命か矜持か

 現在地は浅草。
 鬼殺隊の三柱から逃走し、まだ手配書じみたものが出ていないのを良いことに藤家紋の家で着替えをもらい、追われていないことを確認しながら浅草までやって来た。厄介なのは鴉からの尾行だが、なんとか撒けていた。それでも、そう猶予はない。他の鴉はともかく、わたしの鎹鴉・羽々丸が問題だ。隊士付の鎹鴉は、隊士がどこにいても指令を持って来て誘導する優秀な鴉であり、羽々丸もきっと、遠くない内にわたしを見つけるだろう。
 
「にゃあ」
「あ、いたいた」

 浅草を歩くこと四半刻、三毛猫が声をかけてきた。不思議な言い方だが、確かにこの猫はわたしに声をかけたのである。階級にかかわらず動物に嫌われる吸血鬼なので、三毛猫は毛を逆立てて瞳孔をまん丸にしていた。それでも声をかけてくれたのはありがたい。この猫の案内がなければ、目的地にたどり着けないのだ。
 歩き出した三毛猫・茶々丸に続く。羽々丸と名前が似ているのは偶然だ。茶々丸は、道案内するにしては広く距離をとってとことこ歩く。
 茶々丸と散歩して少し。ふ、と雑音が途切れる瞬間があって、突如目の前に洋館が現れる。別世界に来たなんてことはなく、人除けの結界によるものだ。洋館もごくごく普通に建っているもので、わたしが洋館を認識出来る領域に入ったから、湧いて出たように錯覚しただけである。いつもながら見事な結界だと感心すると同時、催眠や誘導の類がいかに便利なものであるかと思い知る。
 茶々丸は、わたしが洋館を認めたと分かると、途端に走り出して姿を消してしまう。出来る限りわたしと共にいたくないという強い意志を感じる。
 洋館のドアを叩くと、これでもかと顔をしかめた青年が顔を出す。書生風の出で立ちをした彼は愈史郎(ゆしろう)という。

「やけに短い期間でやって来ますね。危険が伴うことを承知ですか? 分かってます? 嫌がらせですか? また上弦の鬼と遭遇でもしました?」
「前回は怪我で血が足りなかったせいだし、前々回は元号が大正に変わったお祝いしたかっただけなの、許してよ。さらに前になると十年は空いてるんだよ」
「はあ……」
 
 特大のため息を頂く。

「珠世ちゃんは? 紅茶も買ってきたよ」
「……どうぞ」

 愈史郎くんはわたしが手に持つ袋を見て、渋々を隠さず中に通した。
 この洋館は珠世ちゃんの現在の住まいである。彼女との付き合いは長い。頻繁に会うわけではないにしろ、珠世ちゃんが人を鬼する技術を持つことを知るくらいには顔を合わせ、"珠世ちゃん"と気さくに呼ぶことを許されるくらいには親しい。一番最近の訪問は、わたしが怪我をして血が足りなかったときに、珠世ちゃんのストックを分けてもらいに来た。
 愈史郎くんは二十年ほど前、不治の病で苦しんでいたところ、担当医であった珠世ちゃんの提案のもと自分の意志で鬼になり、以降珠世ちゃんに付き従っている。珠世ちゃんが好きすぎて時折言動に問題が見られるが、この洋館を隠す術を始めとしてとても便利な血鬼術を扱う優秀な青年である。
 応接室に通されて、しばらく待つよう言われる。おとなしく呆と待っていると、珠世ちゃんと愈史郎くんが紅茶の香りとともにやって来た。
 人の食事が出来ない鬼の二人に対して紅茶を持ってきたのは嫌がらせではなく、珠世ちゃんが大の紅茶好きで、紅茶だけは飲めるようにと自分改造していることを知っているからだ。
 その紅茶はわたしの前と珠世ちゃんの前に置かれる。愈史郎くんは珠世ちゃんの隣に座った。

