なぜ海を渡らないのか

 柱合会議中、わたしは別室で待機することになった。広い和室に分厚い座布団、お茶と干菓子も出されたので決して悪い扱いではない。むしろお客様対応されているような気がする。縛って転がした詫びだろうかと思いながら、ありがたく菓子をつまんだ。
 一人だが正座を崩さないままお茶をしていると、ご息女の一人がやってきてわたしの前で書き物の準備を始めたので慌てて手伝う。ご息女はわたしと向かい合う位置に座った。

「改めまして、ひなきと申します」

 ご息女の一人、ひなき様は丁寧に挨拶をしてから筆を執った。

「鬼舞辻無惨と遭遇したときの詳細の聞き取りと、似顔絵作りに参りました。どうぞ、お茶を飲みながら、ゆるりとお話くださいませ」
「いやそういう訳には……いきませんので……」

 わたしは湯飲みを置いて姿勢を正した。真面目に仕事をするひなき様を前にして、のんびりお茶をする気にはなれない。
 わたしはひなき様に求められるまま、覚えている限りのことを話した。当時にも報告書は上げており――まさか鬼舞辻無惨だとは思わなかったので、十二鬼月の可能性有として報告しただけだが――そのことをひなき様もご存じだったので、内容が被っていると思うと前置きをしつつ、印象的な夜を語る。人相も覚えている限りは言葉にし、ひなき様と協力して似顔絵を作成したものの、外見くらい変えられるだろうなというのがわたしの正直なところだった。
 聞き取り調査が終わったころにはお茶もすっかり冷めていて、わたしとひなき様はちょっとばかり打ち解けていた。

「それにしても、柱が勢ぞろいだと鬼舞辻無惨にも対抗出来るのですね」

 干菓子をそっと一つひなき様にプレゼントし、自分は冷めたお茶を一気飲みしていると、ひなき様は手のひらに乗せた干菓子をそのままに二十度ほど首を傾けた。

「少し、不思議な言い方をされますね。『出来そう』ではなく『出来る』と。もちろん、わたしも、そう信じてはおりますが」
「ああ、確かに少し言葉を間違えたかもしれません。ですが、わたしをこうして屋敷に運んだ以上は鬼舞辻無惨を上回るだけの力があるのだろうなと思ったのです。だから『出来る』と」
「木路様を運び込むことと鬼舞辻無惨は何か関連があるのですか?」

 ひなき様の大きな目がやや細められてひやりとした。また、このすれ違いの理由に思い至ってそれもひやりとした。
 わたしはそっと湯飲みを置いて、片手の平をひなき様に向けて"待ってくれ"とジェスチャーをする。
 まさかとは思うが、彼ら/鬼殺隊は知らないのだろうか。

「鬼舞辻無惨の"呪い"については、ご存じですか」

 ひなき様は、いいえ、と首を横に振った。
 わたしは深呼吸をした。ひなき様は知らないらしい。ひなき様が知らないなら隊士も知らないだろうし、お館様も知らないかもしれない。わたしをこの屋敷へ運ぶということに対して沸いていた疑問が、嫌な方向で的中するとは思わなかった。
 「頭を整理するのでお菓子食べてください」とひなき様に干菓子を促す。ひなき様は神妙な顔をしながらも干菓子を口に運んだ。
 
「鬼舞辻無惨は、鬼と視界や思考を共有することができます」

 ひなき様の目が見開かれた。

「ですから、鬼を屋敷に運ぶと、拠点がバレる可能性があるのですよ。わたしは、柱を集めることで万が一に備えているのかと思ったのです」
「木路さんが鬼ではなかったから良かったものの……?」
「はい」
「……一大事です。お館様と柱の皆様にご報告に参ります。しばらくお待ちください、後でお呼びするかもしれません」
 
