男の子なんやね


(キスすらしてませんがあやしい空気なので注意してください)






 花宮くんは、大学進学にあたり一人暮らしを始める。大学の近くにある学生マンションで、よくある1Kの部屋らしい。荷ほどきが終わったと疲れ切った連絡が入ったのは、霧崎第一の卒業式から一週間後だった。

『来るか?由都ん家からあんま近くねぇけど』

 行くに決まっている。引っ越し祝いでもいるかと思ったが、手ぶらで良いと言われたのでありがたく軽装で向かわせてもらった。
 一人暮らしには憧れがある。わたしは親の方針で、結婚でもしない限り実家を出ることが許されていない。不仲ではないけれど、自立を支援してくれたっていいだろうというのが正直なところだ。
 花宮くんの新居は築五年と新しいだけあって、インターホンも最新でエレベーターも綺麗だった。新しい部屋の匂いは少し慣れないが、今までも通っていた花宮くんの部屋にあったものがあり――バスケットボールも当たり前のようにある――しっかり花宮くん色に染まっていた。
 ついうろうろと新居を見回ってしまう。部屋は、ベッドと座卓、今までも使っていた勉強机用のデスク、壁には本棚が設置されていた。学生マンションにしては、広めの良い部屋な気がする。広さを聞くと、どうやら九畳あるらしい。

「広いほうじゃない?学生の一人暮らしの平均が分からん……でも玲央ちゃんの部屋よりは大きめな気がする」
「立地のせいか、相場より安かったんだ。駅からもスーパーからも微妙な距離で」
「バイト、するの?」
「まあな」
「家庭教師か塾講でしょ」
「時給の良いほうを選ぶ」
「花宮くん、教えるのも上手いもんね」
「馬鹿な奴らのおかげでな。んで、いい加減座れ」
「落ち着かなくて」
「ふは、犬かよ」
「遊びに来てもいい?」
「駄目なら呼ばねえし……まあなんだ、提案なんだが」

 ベッドに腰かけた花宮くんが言い淀む。珍しい様子に、わたしはキッチンの物色を止めた。
 花宮くんは頭をかいた後、わたしをちょいちょい手招きした。
 
「由都、土日休みだろ。週末泊まりに来るか?」
「……へっ」

 多分、少しだけ照れている花宮くんを見下ろしながら間抜けな声を出す。

「無理にとは言わねぇよ。仕事で疲れてるだろうし、俺もバイト入るだろうから、常々一緒じゃねぇが」
「泊まりたい、です。家賃とか光熱費とか食費とか、ちゃんとお納めします」
「その辺は相談……その辺"も"相談だな」
「"も"?」
「実は、こっちのほうが重要なんだよなァ」

 花宮くんはわたしの手を取ると、ベッドに倒れ込みながら引っ張った。自然、わたしの体も傾いてベッドにダイブする。天井を見上げて呆気にとられていると、視界に花宮くんが現れる。花宮くんはわたしをまたぎ、顔の横に手をついた。
 わたしは、身動きできない状態で両手を握った。

「ときに、由都恭夏サン。俺達は、触れるキス以上をしたことがないっつー今時の高校生が真っ青になるほど清いお付き合いをしているわけですが」
「アッハイ……」
「泊まるとなると、さすがに、このままじゃ無理だ。俺も健全な男子高校生……男子大学生になるんで。そこまで強靭な理性はしてないし、普通に性欲だってある」
「ヒエ……」
「覚悟、出来るか」

 つまり、花宮くんはわたしに欲情していて、泊まるなら抱かれる覚悟をしておけと。
 カッと体が熱を持ったのが分かった。耳にうるさいほどの鼓動が響く。握った手に爪を立てて、身体を固くした。
 嫌ではない。決してマイナスな感情ではないが、純粋にびっくりした。花宮くんから性欲という言葉が出てきたことにも、わたしに欲情できるということにも、そもそも性交渉に抵抗がないことも。この三年間何事もなかったのは、単に我慢していたのだろうか。わたしが我慢をさせていたのだろうか。
 わたしは花宮くんを見上げたまま、そっと挙手をした。

「わたし……花宮くんは、その、せ、性行為に興味がないんだと思ってた……」
「……なんで」
「素振りがなかったし、ちょっと潔癖っぽいところあるじゃん。だから興味がないんだと思ったんだけど、違うの?」
「そういう質問が出るってことは、泊まりの話はオーケーってこと?」
「……うん」

 頷きながら、顔に熱が集まるのを自覚する。この肯定は、性交渉への同意だ。抱かれてもいい、とわたしは花宮くんに意思表示をしたことになる。
 なんだこれ、なんでこんなに恥ずかしいんだ。
 両手で顔を覆ってしまうと、花宮くんの顔が見えなくなって少しだけ落ち着いた。
 
「……花宮くんも男の子なんやね」
「たりめーだろ。つか、さっきのは俺の台詞な」
「どれ?」
「『性行為に興味がない』って。由都こそ、潔癖っぽいところあんだろ。性交渉には否定的かと思ってたから……」
「我慢してた?」
「誰かさんがすぐくっついてくるから」
「ごめん……そんなつもりなくて」
「だろうな」
「というか、気にしてると思わなくて」
「みたいだな」

 指の間から花宮くんをうかがう。いつもやや血色の悪い顔がほんのり色づいている。それを見て、さらにわたしの心臓も早鐘を打つ。
 この話を切り出すのに、緊張したのだろうか。あの、全知全能の花宮くんが、わたし相手に緊張したのだろうか。いつから考えていたのだろう。泊まりの話は今日初耳だったが、もしかしたら一人暮らしを考え始めた時点で、花宮くんの中では案としてあったのかもしれない。
 深呼吸を一つする。鼓動はまだ収まっていないし、顔も真っ赤だろう。
 わたしは手を伸ばして、花宮くんの髪に触れた。男子にしては長めの黒髪を隠れている耳にかけ、滑らかなフェイスラインをなぞる。

「正直嬉しい。わたしに、欲情してくれてるってこと」

 目を瞬いた花宮くんが、大きなため息をついて倒れ込んでくる。ベッドと花宮くんに挟まれて、不細工な声が出た。

「ぐぇえ」
「おま……お前さあ……!」
「花宮く、重い、ほんとに重い」
「いい加減にしろよ、バァカ!」
「何の罵倒!?」
「痛い目見んの、そっちだからな」

 花宮くんは、肘をついて上体を起こす。至近距離で見つめ合う羽目になり、わたしは思わず唾を飲み込んだ。
 暴露されてしまえば、意識せずにはいられない。艶っぽい視線も、熱い吐息も、伝わる鼓動も、触れている肌も。情報過剰で頭から火を吹きそうだった。
 耳をくすぐられ、鳥肌が立つ。妙に腹の奥がうずいて、不思議な感覚に眉を寄せた。

「そのときは、よろしくお願いします」

 おそるおそる、広い背中に腕を回す。シャツを握りしめると、花宮くんが口の端を上げた。

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