お疲れ、花宮くん


 放課後の校舎というのは、ちょっとした非日常だ。
 生活感はあるのに人が居ない。掛け声は聞こえるのに姿は見えない。風が吹き込んでも、カーテンが大きくはためくだけで、筆記用具やプリントが飛ばされた悲鳴を聞くこともない。
 部活に入っていなければさっさと帰るべき所、わたしは自席に残って課題を片づけていた。課題や復習やテスト勉強は、普段から勉強している環境で行いたい――友人や教師にはそう話しているが、実際は、ただやるべきことを真っ先に片づけたいだけだ。ここが進学校であることとは、あまり関係が無かった。
 理由はもう一つある。待っている人がいるからだ。
 サイレントにしているスマートフォンが点滅していることに気付き、勉強道具を片づけた。


 校門近くでじっとたっている男子生徒を見つけて、歩く足を速めた。なんとなく、駆け寄るところを本人に見られたくはなくて、できうる限りの速さで歩く。

「お疲れ、花宮くん」
「帰んぞ」
「うん」

 彼の返答はそっけないが、片手を自然と差し出してくる。わたしが手を重ねると、これまた当然とばかりに貝殻繋ぎをして歩きだした。
 朝も放課後もバスケ部の活動がある花宮くんは、この時間になると少しだけくたびれている。わたしがゆっくり歩いても、あまり文句を言ってこない。明らかにとろとろ歩いていたら「日が暮れても帰れねぇ」「回転数増やせ」等小言はいただくけれど、手は繋いだままなのだから迫力がない。
 クラスは違う。わたしは帰宅部なので部活でも関係がない。委員会だって違う。数少ない二人で話せるタイミングが、今なのだ。学校から駅までの二十分ほどが、わたしは堪らなく好きだ。

「……」
「……」

 必ずしも話さないし、駅まで無言の日も多いけれど。手は繋いでいてくれるので、わたしに不満はない。
 ところで、花宮くんは都内有数の進学校でも傑出していながら、自他に認める下衆である。クズともいう。性格が悪いというか、人格が歪んでいる。なぜ彼がわたしを気に入っているのか、正直よく分からない。
 無償の厚意より利害や損得の方が信用できるわたしと、人すら駒扱いして手段を択ばない外道は、気が合ったらしい、とだけ。

「……由都」

 無言の日かと思いきや、珍しく花宮くんから話題が提供された。
 大丈夫だろうか。昨今の国際情勢や今日の為替について話を振られても、わたしにはてんで分からない。月に一度くらいある。

「今日、三年の女子に絡まれたんだろ」
「ああ、うん。購買でね。『花宮くんと不釣り合いだから別れてほしい』って理解不能なこと言われた」
「確かに頭の出来は釣り合ってねぇな」
「無視したら怒られたのね。だから『少なくとも学校内に花宮くんと頭脳の釣り合う女子生徒はいませんし、不躾な部外者に割く時間はありません』って丁寧に説明したら、はちゃめちゃに怒られた」
「もうちょっと上手くかわせよ。いくらでも言いようはあっただろ」
「おにぎりを選んでたんよ。優先順位に割り込もうとしてくるのは不愉快だ」
「ニコニコしながら言われてもなァ」

 外面が完璧な花宮くんにやいやい言う生徒はいないが、とりたてて目立たないわたしに文句をつける生徒はちらほらいる。今日の昼間のことも珍しくないので、わたしにダメージはゼロだ。面白いこと言うなあ、とは思う。
 もし逆パターンがあったら、花宮くんはどうするのだろう。優等生はお得意の毒舌を封印しなければならない。はにかみながら惚気たりするのだろうか。作られた言葉でも、見てみたい気がする。

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