 ひなき様が腰を上げる。畳で一度滑ったのがいかに焦っているかを物語っていた。急いで、けれども静かに襖を開いたひなき様がふとわたしに視線を向けた。

「木路様は、鬼殺隊も知らないその情報をどこで」

 当然の問いにわたしは冷や汗を流した。
 情報源は珠世ちゃんだ。「友好的な鬼が」と言ったところで、信用してくれる気がしない。せっかく鬼疑惑を払拭出来たのに鬼の間者と思われるのも避けたい。そもそも、友人である彼女を売るわけにはどうしてもいかない。
 ひなき様からの視線が痛い。目力が強すぎる。

「言えません。言えませんが、嘘も言いません」

 ひなき様は探るようにわたしをじっと見つめて、ややあって一礼して部屋を出て行った。



 天井の木目を見つめて唇を噛む。

「木路、そんなに天井を見つめても何も降ってこないよ」

 お館様に声をかけられて渋々顔を前に戻す。現実逃避は終了だ。
 会議に呼ばれたわたしは、柱の面々が座る座敷のど真ん中に通された。つまり、現在柱に包囲されている状況である。誰もかれもが敵意をバシバシに飛ばしてくる。中立だった炎柱改め師匠と恋柱と水柱はまだ穏やかなほうだが、警戒しているのが痛いほど伝わっている。
 お館様はひなき様から渡された調査書を流し見ている。
  
「まずは、聞き取り調査に協力してくれてありがとう」
「いいえ、お安い御用です」
「で、新たな問題が浮上した訳だけれど。鬼舞辻無惨の"呪い"……鬼舞辻無惨は、他の鬼の視界や意識を共有できると。これは事実かな?」
「はい」
「情報源は?」
「言えません」

 きっぱり答えると、空気がより強張る。まとう空気を変えないのはお館様だけで、それはそれで少し異様に映った。

「何かの出来事があって気づいた、と話をでっちあげてもいい場面だ。けれど木路はそれをしない。情報源があることを認めているね。嘘をついていないのは本当だろう」
「どうでしょうか。咄嗟にでたらめを思いつかなかっただけでは」

 風柱がすかさず言う。

「実弥の言うことも一理あるけれど、七十年鬼殺隊に所属していたなら、長い時間の間に言い訳の一つでも考えているんじゃないかな。それがないのは、そもそも我々を欺(あざむ)くつもりがないからだ」
「……お館様は、この迫木路が事実を伏せていても許すのですか」
「必要があれば話してくれると思っているよ。しのぶから連絡があって、今までの木路の報告書をさらったけれど、頭のいい印象を受けたしね」
「吐かせましょうか」

 音柱が不穏なことを言う。横目でうかがうと、がっつり目が合って即座に逸らした。
 お館様は悩まし気だった。そこはすぐに却下してほしかったところである。

「派手に尋問なり拷問なりすれば、吐かせられます。鬼の情報をどこから得たのかは、はっきりさせておくべきです」
「明らかにしたいのは否定しないよ。ただ、七十年もの間鬼殺隊のために働いてくれている木路に、仇をなすようなことはしたくないんだ」
 
 お館様は穏やかに笑った。
 お館様は本当にわたしを信用しているのだ。鬼に関する重要事項の情報源など、のどから出るほど欲しいに違いないのに。明かすべき情報ならば明かすはずだと、わたしの判断を信じてくれている。
 七十年。吸血鬼のわたしの感覚でも、決して短くはない時間だ。
 純血種様を探している――これはほんとう。
 鬼殺隊よりも純血種様探しを優先している――これは、多分嘘だ。
 七十年だ。本気で純血種様を探しているならば、吸血鬼の逸話がある日本国外へとっくに出ている。それをしていないことの意味を、わたしは自分で十分に分かっていた。
 わたしは、膝の上で手を握った。拳を睨んで深呼吸をしてから、お館様に向き直った。

「友人がいます」

 鬼殺隊の力になりたいのだ。より正確に言うならば、わたしは鬼を救いたいし人間を守りたい。哀れな鬼の姿は元人間の吸血鬼に重なって放っておけるはずがないし、短い命を必死で生きる人間を見て見ぬ振りもできない。
 珠世ちゃんは絶対に売れない。お館様/鬼殺隊の覚悟も無視出来ない。

