口づけを3




 ミス・ドライアドが小学生高学年程度まで小さくなったことにさほどリアクションをしなかったのは、高校生が小学生まで巻き戻るという現象を知っていたからであって、何も魔法や魔術や怪奇現象を全て認めた訳ではない。橙茉錦との関係性を問わないことも、気にならないから問いかけないのではなく、問いかけてもまともな答えは返ってこないだろうと判断してのことだった。
 紅子は彼女を"神"だと表現した。
 理解できないことにこだわるよりも、本来の目的を果たしたほうが有意義だと思ったのだ。持ち逃げされた宝石を奪い、砕くことに集中すべきだと。

「これで、もうただの宝石よ。ほら」

 キッドは半信半疑で宝石を月にかざし、そこに赤色がないことを認めた。
 一瞬で、頭の中がクエスチョンマークで埋まる。昨日確認した時は確かにゆらめく赤があったのに、今はない。綺麗さっぱりなくなっている。キッドが今持っているのは、ただのビッグジュエルに過ぎなかった。
 キッドは宝石を握り、ミス・ドライアドを睨みつけた。原理は分からないが、ミス・ドライアドが宝石に送った意味深な口づけに、特別な意味があったに違いない。
 これはただの宝石ではなく、パンドラ"だった"宝石だ。
 
「あなたは、何をしたんですか……!」

 聞いたところで、自分に理解できるとは思えない。だが、聞かずにはいられなかった。
 もし、あの口づけでパンドラを宝石にしたのだとしたら。不老不死の力は消滅したのではなく、ミス・ドライアドに移動したと考えるのが自然である。"不老不死の力を持った石を壊す"ことを悲願とするキッドの目の前で、あっさりと、不老不死がひとに与えられてしまったのだ。
 いや、と。キッドは唇を噛んで深呼吸をする。口づけはただの口づけで、ブラックダイヤモンドの中に赤色が見られないのは、別の理由も考えられるはずだ。もっと科学的で、根拠のある何かが。不老不死など、ただの眉唾のはずだ。怪奇現象に連続で遭遇しているせいで、つい現実味を感じてしまっているだけだ。
 キッドは混乱していた。パンドラだった石とミス・ドライアドを前にして、キッドらしい余裕を失っていた。赤色の在り処を正すべきか、不老不死について思考すべきか、頭の中が落ち着かない。

「呼吸が乱れているわ。落ち着きなさい」
「……誰のせいだと」
「わたくしかしら」

 ミス・ドライアドの態度は変わらない。ブラックダイヤモンドにもう興味はないらしく、キッドが握ったままでも何の文句もないようだった。
 睨んでいると、ミス・ドライアドが悠然と腕を組む。暗闇にも関わらず、彼女の尊大な表情は不思議とよく認識できた。

「説明は、あまり得意ではないのだけれど……ブラックダイヤモンドが持っていた力は、わたくしが頂いたわ。もうそれは、あなたが壊す意味のない宝石よ。後で持主に返してあげて」
「まさかとは、思いますが……あなたは、不老不死を手に入れたのですか」
「手に入れた、のではないわね……元々、そういう性質なのよ。ほとんど、不老不死のようなものね」
「……は?」
「あなた。この世界に、人間の姿をしたものが、人間だけだと思っているの?」

 謎かけのようなミス・ドライアドの言葉は、すんなりとキッドの頭に入って来た。引っかからないことが違和感となるくらい、自然なことのように思えたのだ。不老不死の存在があるのかどうかはともかくとして、人間の姿をした何か別のものがいてもおかしくないと思えてしまうくらいには、キッドは目の前の存在に"慣らされて"いた。
 流されている上、呑まれていることは自覚している。昼間に反省していたはずなのに、顔を合わせるとこれである。"夜は自身の領分である"と言ってのけた錦の言葉が、不意に思い起こされた。
 
「……分かりました」

 キッドは、深いため息をつきながら頷いた。何に対しての『分かりました』なのかは自分自身ですら判断がつかなかったが、他の表現も思いつかなかった。

「わたしは、"ドライアドの瞳"を返します。あなたは家に帰るんですか?」
「帰る、と言いたい所だけれど、そうしたらあなたに怒られそう」
「おこ……るかもしれません。不老不死の力を持つ石、なんて厄介な代物を壊すのがわたしの悲願ですから」
「通報されたところでどうとでもできるけれど、わたくしも、平穏な生活を乱されるのは御免なの。無暗に力を奮って、人間を敵に回すのもね。……だから、この体は彼女のところに置いておこうと思っているわ」

 ミス・ドライアドがある方向を指さした。迷いなく示されたその先に、紅子がいるのだろう。夜にキッドとして顔を合わせていないので確証はないが、この状況で紅子以外の第三者が関わってくるとは思えなかった。
 キッドは、また深くため息をついてから、ただのビッグジュエルを懐に仕舞った。

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