政治には最低限の興味しかないが、国の天皇が変わればいくらわたしでも「へえ」と思う。わたしがこの世界に来てから初めての代替わりだ。満年齢で十四歳の少年が即位するという。人間による人間のための安定した政(まつりごと)が行われていたわたしの世界とは異なり、ここは幕府や朝廷がごたついているので、また何かしら揉め事もあるのだろう。
街中が妙に浮き足立っているのも、即位のためだろう。市民が訳もわからず思い思いに即位を盛り上げている。あちらこちらで聞く「ご即位記念」の言葉に、「おめでたいから何かしたい!」という気持ちが現れている気がする。
愛国心やら天皇への敬意なんかが不足しているのは大目に見て欲しい。純血種様と天皇様がおわして、どちらに膝をつくかと言えば「純血種様」と即答するのが吸血鬼の性である。
この世界の純血種様はどんな方なのだろうか、と幾度となく繰り返してきた無意味な思案をしながら、魚の干物を眺めた。
「んーカレイ一串と、ハタハタ二串ください」
「あいよ、あんがとね」
笑うと顔がしわくちゃになる愛嬌ある男性が手早く魚の干物を包んでくれる。代金と引き換えにそれを受け取って、人目のない場所まで移動してから走り出した。目指すは藤家紋の家である。
なんでも正式に隊服が支給されるとかで、最寄の藤家紋の家に寄るよう鎹鴉(かすがいがらす)から連絡があった。各地を転々としているので、どこかの藤家紋の家に配備される替えの隊服を一揃いもらってこいと。"隠"の文字の入った羽織りを着るスタイルからどんな隊服になるのかは、見てのお楽しみである。
四匹のカレイと八匹のハタハタは手土産だ。普段、藤家紋の家に寄るときはわざわざ用意しない――する余裕がないときが多い――が、立ち寄ろうと考えている藤家紋の家は、わたしに鬼殺隊のことを教えてくれた特別な家だ。これは手土産の一つ、あって然るべきだろう。鎹鴉から連絡を受けたのが漁村の近くだったので、日持ちする魚の干物を選んだ。
「隊服ヲ受ケ取リナサイ。トッテモ丈夫ヨ、鬼ノ爪モ通サナイワ」
走るわたしの頭上を飛ぶ鎹鴉、名を明衛(あきもり)と言う。女性言葉だがオスなので、つまりオネエ。
「今向かってるから。ちょっと遠いけど、ちゃんと行くから」
「カァ、隊服ヨ。トッテモ素敵ナ隊服ヨ」
「分かった分かった。そんなに着いてこなくてもちゃんと行くから」
「早ク着替エルノヨ!」
明衛は世話焼きの母親のようなことを言って飛び去って行く。鴉には鴉のコミュニティがあり、本部からの任務伝達の他、鴉同士の情報交換も行うので多忙なのである。明衛はわたし付の鎹鴉だが、四六時中一緒なわけではない。
本来、鎹鴉は隊士にのみ与えられるもので、特定の隠専属にはなることは少ない。少ないのであって、あり得ないことではない。階級が最上位の隠や、地域を点々とする隠には与えられることがあると最近知った。わたしは後者だ。地域伝達担当の鎹鴉が把握仕切らないほど移動が多いため、専属鴉が付けられることになった。
藤家紋の家に到着したのは夕日が落ちる寸前だった。そのままの出で立ちだと完全に旅人Aなので、脱いでいた隠の羽織りを着てから戸を叩く。
出てきたのは妙齢の女性だった。年齢的に、もしやあのときの毬の子だろうか。面識があるひとの前に現れるのは迂闊とも言えるが、雲行きが怪しくなればちょっと記憶を誤魔化せばいいかと思うくらいには、わたしは大雑把だ。
彼女はわたしを見て目を瞬いた後、快く迎えてくれた。
「お勤めご苦労様でございます。夕餉はいかがいたしましょう」
「おにぎりでもいただいて良いですか。あと、こちら手土産です」
「あら! 立派なカレイにハタハタですね。明日の朝餉に……」
彼女が言い淀む。泳いだ視線が、土間にある草履に向けられた。
「他にもいらっしゃいますか? 足りるようでしたら、彼らにも出してあげてください。あ、もちろん、屋敷の方優先で」
「お気遣いありがとうございます。二名、隊士の方がいらっしゃっておりまして。ふふ、わたしもいただきますね。それで……」
「木路です」
「木路さんも、隊服ですか?」
「はい。隠の隊服ってあります? 配備され始めたと聞きまして」
「ございますよ。後でお持ち致します」
「ありがとうございます、ええと……」
「ひさ、とお呼びください」
「ひささん。お世話になります」
「ごゆっくりなさってくださいね」
にっこり笑う顔が、幼い子どもと重なる。やはり面影がある。あの子がこんなに大きくなったのかと思うと感慨深い。人間と比較して、吸血鬼は緩やかに成長し外見の成長が止まるが、人間はまさに"すくすく"育つ。「大きくなったねえ」と声をかけたいのをこらえて、にまつく口元を引き締めた。
客間の一つに通される。案内されがてら話を聞くに、現在ひささんは一人でこの屋敷に住んでいるのだと言う。遠回しに男性について聞いてみると、既に亡くなったとのことだった。「もう五十でしたから」というひささんの言葉から察するに、この世界/時代、人間の寿命は五十歳そこそこなのだろう。街でご老人を見ることもない。わたしに生活を教えてくれたお爺さんは相当な長生きだったのだ。十五で嫁入りなんて話も聞いたことがあるので――そのときは、教育制度が充実していないせいで婚期がまいているのかと思ったが――わたしが思うよりも、ここの人間の時間は短い。
医療技術が未発達で、ただでさえ寿命が短いのに、災害やら戦やら鬼やら。人間に厳しすぎる。
ひささんにも長生きしてほしいなあ、と切に思いながら、薄く塩の振られたおにぎりを頬張る。
「木路さん、隊服をお持ちしました」
「ありがとうございます」
「おそらく合うとは思いますが……寸法違いもありますので、違和感がありましたらお気軽にお声掛けくださいな」
藤家紋の家の方々はどこもとてもご丁寧だ。
きっちり畳まれた隊服を受け取り、おにぎりの乗っていた皿を返す。
先にお風呂を頂こうかと思い、結局井戸の水で拭くだけにした。他にも隊士がいるのだ、混雑するかもしれないし、いくら男と勘違いされるとはいえわたしは女なので、そこはきっちり区別したい。風呂には入りたいが、危険は冒したくない。幸いというかなんというか、風呂ナシ生活にも慣れてしまったので抵抗はなかった。井戸水で体を拭けるだけありがたいのだ。級友のお坊ちゃんだったら絶対に出来ない生活である。彼は寝具にラベンダーの香りが無いと云々、こだわりが強い吸血鬼だったので。
皆元気にしてるかなあ、そもそも純血種様の喧嘩場となった学園は無事なのかなあとぼんやり考えながら、体を拭いていく。
「さて『トッテモ素敵ナ隊服』は」
驚いたことに洋服だった。黒い詰襟に銀のボタン、下は馬乗り袴風だがズボン寄りだ。伊賀袴というらしい。上着の背には大きく"隠"の文字が白糸で刺繍がされていた。立ち襟の白いシャツを見たときには謎の感動があった。腰は帯ではなく、白いベルトで締めるらしい。
また洋服が着られる日も近いだろうか。着流しも好きではあるのだが。
サイズ大丈夫でしたよ報告をするために、足取り軽くひささんを探した。