煉獄さんち

 藤花彫(ふじかぼ)り、という謎技術がある。決まった言葉をとなえ、手に力を入れると手の甲に文字が浮き出てくるのだ。隊士の階級を示すものであり、鬼殺隊士であることを示す証明のような役割もある。
 わたしは煉獄家へ向かうかたわら、両手で拳を作った。

「『階級を示せ』」

 じわり、と墨がにじむように手の甲に文字が浮き出てくる。
 ここでおさらい。鬼殺隊の階級は下から、癸(みずのと)、壬(みずのえ)、辛(かのと)、庚(かのえ)、己(つちのと)、戊(つちのえ)、丁(ひのと)、丙(ひのえ)、乙(きのと)、甲(きのえ)。そして柱。
 右手に"癸(みずのと)"、左手に鏡文字で"乙(きのと)"。右手が隊士階級、左手が隠階級だ。産屋敷にてひなき様に右手の処置をされた。あのもみもみの間に何を行っていたのかは分からない。自動的に更新される意味も分からない。
 おおまかに言えば"傷"なので気合を入れればおそらく治ってしまうのだが、ピアスをしている級友がいたのと同様に、ある程度治癒の具合はコントロールできる。加えて、わたしはこの謎入れ墨を"もとから体にあるもの"と認識し直しているので、片腕を切り落とされても藤花彫りごと戻る。

「おおー。見てください師匠、両手に階級」

 ともに歩く炎柱改め師匠に両手の甲を見せると、師匠は興味深そうに眺めた。

「そうか、木路の隠階級は"乙"なのか。代替わり……実際は一人だったわけだが、代替わりの度に"癸"から?」
「いえ、継続ですよ。そもそも、その"代替わり説"はわたしの知らないところで広がっていたので」
「では、なぜ"甲(きのえ)"ではない? 長く隠をしていて、実力もあるのなら」
「断っていました。最上級となると、お館様方とお会いする機会が増えるかと思って」
「……何故?」
「人間ではないとバレたくなかったからですよ」

 師匠が得心したように手を叩く。
 手の力を抜くと、すうと階級が消えていく。本当に謎技術である。
 
「先ほども色々と聞きはしたのだが」

 ほがらかな陽気の中を歩いていると、師匠が問いかけてくる。

「吸血鬼、というものは人の血を飲むと?」
「はい。これからは、蝶屋敷や鬼殺隊に協力している治療院での採血から融通していただけるようです」
「俺には正直、吸血鬼というものと鬼との違いが分からん」

 なんだと。

「木路と鬼との違いは判るのだが」

 許す。
 わたしは空を見上げて、師匠に続く。

「違い……。いきものとして、根っこから違います。生態が似ているだけですよ、多分。何か気になることでもあります?」
「これからうちで生活することになるだろう。何か、日常生活において気を付けておくべきことは? 生憎と、人間以外の存在と生活したことがないものでな!」

 師匠は笑うが、わたしは静かに感激していた。師匠はわたしを人外だと認めた上で、これからのことを考えてくれているのだ。
 わたしは腕を組んだ。真っ先に出てくるのは夜行性という情報なのだが、それもすっかり人間寄りになっている。こうして昼間でも問題なく行動できるし、朝もほどほどに克服したと言っていい。次に食料だが、それは述べた通り融通してもらえることになっている。あとは。

「そうですねぇ、人の食事をほとんど必要としないことでしょうか。本来は不要ですが、血液量が十分ではないと多少は肉や野菜を食べるべきですし……」
「なんと。道理で少食だと思っていた」
「普段定食屋で食べてる量は多いくらいですよ。師匠は……代々炎柱は大食漢が多いです。比較対象になりません」
「確かに、俺も父上もよく食べるほうだとは思うが、そうなのか? 食事のことは千寿郎に任せているから伝えておこう」

 そうだ、千寿郎くん。師匠とは少し離れていると聞いたことがあるような気がするので、"くん"でいいはずだ。千寿郎くんとは初対面になる。また血筋の濃い顔をしているのかと思うと、少し楽しみである。槇寿郎さんと会うのも久しぶりだ。槇寿郎さんには――お館様たちや柱以外の隊士には――代替わり説をそのまま伝えるので、「お久しぶりです」とは言えないのだが。

