ひとでないもの

 すっかり昼間も平気になってしまったが、やはり夜のほうが元気で目も効く。オフの日に、着流しを着て街に繰り出した。オフという言葉が合っているのか分からないが、たまたま任務がないタイミングというものはあって、そういう日をオフと呼んでいる。戦闘があって呼び出しがあればさっさと向かわねばならないが、この近くの鬼を討伐した直後なので、緊急の呼び出しというのも無いだろう。
 隠にも任務地というのはざっくり決まっていて、遠方の任務に呼び出されるという非効率的なことは基本的にない。基本的には。派手に自然が破壊されてしまった環境への呼び出しは、ときたまある。他の隠いわく、なんだか自然回復忍法だと思われているらしい。そうやって各地を移動しているので、わたしの任務地域はちょくちょく変わる。ちなみに、わたしの家は一応お爺さんと暮らした小屋と設定しているが、大体野宿と、各地にある藤家紋の家と、隊士宿舎の空き部屋で生活しているので、ろくに戻れていない。戻ったところで何もない。狂い咲いている藤くらいしか。
 隠は隠専業の者と兼業の者とがいて、大体半々だろう。専業隠は案外少ない。命の危険がある隊士はその分高待遇で給与も良く、下の階級でも自分一人の生活なら苦労しないが、隠はそこまで給与が良くない。わたしは食費なんかがほとんどかからないので専業でのんびりやっているが、他の隠はそうではない。自分の生活でもギリギリで、家庭を持っている者は中々苦しいとも聞く。
 日が落ちてから出かけたわたしは、他の隠が中々出来ないであろう贅沢をしていた。小料理屋である。本来は必要でない食物をあえて料亭で食べる。これ以上無い贅沢だ。
 あんまり通い詰めると顔を覚えられて老けないことがばれてしまうので、通うとしても五年と決めている。最初に訪れてから五年経てば、二度と訪れない。上級吸血鬼のたしなみである記憶操作も出来るけれど、純血種様ほど大人数相手にきれいさっぱりは無理なので、こんな小さなことでは使わないようにしている。

「お兄さん、また来て下さいな」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」

 若い女中が赤い顔で呟いてくるので、顔を覗き込んでにっこり笑う。もともとの体格が中性的な上に着流しなのでよくあること。男装は嫌いではないが好きでもなく、女性ものの着物の着付け方がよく分からないからこんなことになっている。動きやすいことも一因だ。学園でも男子制服を着ている日があったので、あまり変わっていない。
 料亭を出たところで、視線を感じた。ちらちら窺ういじらしいものではない。刺すような視線だ。凝視されている。それとなく周囲を見回すと、一人の女性が硬い表情で道端に突っ立っていた。
 おや、と思う。確か、料亭に入る前も見られていた。どことなく気配が鬼っぽいので、鬼だろうとも思っていた。吸血鬼に狂った者とそうでない者がいるように、鬼にも穏やかな気性な者がいてもおかしくないよねと放置したのだ。
 惚れられただろうか。自惚れもいいところなのだろうが、実際、吸血鬼は人間にとって魅力的に見えるようにできているので。
 目線を合わせて会釈をすると、彼女は目を見開いた後、逡巡しているようだった。贅沢後でご機嫌なこともあり、わたしから声をかけた。

「わたしが食事をしている間、ずっと待っていたのですか」
「……食事をしたのですか。普通の?」
「はあ、普通の、懐石料理です。自分へのご褒美的なやつ」
「あなたからは……藤の匂いがしますが、鬼のような気配もします」
「藤の香り袋、持ってますからね。あなた"は"鬼でしょう。あなたのような穏やかな鬼は初めて見ました」
「……わたし"は"?」
「わたしは鬼ではありませんので」

 彼女はわたしの返答にまた瞠目して、それから声を潜めた。

「歩きながら、詳しいお話をうかがっても?」
「良いですよ」

 彼女は珠世と名乗った。紛れもない鬼ではあるが、静謐な自我を有する稀な個体。人を喰わなくても血さえあれば生き延びられるよう自分の改良に成功し、鬼に関する研究を進めてゆくゆくは鬼を人間に戻す研究をしたいと言う理知的な女性だった。鬼っぽい気配でありながら藤の香りをまとい、料亭に入っていくわたしを見て、自身と同じ知性を持つ個体ではと思い姿を見せたのだという。
 軽薄な考え方でごめん、と思った。彼女はその特異性から、鬼舞辻から狙われており、その危険をおかしてわたしに接触したという。重ねて謝った。

「木路さんは、吸血鬼であって鬼ではないと」
「別の生き物なので、お役に立てず申し訳ない。鬼のことはよく分からない」

 立場を明かしてくれた彼女に、わたしも話せることは話した。外国から来た吸血鬼で、この国で同族を探している、という誤魔化しの混ざったものではあったが。珠世さんは特異ではあるが鬼だということで、わたしが鬼殺隊所属ということはなんとなく伏せた。

