手を伸ばす3




 美しい顔は、究極の無個性である。大衆に"良い"と思わせるのは、全ての平均を備えたものだからだ。
 コナンは初めてミス・ドライアドを見たとき、なんて美しいのだろうと感想を持った。これが世界の平均的な容姿なのだろうか、と思案すると同時に、平均がこれであってたまるかとも思った。おそらく、世界の平均一歩手前の、人間が美しいと認識できるギリギリにミス・ドライアドは存在しているのだ。言葉をいくら尽くしても足りないくらい、言葉では表現しきらないくらい、ミス・ドライアドは限りなく完成された美だった。ヒーリング効果など期待できないほどの美しさで、むしろ見ている側の正気が削られていくような気さえした。
 怪盗キッドの本命は、ブラックダイヤモンドのオペラネックレス――通称"ドライアドの瞳"だというのに。
 例のごとく次郎吉に依頼されたコナンは、展示ホールで怪盗キッドを待ち構えていた。小五郎や蘭もおり、中森ら警察官も多く配置されている。
 コナンは、怪盗キッドの気配に注意を怠らないながらも、警察官同士の物理的"顔の引っ張り合い"を眺めたり、言葉を失う見物人に内心同意したりと比較的穏やかに過ごしていたが、展示時間終了間際になって、耳をつんざくような悲鳴が展示ホールに響いた。
 コナンは誰よりも早くそれに反応した。声が反響して場所の特定に一瞬混乱したけれど、展示品のあるホール中央からだった。一人の女性が尻もちをついて展示品から後ずさっている。彼女を皮切りに、他の見物人まで口々に悲鳴を上げ、展示品から距離を取っていた。

「キッドか!?」
「確認急げ!」

 コナンは、展示品に駆け寄りながら眉をひそめた。目立つ白いタキシード姿が無いので、怪盗キッドはまだ動きを見せていないはずだ。加えて、経験上、怪盗キッドの登場ならば悲鳴ではなく歓声が上がる。
 警備の警察官すら展示品から距離を取る中、ホールに散らばっていた警察官らと一緒に展示品を確認する。ミス・ドライアドとブラックダイヤモンドは変わらずガラスケースに収まっていた。
 収まって"は"いた。

「は……?」

 ミス・ドライアドのまつ毛が"動く"。ぱち、ぱち、と音がしそうな程はっきりと瞬きを繰り返す。瞳が周囲を確認するようにぐるりと動き、不意に下方向へ動く。大人の足元にいたコナンは、その赤く底光りする瞳と目が合った。
 コナンは、人形が動いたことよりも目が合ったことに背筋が凍った。目を閉じて横になっているだけでも息を呑む美しさだったというのに、それが動き、コナンを見ているのだ。究極の美を前に、人間は恐怖を感じるらしい。気管が変な音を立てたことで、呼吸を忘れていたことに気付いた。はっと息を吸って、自分の激しい鼓動を聞きながら視線を外した。
 視線の魔力から逃れると、冷静さも戻って来る。人形が動くなどあり得ない。しかし、今までは確かに人形だった。瞼が開き、眼球が動くギミックが仕込まれていたのではないか。時間経過によって作動する、心臓に悪いサプライズだ。女性が腰を抜かし、警察官が気味悪がるのも分かる。
 いくばくか緊張がほぐれたところで、コナンは蘭の震える声に顔を上げた。

「なに、これ……ほんとに……?」

 今度は、ミス・ドライアドが片腕を上げていた。繰り返す瞬き、眼球の動き、身体の動き。ここまでくれば、さすがに人形の枠に収めるのは躊躇われる。

「ね、園子、これ」
「うそ、だって人形だって……!」

 中森を筆頭に、警察官らもガラスケース周囲で右往左往するのみだ。次郎吉が「まさか」と驚愕しながら、万が一の為にガラスケースを開けさせる。最新鋭の電子錠が機能しないため、原始的な鍵のついたガラスケースを被せていただけなのだ。
 ごとり、とガラスケースが外されると、外気にさらされたミス・ドライアドが息を吸ったような気がした。
 その直後、煙幕がコナンの視界を奪う。「奴だ!宝石とにんぎょ、人形を守れ!」白い煙が埋め尽くす中で中森の声が飛ぶ。コナンはミス・ドライアドのドレス目掛けて指先で発信機を弾くも、付着したかどうか定かではない。追跡メガネを操作しても、案の定、発信機も眼鏡も機能していなかった。

「待て!キッド!」

 目の利かない中で叫ぶ。煙幕が晴れた時には、怪盗キッドもミス・ドライアドもブラックダイヤも、全てが姿を消していた。

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