「さあ、着いたぞ。ようこそ我が家へ」

 師匠に続いて、立派な日本家屋の門をくぐる。使用人の人数を問うと「今はおらん。千寿郎任せでな」とこころなしか申し訳なさそうな声が返ってきた。
 師匠が玄関の引き戸を開くと、軽い足音が近づいてくる。ひょ、と現れたのは煉獄家の血筋が眉毛の角度以外に色濃く反映された少年だった。師匠が心底困ったらこういう表情になるんだろうな、という感じの。疑いようもなく千寿郎くんである。

「おお、帰ったぞ」
「おかえりなさい、兄上。そちらの方は……」
 
 進み出て軽く頭を下げる。

「迫木路と申します」
「あの噂の……? あ、すみません、その」
「そう固くなるな、千寿郎。木路、先ほど話していた弟の千寿郎だ」
「でしょうね」

 深く頷く。これで血縁ではないと言われたら錯乱するところだ。
 師匠が仏間に行くというので、当然わたしもお邪魔する。代々炎柱を務める、というだけあって歴史のある家系なので、飾ってある写真も多い。そしてどれも男性の顔が似ている。なんとなく眉毛の角度が違うくらいだろうか。お嫁さんの血はどこへ行ったのか、と以前来た時も思ったことをまた考えながら写真に目を走らせ、一番新しい写真で止まった。
 槇寿郎さんの奥さん、瑠火(るか)さんだ。家事が千寿郎くん任せだというのでもしやと思っていたが。

「母上のことを、覚えてくれているのか?」

 わたしの戸惑いに気付いたのか、仏壇前に座した師匠が問うてくる。わたしは慌てて師匠の後ろに正座した。

「ええ、覚えています。凛々しくて美しい方でした」
「そうだろう、そうだろう。自慢の母上だ。木路がやってきたのが……亡くなる一年前だったか。病でな」
「お悔み申し上げます」

 病、というのだから持病か感染症か。わたしが医学や薬学や科学に特別詳しかったなら良かったのだが、何かを開発できるほど専門的な知識は持ち合わせていない。
 師匠と入れ替わりて手を合わせ、仏間を後にする。余っている部屋に案内してくれるというので続いた。
 大きな屋敷なだけあって、部屋数が多い。どこの方角の部屋が良いかと聞かれたので「できれば北向きで、南は避けたいです」と答えた。師匠は信じがたいと言いたげな顔をした。吸血鬼の部屋は日当たりが悪くてなんぼなのである。

「南? 本当に? 南だぞ? 間違えてないか?」
「合ってます。吸血鬼は夜行性ですから。鬼のように死んだりはしませんけれど」
「だが木路は日光が平気なのでは?」
「諦めているだけで、避けられるなら避けたいですよ」
「そういうものか……。南側か。一応空いてはいるが」
「そこでお願いしてもいいですか?」
「ああ、案内しよう。掃除もせねばな。あと布団と……そういえば、柱合会議から直接うちに来たが荷物は?」
「ああ……色々覚悟してたので処理しちゃったんですよね。お金は持っているのでまた買い揃えます」
「資金なら俺から出そう」
「エッ」

 柱の給金は申請したらした分だけもらえる無制限制なので心配はないにしても、一部援助ではなく十割持ってもらうというのは抵抗がある。

「俺が面倒を見るのだから当然だろう」
「男前ですね……いやあでも、わたし、お金は持ってるんですよ」
「それは欲しいものができたときにでも取っておくといい。それに俺は何度か食事を奢ってもらっているのだから、」

