口づけを2




 空からやってきたのは、黒ずくめの青年だった。夜には目立ちすぎる白い衣装ではない、彼の言葉を借りれば"ゴキブリ"のそれ。黒い怪盗キッドは静かに教会の屋根に着地し、ハンググライダーをワンタッチで収納した。
 十字架に寄り添って座っていた錦は、微笑みながら立ち上がる。

「今回は、危なげない登場ね」
「そう何度も失態は……失礼ですが、縮みました?」
「省エネよ」
「そんな訳が……」

 キッドは否定しようとして失敗していた。口を開いたものの、言葉を続けることはしなかった。どういう心境の変化があったのか不明だが、錦の言葉を片っ端から否定するつもりはないらしい。
 錦はオペラネックレスを外すと、キッドに向かって掲げた。

「あなたがこれを壊したいのは、何故?」
「……それが、パンドラ……人に不老不死を与えるという石だからですよ」

 錦は、昨晩のキッドと同様に宝石を月にかざした。
 漆黒の宝石の中に揺らめく赤色が見える。どうやら、高エネルギーが可視化しているらしい。この確認方法は初めて知ったなと、血色にも似た赤に見入る。ここまでの高エネルギー体は中々お目にかかれるものではない。不老不死、というワードが出てくるのも納得だった。
 
「それに、広範囲の停電を起こすことも問題です。壊すには十分な理由でしょう」
「停電は違うわ。気にしなくて構わないわよ」
「……何故分かるのです?そもそも、あなたは、"何"なんですか?」
「人間ではないわね。あなた、"そんなこと"を聞きたくて来たの?」

 錦はにこやかに返答する。既に明らかなことをわざわざ問いかけるなど愚問だ。もし「ただの人間だ」と答えたとして、彼は納得したのだろうか。マジックを見破るように、瞬間移動の種明かしをしてくれるのだろうか。そう考えると少しだけおかしかった。
 怪盗キッドが、深くかぶっていた帽子を少しだけ上げる。

「ドライアドの瞳と呼ばれているビッグジュエルは、ある旧家の蔵から見つかりました」

 身振りを付けて話す様子は、芝居がかって見えるものの怪盗キッドには良く似合っていた。白い一張羅なら、より様になっただろう。

「現当主の曾祖母にあたる女性が宝石収集に凝っていたそうです。ドライアドの瞳はその一つ。長い間蔵に仕舞われていたものです。それが突然注目を浴びている……停電がきっかけでした。しかし何故、今なのでしょう。ドライアドの瞳は以前からあったはずなのに。そこで問題になるのが、人間の……人間の姿をしたあなたです。昨日、ドライアドの瞳は自分の物じゃない、と言っていました。……つまり、あなたとドライアドの瞳はセットではない。今、『停電は違う』ともおっしゃいましたね。停電の原因は、あなたにあるのでは?元からあった石ではなく、あなたが、旧家の蔵に現れたからではないですか?あなたはパンドラを狙って、蔵にやって来たのではありませんか?」

 怪盗キッドは不可解な現象を不可解なものとして受け止めた上で、そう考えるに至ったらしい。
 怪盗キッドの言っていることは、おおむね合っていた。
 錦は"遠く"から来た。移動の最中に空っぽになった体が、エネルギーを求めて宝石のそばに"落ちた"のだ。少しずつ宝石からエネルギーを得た体は、制御がなければ周囲に影響を与えてしまうほど回復した。それが、タイミングと停電の答えだろうと錦は考えている。
 錦はネックレスのチェーンをもてあそびながら答える。

「ええ、そうだと思うわ。一つ付け加えるならば、わたくしは"パンドラの一つ"に惹かれてそこにいたのでしょう」
「!パンドラは、一つではないと……」
「無いことの証明は出来ないわ。ここに一つあるのなら、数は少なくてもまだあるでしょうね」
「……」
「それから、これは提案ではなく、ただの確認なのだけれど。あなたが壊すために求めているのはパンドラであって、これがただの宝石ならいつも通り返却するのかしら」
「……ええ、そうですね」
「そう。良かった」
 
 錦が待ち合わせに応じたのは、怪盗キッドからの問いに答えるためではない。
 錦の目的は高エネルギー体にある。手元にあるにも関わらず好きに扱わなかったのは、同じものが目的らしい怪盗キッドに"一応"のお伺いを立てるためだ。相談ではなく確認であるあたり、怪盗キッドが拒否をしても、錦には引くつもりなど皆無であるのだが。
 
「あなたの懸念は、わたくしが頂くわ」

 大粒のブラックダイヤモンドに口を付ける。すうと息を吸い込むと、何か形のないものが流れ込んでくる。本来の食事よりは味気ないが、生の鶏肉よりははるかに上質で十分量だ。可視化出来るほどのエネルギーが喉を滑り、身体が潤っていく感覚にうっそり笑う。
 月にかざした宝石は、もう赤く輝いてはいなかった。

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