口づけを5




 錦が目を開けると、テレビの前に座っていた。少し体が火照っているのは、風呂上がりだからだ。雪が起きたことは予想外だが、何があったのかは分身で見ていたので大方把握している。話して、お茶漬けを食べて、風呂に入って、テレビ鑑賞だ。
 隣には景光も座っている。何と無しに見上げると、景光はテレビ画面から錦に視線を移した。

「急に静かになったな」
「あの子と話したのね」
「……あ、戻ったのか。急だな。鳥もいつの間にかいなくなったし」
「仲良く過ごしてくれて何よりだわ」

 景光が脱力しながらテレビの電源を落とす。「錦は見慣れてるんだから、もういいだろ。寝よう」と欠伸をかみ殺している。テレビ初鑑賞の雪のために、夜更かしをしたのだろう。
 錦は、小さな手を天井に伸ばして背伸びをした。ここ数年で慣れ親しんだ視界では、景光の顔が遠い。慣れているけれど、景光と同じ視点も悪くなかった。本来の体を放棄することに大した感慨はないが、少しだけもったいないとも思う。

「抱っこ要求ですか、錦サマ」
「雪の真似?」
「ずーっと顔しかめてた。錦とは反対だな」
「人見知りなのよ」
「直接会わなくて良かったのか」
「同じところにいるから、あまりそう思わないわね」

 正直に答えると、景光は複雑な表情をした。久々の外食で、出てきた料理の味があまり好みではなかったものの、近くにスタッフがいるため味の感想を素直に述べられないときのような、複雑な顔だった。

「だって、少なくとも三年は顔を合わせていないわけだろ」
「今回がイレギュラーなだけよ」

 雪は本来、出てくるはずのなかった存在だ。体を喪った錦に体を譲り渡すことが役目であり、自身の人格は深い眠りについていた。雪が自分の意思で、主人である錦を押しのけて表に出てくることはないので、以降会うこともないだろうということは、お互い承知の上だった。今回は、またまた錦が本来の体に戻ったから目覚めてしまっただけなのである。
 雪は一生、目を覚まさないつもりでいた。錦も同様、雪とは一生顔を合わせず、本来の体に戻るつもりもなかった。面と向かい合えば何か話したかもしれないが、重要性は低い。

「景光は、寂しいの?」
「寂しいっつーか……ずっと出てこられないのも、辛くないのかなって」

 錦は景光に抱き上げられてあやされながら、景光の胸をトントン叩いて景光をあやす。彼はもうすっかり眠そうだった。

「寝ている間は、時間の感覚もないから、退屈も感じないわよ」
「そういうもんか」
「目覚めたときに景光がいて、きっと嬉しかったと思うわ」
「そうだといいけどなあ。後輩扱いだったけど」
「明日からは、また普通の日々よ」
「連日のサプライズは体がもたねーわ」
「ふふ」

 メディアがどれだけ騒ごうが、錦はこれ以上首を突っ込むつもりはない。ミス・ドライアドが見つからないにしても、電気被害がどこにも出ていないので、警察が適当なところに落とし込むだろう。普通の人間では到底想定しえない事態だったのだから、真実の究明は不可能だ。

「今日は一緒に寝ましょう、パパ」
「伸びたり縮んだりはもう勘弁だぞ」

 ドライアドの瞳と名付けられたブラックダイヤモンドは、ただのブラックダイヤモンドとして返却される。ミス・ドライアドと名付けられた体は、紅子の工房に預けた。
 諸伏景光家にはもう懸念事項はない。人間ではない小学一年生がいる、という点以外では。

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