 師匠の言葉にかぶさって、玄関の引き戸が開く音がした。

「……槇寿郎さんですか?」
「あ、ああ……父上だろう」
「ご挨拶してきます」
「待て、俺も行く」

 なぜか歯切れの悪い師匠に続いて玄関に向かう。
 師匠と何度か食事をしているように、槇寿郎さんとも何度かご一緒する場面があった。家に呼ばれたこともある。槇寿郎さんからするとわたしは次代の迫木路になるが、わたしからすれば久しぶりに会う同僚のような、友人のような。特に身構えることもないが、攻撃されないとも言い切れないので師匠の後に続く形で槇寿郎さんの前に出た。
 槇寿郎さんは一瞬構えたものの、わたしの顔を見て踏みとどまってくれた。同じ顔なので――同一人物なので当然だ――気づいてくれたらしい。
 わたしが驚いたのは、覚えていてくれたことではなく、その姿である。引退して久しいのでいくらか痩せていることは予想していたが。曲がり気味な背中、無精ひげ、整えていない髪、片手に酒瓶、というのは名家の当主らしくなかった。

「……木路?」

 それでもこうして呼び掛けてくれるので、驚きつつも応じる。

「はい、迫木路#です。今日からお世話になることになりました。突然押しかけてすみません」
「世話……? うちで?」
「父上、木路は俺の継子となりました」

 槇寿郎さんは師匠を見ず、わたしをひたすら凝視してたっぷり間をとってから「は?」と言葉を落とした。驚きや喜びではなく、憤っているような。なんとなく記憶の中の槇寿郎さんらしくない振る舞いのオンパレードにわたしの頭にも疑問符が浮かぶ。
 わたしは、明朗に笑う槇寿郎さんに「そうか! とうとう木路も剣士になるか。実力がもったいなかったからな」あたりのことを言われて肩をバシバシ叩かれることを想像していたのだ。
 そっと師匠をうかがうと、どこか表情が固い。どうしたというのか。槇寿郎さんを横目で見ると、酒瓶を握る手にどんどん力が入っていた。
 あ、これは怒鳴られるぞ。

「――隠が継子だと!? 己の実力を過信するな!」

 響く声につい耳をふさぎたくなる。

「杏寿郎お前、いたずらに死人を増やす気か! 他人の実力も測れないなど柱が聞いて呆れるわ! 才能のある人間などごく一部だと言っているだろう、お前にも大した才能などないのに隠を継子だと? 馬鹿も休み休み言え!」
 
 ひどい言い草に師匠を見るも、かすかに口角を上げたような表情で固まっているだけで反論する様子はない。この世界/時代は父親には逆らえない風潮があることは察していたが、煉獄家に呼ばれたときには雷親父的な雰囲気はなかった。むしろ瑠火さんのほうが強いように見えた。槇寿郎さんは朗らかで、勢いはあるが温厚は人だったはずだ。それが、実の息子に暴言?
 黙っているべきだろうかと思いつつ、槇寿郎さんの変わりようが信じられなくて口をはさんだ。
 
「あのう」
「出ていけ、隠を継子にとる気などない」
「色々言い過ぎでは?」
「口を出すな若造が!」

 うーん、私の方が年上。
 続けようとすると、師匠に肩を叩かれた。

「行こう、木路」
「さっさと行け、顔を見せるな」

 槇寿郎さんが犬猫にするように手を振る。「行くぞ」師匠が小声で言って、槇寿郎さんに軽く頭を下げてから部屋のほうへと歩き出した。わたしも一礼して、後ろ髪をひかれながら下がった。

「師匠」
「うん?」

 師匠には何ら変わった様子はない。槇寿郎さんはもうずいぶんあの様子なのだろう。わたしはなんとなく玄関のほうを振り返った。

「わたし、ここの住み込みして大丈夫ですか?」
「継子はそういうものだろう」
「わたしもそう認識していますけれど、槇寿郎さん的には」
「気にしなくていい。居心地はあまり良くないかもしれんが」

 わたしはそこまで柔メンタルではないので大丈夫なのだが、わたしの存在が槇寿郎さんのストレスになりそうではある。既に相当弱っているように見えたので、追い打ちをかけるのは不本意だ。ストレスが増えた結果師匠に――ひょっとしたら千寿郎くんも――厳しい言葉が投げられるのはもっと不本意だ。
 わたしはよほど複雑な表情を浮かべていたのだろう、師匠はわたしの眉間を指先で伸ばした。勢いが良いばっかりにアイアンクローかと思った。

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