「元気そうね、木路さん。五年と空いていないから、本当に変わりなく見えるわ」
「珠世ちゃんも元気そうで良かった。愈史郎くんも相変わらず」
「あなたに会えるのは嬉しいけれど、こう短期間だと心配になるわね。何かあったの?」
「もう会えないかもしれないから、挨拶しに」

 珠世ちゃんは目を瞬いた後、「国外に戻るの?」と問うてきた。外国から吸血鬼探しに来たと言ってあるので、当然の推測だろう。愈史郎くんはもう少し「清々します」という空気をおさめてほしい。ちょっと傷つくので。

「ううん。もしかしたら死ぬかも」
「……え?」
「死にたくないけど、やむを得ぬというか……最初から説明させてくれる? 話してないことがあって」
「ええ、もちろん、聞かせて頂戴」
「わたし、実は鬼殺隊の支援部門である隠なの。鬼殺隊員なの」

 二人の表情が凍る。愈史郎くんが唇をおののかせたのが分かり、慌てて付け足した。

「二人のことは報告してない。本当に。珠世ちゃんと出会ったのもたまたま。珠世ちゃんだけに」
「ふざけるなよ殺すぞ」
「ごめんなさい。わたしは、珠世ちゃんと出会う前から、情報収集の手段として鬼殺隊に所属しているの。名前も変えずに長く所属していたら、いつの間にか『名前を継いで、隠として鬼殺隊に貢献する忍の家系』っていう面白おかしいことになっていて、特に支障なく今まできたんだけど……」
「藤の香り袋を持っているとはいえ、よく溶け込めたわね。人間の気配ではないのに」
「ああ、うん、それが今回表面化しちゃって。鬼じゃないかって柱から疑われて、三柱からなんとか逃げてきた」
「追われたままここに来たのか。ふざけるなよ殺すぞ」
「ちゃんと撒いたから大丈夫!」
「……じゃあ、死ぬかもしれないと言うのは、鬼殺隊に殺されるかもしれないと」

 珠世ちゃんの言葉を肯定する。珠世ちゃんは自身を落ち着けるように紅茶に口をつけた。わたしもつられて紅茶をいただき、それで、と話を続ける。

「このまま逃げたら、逃げ切れると思う。幸い、出島からの知り合いもいるから、外国にも行ける。でも……わたしはあえて出向こうと思ってる」
「せっかく逃げ切ったのに?」
「うん、逃げ切ったけど。自分から行けば『鬼じゃない』って言うわたしの言葉も少しは信用してくれるんじゃないかなあって」

 わたしはどうしても、鬼だと思われているのが気に食わない。まして、鬼だと思われたまま、鬼として斬られるのは絶対に嫌だ。珠世ちゃんや愈史郎くんのことを軽視してるのではなく、鬼殺隊にとっての鬼は、人肉に狂ったいきものだから。そう思われたまま、鬼舞辻の仲間だと思われたまま、殺されるのだけは絶対に嫌なのだ。
 紅茶を睨んでそう言うと、視界にきれいな手が入ってきた。とんとん、とテーブルを叩き、わたしに顔を上げるよう促す。

「木路さんのことは信じるわ。わたしたちのことを、明かしていないって。そうじゃなきゃ、ここ数十年平和ではいられなかったでしょうし」
「ありがとう」
「だから、そんなに悲しそうな顔をしないで」
「……悲しそうかな?」
「ええ、とても」

 悲しんでいる自覚はないが、この世界唯一の友人がそう言うのなら、わたしは何かを悲しんでいるのかもしれない。
 珠世ちゃんの手を握る。血の通ったあたたかい手だ。藤の香りをさせているわたしには近づきたくないだろうに、しっかりわたしの手を握り返してくれる。彼女の優しさが、柱からの殺意に辟易していた心に沁みる。感情を読むなんて能力は無いのに、珠世ちゃんが心の底からわたしを気遣ってくれているのが分かる。
 愈史郎くんの顔が筆舌に尽くし難いことになっていて思わず笑った。そこでようやく、思いの外緊張していたことを知った。
 礼を言って手を離す。珠世ちゃんは穏やかに笑んでいた。

