手を伸ばす2


 ブラックダイヤモンドとミス・ドライアドの一般公開は一日限定かつ展示時間もごく短い。そのせいか、怪盗キッドは日時を特に指定しなかった。観客や自分自身が出入りできる時間が限られるからだろう、とはキッドキラーの言である。今までの宝石とはセキュリティが比べ物にならないから、と。
 時刻は夕方の四時。錦は、園子に融通してもらったチケットを持って、景光と展示場へ足を運んでいた。

「多いなあ。当選した人ばっかりってわけでもなさそうだ」
「入れないだけで、近くには来られるものね」
「野次馬ってやつ。こん中にキッドがいるんだろーなー」
 
 展示終了間近の時間とはいえ人は多く、報道陣も多く、怪盗キッドに備えた警察官も多かった。
 展示場周辺はロープが張り巡らされており、電子機器停止に関する注意がいたるところで目に入る。特に、補聴器やペースメーカー使用者への警告がこれでもかと掲げられていた。
 注意領域内に入ると、景光が携帯を取り出し、「ほんとに使えない」とどこか楽しそうに確認をする。錦もそれに倣って自分の携帯を確認する。うんともすんとも言わなかった。
 静かな携帯を二人でひとしきり弄び、いざ入場ゲートへ足を向ける。

「さあて、いよいよね」

 厳重な警備を一枚の紙切れで通り過ぎ、十分すぎるほど身体検査をされ、一定間隔ごとに配置された警察官の前を歩き、展示ホールに誘導される。電気は機能しないので、点々と設置されたアルコールランプがほの暗い雰囲気を演出していた。
 展示場が大きいだけに、展示ホールも広々としていた。その高い天井と広大なスペースは、現在ある一点のためにしか使用されていない。ホールの中央には球状のガラスケースがあった。それを立入規制の赤いロープと警察官が囲み、さらにそれを数千の倍率を乗り越えた見物人が囲む。明かりはここもアルコールランプだが、廊下よりも設置数が多く、神秘的な演出と化していた。
 錦は、警察官の中にコナンら見知った姿を見つけ、心の中でエールを送る。

「なんか緊張してきた」
「ふふ、どうしてパパが緊張するの」

 錦は景光に抱き上げられた状態でガラスドームに近づく。
 ドームの中が見える位置に立ったとき、景光が息を呑んだのが錦にも分かった。
 ガラスケースには、緑と花が敷き詰められていた。大きなシャボン玉を斜めに切るようにガラス板が設置されており、ミス・ドライアドは半ば直立するような形で展示されていた。美しい、以外の表現が見当たらない長身の女性だ。発見者が通報したということも理解できるほど人間に近くありながら、人間とは隔絶した美貌を持っていた。今にも動き出しそうな長いまつ毛は伏せられており、その目と視線が合わないことに安堵する人間もいるだろう。そのミス・ドライアドの鳩尾あたりに、夜を固めたブラックダイヤモンドが輝いている。
 言葉を失くして見入っている者が多い中、錦はペシペシと景光の腕を叩いた。

「お、おう、何」
「わたくし、あまりにも眠たくて、今から眠ってしまうの」
「……なんで?」
「声をかけられても、ゆすられても、何が起きても目を覚まさないほど深く眠るわ」
「感想を言う間もなく寝るの?今?」
「ええ。あなたは眠ったわたくしを連れて、ここを出るのよ」

 錦ははっきりとした口調で「今から寝るの」と繰り返す。なんなら通常よりも頭は冴えているのだが、それでも錦は今から眠るのだ。これは決定事項であり、超貴重な展示品を前にしたからと言って変わらない。否、だからこそ。
 錦は景光の腕の中で落ち着くポジションを探し、景光が止める間もなく目を閉じる。何度も名を呼ばれ、景光の困惑を感じ取りながらも、錦は眠る体勢を崩さなかった。


 景光はすやすや寝息を立てる錦を抱きかかえたまま、呆気にとられ――。

「いや、これ……寝てるか?」

 展示品を囲む人々の輪から離れ、そっと呼吸と脈を確認する。呼吸はない。脈も無かった。ゆすっても声をかけても、もちろんピクリともしない。

「死んでない?大丈夫?」

 誰にも相談できないことが悲しい。本人から事前に指示があったからまだ落ち着いているものの、病院へ駆け込みたくなる状況だ。
 仕事の関係上しばらく展示場に滞在するつもりだったが、そうも言っていられない。
 凌は美貌のミス・ドライアドを一瞥して、足早に展示会場を後にした。

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