「鬼の友人がいます」

 複数人が刀に手をかける音がした。
 わたしは発言を止めなかった。

「人間に悪人と善人がいて、吸血鬼に人間を襲う吸血鬼と襲わない吸血鬼がいるように、鬼にも害のない者がいます。彼女は自らの力で呪いを断ち切り、今は鬼からも鬼殺隊からも逃れながら、鬼の研究を続けています。呪いの話は、彼女から聞きました。もうずっと前のことです」
「……それが、木路の判断した線引きかな」
「はい。彼女のことは、話せません。いくら爪をはがされ、腕をもがれようとも、話しません」
「うん、そうか」
「お館様! 信じるのですか」
「うん。それに、今鬼殺隊にとっても有益な情報があった。『鬼の研究を続けている』と」

 お館様は柱からの反感をさらりと流した。「しのぶ」と静かに蟲柱を呼ぶ。蟲柱の返事は一拍空いていて、その短い間にわたしへの反感やお館様への意見を飲み込んだのは明らかだった。
 
「時間があるときに、木路に研究の話をしてあげてくれないかな。木路も話を聞いて、思うところがあったら教えてほしい。鬼の彼女がどういった研究をしているのかは分からないけれど、もし一致するところや役に立ちそうなことがあるなら、彼女の紹介を前向きに考えてほしい」
「難しいと思います」

 正直にそう答えると、ギッと蟲柱から睨まれる。わたしは蟲柱を極力気にしないようにしながら続けた。

「前向きには考えますが、彼女の意思を尊重します。鬼を殺す組織に鬼の友人を紹介するのは……彼女の身が危険すぎますから」
「分かっているよ。しのぶも、いいね?」
「……承知いたしました」

 わたしも頷く。蟲柱が研究者らしいことは知っているものの、その内容までは知らない。蟲柱の暮らす花屋敷は病院のような役割を果たしているので、血鬼止め関連の研究だろうかと勝手に予想したが、ふと蟲柱の言動を思いだして真顔になった。蟲柱は、わたしの捕獲を試みたときに毒を使っていた。研究というのは、毒物関係だろうか。被験体になった身としてはあまり近寄りたくはないが、薬と毒は紙一重というし、相性がいいかもしれない。珠世ちゃんが出てくるか、蟲柱がそれを認めるかはともかく。
 話はひと段落したなら退席したほうがいいだろうかと――敵意が痛いので早く出たい――お館様の様子をうかがうが、お館様は「もう一つ」と人差し指を立てた。

「木路に意見を聞いておきたいことがある。呪いの話を受けて……藤襲山の遺品回収をしている木路に」
「鬼殺隊入隊試験のことでしょうか」
「そう。鬼舞辻無惨が鬼の情報を収集できるなら、鬼を多く閉じ込めている藤襲山は非常に危険だということになるだろう。けれど、今まで十二鬼月はおろか異能の鬼からの襲撃はなかった。何故だと思う?」

 それはわたしも疑問に思ったことがある。

「末端の鬼の意識まで把握していないから、というのがわたしの考えです。彼女も同意していました。鬼舞辻無惨の性質上、鬼殺隊員を増やす場を見つけたら必ず潰すだろうと。鬼舞辻無惨の意識共有は、強い鬼……最低限血鬼術を扱えるような鬼を優先しているのではないでしょうか。藤襲山の鬼は、血鬼術を扱えない鬼ばかりですから」
「なるほど。鬼の彼女の言葉もあるのはありがたいね。ありがとう、参考にするよ」

 いえ、と軽く頭を下げると、お館様のそばに控えるひなき様が立ち上がった。わたしはようやく、この空間から解放されるらしい。話す必要性を理解しているとしても、敵意にさらされるのは進んでやりたいものじゃない。
 わたしはお館様に深く頭を下げて、ひなき様とともに部屋を出た。

 

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