。けれども、本当に起こったのだ。伸ばした指先から翼が生え、飛び立ち、次いで翼が生え、飛び立ち。数えきれないほどの白い小鳥が窓から夜空へ飛び立っていった。気づけば、部屋には自分しかおらず、中途半端に開いた窓からの風がカーテンを揺らしていた。
「待ってくれ……」
思わず声に出たが、本人は既にいない上、妙な現象は終わっている。
景光はしばしうずくまった。不思議現象には慣れたつもりでいたが、上には上があったらしい。頭を抱えてうなるも、はっと気づいて顔を上げた。
「錦だからな」
魔法の言葉である。何が起こっても、この一言があれば無用な思考をせずに済む。錦だから、景光の理解を超えることをしでかしても不思議ではないし、"理解"の一線を越えた現象に際限などないのだ。
たった一言で落ち着きを取り戻した景光は緩慢な動作で立ち上がると、窓を閉めてからキッチンに入った。お茶漬けでも食べてから風呂に入ろうと思ってのことだった。
ご飯とお茶漬けの素を準備し、湯が沸くのを待っていると、ごとん、と物音がした。
とっさに身構え、周囲を見回す。息を殺していると、ぺた、と素足でフローリングを歩くような音がした。景光は棚の影に身を隠し、近づいてくる足音に神経を尖らせた。おぼつかない足音は廊下から聞こえている。リビングダイニングに向かってくるのは明らかだった。
ぺたり。足音が一度止まって、再開する。
景光が姿を確認するよりも前に、足音の主が声を発した。
「人間がいるな」
景光は耳を疑った。錦の声だったのだ。つい先ほど出て行った錦の声――ただし、小学生のほうの。
「あなたは、橙茉さまの"しもべ"か」
隠れる景光を簡単に見つけて見せた錦は、しかめっ面でそう言った。
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