「また、無事に会えることを願っているわ」
「うん。一緒に外食する約束もあるからね。アフタヌーンティーで美味しい紅茶を飲んで、スコーンとサンドウィッチとケーキを食べよう」
「……ええ、必ず。あなたが吸血鬼の矜持に命を賭けるように。わたしは、薬の開発に全てを賭けるわ」
「出来ることがあれば何でもするよ」
「『何でも』なんて、簡単に口にしちゃ駄目よ」
「簡単じゃないよ。分かってて言ってる」
「珠世様を口説くんじゃない!」
「ごめんて」

 愈史郎くんが吼える。「軽薄だ」「木路さんはいつも」「珠世様に馴れ馴れしい」親の仇でも見るように睨んでくる。珠世ちゃんがたしなめると不満そうに口を閉じていた。いつものことだ、嬉しいくらいにいつものこと。珠世ちゃんの手をもう一度借りて手の甲にキスする仕草をすると、愈史郎くんが奇声を上げてわたしの手を叩き落とした。

「たまっ珠世様に! なにを!」
「あはは、ごめん」
「反省が見られない! 全くもって反省の色が見られない!」
「愈史郎、少し静かに」
「すみません」
「木路さん」
「ふざけました、すみません」
「そうではなくて、木路さん。わたしも、あなたに話していないことがあるの」

 珠世ちゃんは笑みを引っ込めており、どこか力の入った口元だった。

「まるで聖人のように扱って下さることが、嫌な訳ではないのよ。でも、あなたが危険を前にして会いに来てくれたように……わたしも、悔いなく明かしておきたいと思います」
「うん」
「わたしは、最初からこのように自我をもっていたのではないの。人を喰ったことがあるわ。一人ではなく、理性を取り戻すまで、何度も。愈史郎は違うけれど、わたしは立派な鬼なのよ。人間でありたいと願う、醜い鬼なの。黙っていてごめんなさい」

 珠世ちゃんの声は震えていた。表情こそ取り繕っていたけれど、最後は絞り出すような声だった。人を喰う鬼を嫌うわたしに告白するには、相当な勇気を要したのだろう。わたしは少しだけ、狂った鬼をボロクソに言ったことを後悔した。わたしの言葉は、珠世ちゃんにも刺さったに違いない。人を喰って正気を取り戻した珠世ちゃんの心情は、察するに余りある。

「わたしのせいで、言い辛くさせたんだね。こっちこそごめん」
「いいえ、木路さんの考え方は当然のことよ」
「ただ、それで珠世ちゃんを拒絶すると思われるのは心外です」

 珠世ちゃんが人を喰ったことがあると知って、嫌悪するわけがない。珠世ちゃんが、鬼を救うために奔走する尊いひとであることには変わりないのだ。

「人を喰ってもそれに囚われなかったのは、珠世ちゃんがそれだけ気高いからだよ。醜い鬼じゃない、強い自我をもった尊いひとだ。"殺す"以外で鬼を救う術を探す、彼らの希望だよ。わたしは、そんな美しいひとを糾弾しない。罰は、珠世ちゃんが珠世ちゃん自身に課していると思うよ。……だから顔を上げて、わたしの優しい友達」

 そろりと視線をあげた珠世ちゃんの背を、愈史郎くんが支えている。愈史郎くんは知っていたのだろう。知っていて尚、こうして珠世ちゃんに寄り添っているのだろう。それが珠世ちゃんが醜い鬼でないことを示す何よりの証拠だ。
 何でもすると言いながら、わたしはすぐに死ぬかもしれないから。珠世ちゃんのことは、愈史郎くんに支えてもらいたい。
 もう一杯紅茶を淹れてもらって、今までできなかった鬼殺隊での話なんかをしながら、優雅なティータイムは幕を閉じた。

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