楽しんだもん勝ち


 部活動より勉強や進路を重要視する霧崎第一では、三年が冬まで部活に残っていることはない。男子バスケ部も例外ではなく、部の雰囲気はがらりと変わった。俺は前々から準備していたことを進め、新しいチーム編成に向けて動いていた。無能な監督は年内、遅くとも年度末には引退するだろう。
 由都恭夏という存在と接触したのは、インハイ予選で敗退した数日後のことだった。 
 放課後、残って自習している女子生徒がいることは聞いていた。霧崎第一に入学出来たはいいが授業についていけず、結果辞める生徒は学年毎に一人はいる。俺の学年はその"熱心な生徒"がそうなるのだろうと漠然と考えていた。由都の成績が退学圏外であることは後に知った。
 職員室に用があり、部活に行くのが遅れる日。教室にたった一人取り残されている女子生徒を見かけ、誰にでも優しいよくできた優等生として声をかけた。

「今日も残って勉強してるんだね」

 女子生徒は顔を上げて周囲を見回し、廊下から話しかけている俺を見つけると驚いた顔をした。

「あ……花宮、くん」
「俺のこと知ってるんだ」
「んふふ、有名だからね」

 彼女は喉の奥で軽く笑う。

「はは、ありがとう。ええと……」
「由都恭夏です」

 参考書を立てて置き、裏表紙に書いてある名前を示された。黒のマジックではっきり書かれた字は、下手ではないが独特のクセがあって妙に凛々しい。
 「由都さん、か。勉強頑張ってね」当たり障りのないことを言ってその場を離れるつもりだったが、薄く笑んだ由都がもの言いたげに俺を凝視していた。
 勉強での質問か、色恋事か。今までの経験からそう当たりをつけて由都を促すと、笑んだまま器用に困った顔をして逡巡した後、穏やかな声で問いかけてきた。

「花宮くんは、なんでラフプレーするの?」

 仮面をつけたまま、思わず表情を固める。
 俺がラフプレーで選手を潰すことは、実際に対戦した相手チームか、よほどコアなバスケファンしか知らない。知っているヤツも、表立って俺に突っかかって来ることは滅多にない。審判が接触だと判断するのはもちろん、その証拠がないからだ。相手チームを煽るため、わざと合図を見せることがあっても、審判や観客席には見えないよう計算している。 
 タイミングからして、先日の対誠凛戦を見に来ていたと考えるのが妥当だ。木吉の"不運な接触"を目撃したか?
 だとしても、"あれは本当に接触だったのか"という質問でないことが引っかかる。由都は、あれをラフプレーだと断定しているのだ。
 俺の一瞬の沈黙で何を思ったのか、由都は弁解するように付け足した。

「この前の誠凛高校との試合、友達に頼まれて録りに行ってたんだ。"無冠"が対戦するのは興味があるって。試合中、誠凛の七番が倒れた後にモメてたから、友達にDVD見てもらいながら聞いてみたの。そしたら、花宮くんのプレイスタイル教えてくれた」
「……その友達って誰か、聞いてもいい?」
「玲央ちゃ……花宮くんたちと同じ"無冠の五将"の、実渕玲央。知ってる?」

 もちろん知っている。洛山高校に進学して"有冠"目前となった"無冠の五将"の一人。あいつなら、俺のプレイスタイルを知っていて当然だ。
 教室に入り、机に歩み寄りながら人好きする笑みを消す。実渕から話を聞いたなら、俺の性格が悪いことも知っているだろう。薄ら寒い演技を続ける必要もない。
 由都は驚いた様子を見せたものの、大して反応しなかった。むしろ先ほどより笑んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。

「……で。なぜラフプレーをするか、だったか。聞いてどうする?」
「なんでかなって思っただけ」
「仲良しこよしで頑張ってるイイコちゃんの青春をぶっ壊したいから」
「はー……なるほど」
「……なにがだ」
「七番を退場させたん、不思議だったから。勝つために潰すなら分かるけど、第四Qやったよね。花宮くんの投入が遅かったのは監督の悪手だとしても、今更怪我させる必要あるんかなあって。勝敗はついでで、心を折るのが目的なら納得」

 友人と共通の話題で盛り上がっているかのような調子で、由都恭夏は話す。
 ラフプレーの理由を聞いて「どうしてそんなひどいこと」と見飽きた反応をしてくるのかと思いきや、一人で納得してる。笑顔が消えないところを見るに、コイツもよほど性根がひん曲がっている。
 咎めもせず、悲しみもせず、ゆする様子もない。しまいには、

「あんな試合初めて見たよ」

 と月並みな感想を述べる。選手が怪我して退場する試合がそう頻繁にあるワケないだろ。なんとなく、チームメイトの原のような性質の悪さを感じた。好奇心のままに動いて、何をしてもゲームのようにへらへら面白がっているような。
 放課後に居残って勉強する熱心で真面目な女子生徒は、とんだ変人だったらしい。

「"一生懸命"を無残に踏みにじられた誠凛を見て、どう思った」
「なんで怒ってんのかなって思ったよ」
「……」
「周囲から分かりにくく、完璧なタイミングで怪我を誘うなんて、パズルみたいで綺麗だった」
「お前頭おかしいんじゃねえの」
「玲央ちゃんにも同じこと言われた」

 実渕にもラフプレーを肯定するようなことを言ったのか。実渕はオカマだがまともな神経をしたバスケプレイヤーだ、「頭おかしい」で済んだのが信じられない。よくキレられなかったなコイツ。
 呆れすぎて感心すらしてきた。ずっと微笑んでいるのも、変人っぷりを前にすれば異様にしかうつらない。表情筋が仕事をしない古橋とは反対に、由都は楽しそうにし続けるのだろう。
 歯ぎしりをして悔しそうに顔をしかめないなら、俺にとってなんら面白くない。ただ、純粋そうな笑顔で全てを肯定するのは、悪い気分ではなかった。

「俺の理解者気取りか?」
「なんで?他人は総じて理解できないよ。何でも楽しんだもん勝ちってだけ」
「……お前は、俺の行動が面白ぇのか」
「思考を全て言語化なんてせんからなんとも。わたしの思考回路や心の機微について論じろと言うなら、考えてみるけど」
「んなこと求めてねぇ」

 絵に描いたようなイイコちゃんのくせにひん曲がっている彼女を、野放しにしておくのはもったいない。
 おもむろに手を伸ばして、俺を見上げている由都の首を掴んだ。片手で簡単に絞められる、細い首だ。軽く手を当てているだけでも、脈拍が手のひらに伝わっていた。
 由都は逃げるようにのけぞったものの、座ったままなので逃げ場がない。後ろの机が音を立てただけだ。
 
「……俺を認めろ」

 おそらく誰でも欲しがるであろう、存在肯定機。
 見知らぬ誰か。ましてイイコちゃんには渡さない。俺のような男に見つかったが運の尽きだ。
 


 小難しく語ったけど、ようは由都のこと大好きなんじゃね?
 ヤマにそう言われ、バスケットボールを投擲するのはこの数か月後のことだった。

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