「珠世さんは、藤とか日光は? 平気?」
「いいえ、いいえ。そこを克服してしまえば、きっと鬼を人間に戻す日も近いでしょう」

 二人で並んで歩くにしては広い間隔に納得する。珠世さんは、藤の香り袋を持っているわたしに近づきたくないのだろう。

「……あの、もしや木路さんは、藤だけではなく日光も平気なのですか」
「吸血鬼の個体差が大きいですけれど、わたしはなんとも。ちょっと眩しいなあ程度です」
「人間と同じものも食べられるそうですし……もうほとんど、人間ですね」

 いや吸血鬼です、と間髪入れず反論しようとしたのだが、珠世さんが悲しそうだったので止めた。人間ぽいという言葉は、わたしたち吸血鬼にとっては反論事項だけれど、人間に戻りたい鬼にとっては褒め言葉なのだろう。

「ですが、気配は人間ではありません。上弦の鬼……強力な鬼舞辻の配下から、狙われることもあるのではないですか。人を喰わないことは、遠回しな鬼舞辻への反逆です」
「あー、それはわたしも考えたことがあります。でも、まだないんですよ。藤の香り袋のおかげか、鬼殺隊のおかげか。捕捉されればまずいなとは思ってます」
「表立った敵対行動さえしていなければ大丈夫かもしれませんが」
「……『表立った敵対行動』をすると、さすがに、まずいですか?」
「そうですね。鬼舞辻は、遠くにいても鬼から情報を収集できますから。……ご存じなかったのですか?」
「ご存知なかったですね……」

 珠世さんいわく、"鬼舞辻の呪い"というものがあるらしい。鬼は鬼舞辻に関する情報を口にすると殺され、近くにいると意識ものぞかれ、遠くにいても視界を共有できる。
 わたしは「初めて知りました」と頷きながら冷や汗を流した。十二鬼月ではないとはいえ、戦闘への割り込みはもう行っている。幸い、逃がした鬼はいないものの、"見た"時点で情報が共有されるなら鬼の生死は無関係だ。
 認識されていない、というのは希望的観測すぎる。感じたもの全てが共有されるわけではないにしろ、頭の中まで覗かれるのなら、何かが伝わっていても不思議ではない。接触されていないのは、"人間じゃないっぽいけど鬼でもない"と判断されてのことだろう。鬼舞辻も「何だコイツ鬼にした覚えないぞ」と思うだろうから、変わった鬼殺隊員がいるけれど、対応優先順位は低いのだ――と、思いたい。

「そこまでの危険を犯して、なぜこの島国に……いえ、立ち入ったことを。忘れて下さい」
「気にしていませんよ」
「……あと、これこそ失礼だと承知で申し上げますが」
「なんでしょう」

 建物の影で珠世さんが立ち止まる。体の前で握った手には力が入っていた。一大決心と言わんばかりの表情に、こちらも姿勢を正す。

「わたしは、あらゆる可能性を試したい。少しだけ、木路さんの血をいただけませんか」
「いいですよ」
「えっ」
「え?」
「あっさり承諾されるとは、思いませんでした」

 純血種様なら渋っただろう。純血を求めるなど無礼の極みであるし、純血種様の血は争いがつきまとう。誰もが欲しがり、誰に対しても力になるが、強い毒でもある。欲しいからと手に入れられるものではなく、たとえ本人が是と言っても周囲が止める。そういうものだ。
 しかしわたしは貴族階級。吸血鬼の中では上級でも、混血であることは否定できない。純血かそうでないかは、決定的な違いになる。
 それに、あの無節操で自分勝手で食欲に支配されている鬼への対抗手段を増やせる可能性があるというのならば、鬼殺隊員として協力を惜しんではならないだろう。

「金銭も要求しません、困っていないので」
「それは……ありがたい限りです。良いのですか、本当に」
「ただ、もうちょっと気安くしてくれると嬉しい」
「……気安く?」
「わたし、吸血鬼だって初めて暴露しました。なんというのか、秘密を共有するお友達というか。だからもうちょっと仲良く……いえ、お互いに接触しないほうがいいのでしょうけれど、顔を合わせれば挨拶するくらいの間柄になれたらなって思います」
「ふふ、木路さんは変わった方ですね。優しい方です」
「珠世さんも、すごく優しいひとですね」

 珠世さんはくすくす笑うのを止めて、ぎゅっと唇を噛む。うつむいてしまったので表情は窺えないが、礼を言う声は震えていた。
 鬼は、全て元人間だ。おまけに鬼になった瞬間から人肉に狂う。吸血鬼で例えるなら、純血種様の出来心で人間をやめた吸血鬼が猶予なくレベルEに堕ちることと同じだろう。殺さざるを得ないが、決してなりたくてそうなったわけではない。哀れで、惨めで、可哀想な、救いのない存在だ。殺すことでしか救われない、悲しいいきもの。
 珠世さんは、彼らの救世主になるのだろう。

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