羽々丸(はばまる)が主人を得るとき、先代の鎹鴉(かすがいがらす)から妙なことを言われた。人間のように明確な言葉で会話するわけではないが、そういったメッセージがあったのだ。
少し変わったところはあるが、ちゃんと人間を守ってくれる優秀な隠だ、と。
羽々丸は最初、言われた意味を図りかねた。鴉がつくのだから優秀なのは当然であり、『ちゃんと人間を守ってくれる』と改めて言わなくてもいいのではないか。『変わったところ』が相当おかしなことになっているのかもしれない、と鴉なりに考えて対面した。
主人の第一印象は"こわい"だった。何故そう感じたのか羽々丸にも分からなかったけれど、とても肩や腕には乗れず、間隔を置いて地面に降り立った。主人は気にしていないようだったので、先代も肩や腕には乗らなかったのかもしれない。
主人は想像以上に若かった。先代とは二十年以上行動を共にしているはずだが――鎹鴉は長寿の鴉のかけ合わせで、野生の鴉よりも寿命が長い――どう見ても人間の三十代には届いていない。老けない人間もいるのだろうか。そもそも、鴉と人間とでは種族がまるっきり異なる。人間が初見で鴉の年齢を当てられないように、鴉も、人間の外見年齢を正確に見極めることは出来ないので、そういうものかとあまり気にはしなかった。
鎹鴉の仕事は多岐にわたる。鴉集会での情報交換、任務の伝達、任務地への案内、任務の報告、私的な手紙の配達。羽々丸の主人は手紙を書かないひとだったので、伝書鴉的役割は求められなかったものの、任務における移動距離が半端なく、決して楽な仕事ではない。
従って、主人といる時間はそう長くなかった。任務地だけを伝えて先に羽々丸が移動することもある。羽々丸が違和感に気付いたのは、主人を得てからずいぶん経ってからのことだった。
一つ目、主人は深夜の民家に忍び込むことがある。二つ目、一人のときに食事を摂らない。
羽々丸は、そういう人間もいるのかと問題視しなかったが、集会で出会った鴉に何気なくこぼすと、それ人間じゃないのでは、と怪訝にされたのだ。
そのときやっと、先代の言っていた『変わったところ』を理解した。
普通ではないと気付いても、羽々丸はそれを報告しなかった。先代のように、何事もなかったかのように仕事を続けた。主人が人間を襲ったり、それこそ食っていればともかく、隠として真っ当に仕事をしていたからだ。忍び込んだ民家の人間は翌日も元気に生きていたし、鬼との戦闘では危機に瀕した隊士を庇うことすらあった。よって、羽々丸は、主人の奇行を"問題ナシ"と判断した。報告を上げれば、主人のことを何も知らない鴉や隊士が、主人のことを悪い存在だと判断することをおそれてもいた。
あの日、任務地に到着した後のこと。水分補給をする主人から離れ、現地にいた音柱(おとばしら)の鎹鴉に挨拶をしようとすると、音柱の鎹鴉は、主人の身を確保すると羽々丸に告げた。人間ではない可能性が浮上し、柱が集まっている、と言うのだ。
羽々丸は必死で弁解した。集まってきた水柱や蟲柱の鴉にも訴えた。主人は、確かに普通の人間とはちょっとばかり変わっているけれど、一度も任務を放棄したことはなく、強い鬼の前に立ちふさがることもあり、ご主人に命を救われた隊士だって一人や二人ではない。羽ばたきながら必死に訴えると、柱の鴉たちはそろって首をひねる。隠に助けられた隊士が大勢いるのならば、そういった報告があげられるだろう、と。羽々丸は「ソヤケド、ソヤケド」と人間の言葉をこぼしながら、主人を守れないかと記憶をたどった。そして愕然とした。戦闘があったとき、決まって主人は満身創痍の隊士に触れるのだ。その後、目覚めた隊士の鴉が主人を話題にすることはなかった。助けられた隊士は、ご主人の勇敢さを忘れているのだ。隊士が気にしていないことを、鴉は報告しない。隊士の鴉が、羽々丸が報告していると判断している可能性だってある。鬼討伐に貢献しておきながら、それを隠したがる者など普通はいないのだから。
主人は、助けた隊士の記憶を何かの力で消している。羽々丸に、戦闘を報告するよう言ったこともなかった。羽々丸が、鬼討伐の報告をしたことはなかった。
羽々丸が我に返ったときには、主人は姿を消していた。柱の鴉から、主人の追跡と居場所の報告をするよう言われて飛び立ったけれど、混乱していてろくに飛べなかった。
主人が人間に攻撃したことはない。羽々丸にもいつだって優しかった。村人や隊士の亡骸には必ず手を合わせていた。犠牲者が多かった任務の後、思い悩んでいることも知っている。常々心を痛めていることを、羽々丸は鴉なりに理解していた。
羽々丸は、鎹鴉としてしっかりと教育を受けている。鎹鴉が隊士を見失うなどあり得ないことだ。だが、混乱していたせいか、主人がよほどうまく身を隠したのか、発見には時間がかかった。
見つけたのは浅草の街中だ。以前、浅草で姿を見失ったことがあったと思い出す。主人は浅草と相性が良いか、身を隠すことに長けているのだろう。羽々丸は主人を見つけたことに安堵しつつも、嬉しくはなかった。羽々丸は、任務を遂行できる優秀な鎹鴉なので、とても主人を見逃せない。
主人は、羽々丸を待っていたかのように笑顔を浮かべた。
「さすが、よくわたしを見つけたね」
羽々丸は地面に降りると、砂を蹴るように細い足を動かしながら、もごもごと言い淀んだ。
「アンナ、ゴスズン、アンナァ……ゴスズン、羽々丸ハ鎹鴉ヤカラナ」
「わたしの捜索命令とか出てる?」
「セヤデ」
「そりゃそうだよね。そっかあ、じゃあぼちぼち移動しようかな。逃げるんじゃないから、羽々丸も一緒に行こう」
「エエンヤデ……」
「ははは、声に元気がないなあ」
躊躇いのある羽々丸とは対照的に、主人は陽気だった。空元気かもしれないが、思い詰めた様子はなく、もちろん化けの皮が剥がれて羽々丸を襲うようなこともなかった。
羽々丸は初めて、主人の肩に飛び乗った。