宮野明美は、ひとより少しだけ知っていることが多い。
「時間がないけど、ほんの少しだけ、一言だけでもいい。あいつと話してやってほしい」
自首するべく訪れた毛利探偵事務所で、警察に引き渡される寸前にコナンが携帯を渡してきた。電話に出ると怪訝そうな『ちょっと、工藤君?』という声がした。聞き覚えのある声だった。妹だ。組織に残してきたはずの妹の声だった。
彼の携帯から妹の声がすることに混乱したのは一瞬だった。黒ずくめの組織のことをコナンに話したのは他でもない明美自身であり、明美はコナンが工藤新一であると――見た目通りの小学生ではないと――本人から聞いている。景光にさえ相談しなかったのは、幼児化という事実を重く見たからで、決して忘れていた訳ではない。
優秀な高校生探偵は、衝撃に目を見開くだけの明美に囁いた。
「俺が小さくなったのは、組織の薬が原因なんだ。同じ薬を飲んで、明美さんの妹も逃亡している。今は隠れながら、奴らを追ってる」
コナンの説明は端的で分かりやすかった。
声よりも先に涙が出た。声を上げて泣きたいくらいだったが、あんまり号泣すると小五郎や蘭に怪しまれる。明美は歯を食いしばって涙を飲み込んでから、電話の向こうに話しかけた。
グレーのスーツを着た昔馴染みは、死にそうな顔で頭を下げてきた。
「謝罪では足りない。言い訳もしない。俺の不手際だ」
組織で、遠目に見たことがある程度の幹部が昔馴染みに似ているなと思っていればどうやら本人だったらしい。しかもただの構成員ではなく日本警察からの潜入捜査中であるという。バーボンだったり安室透だったりする降谷零は、未だ衝撃に目を瞬いている明美に深々と頭を下げた。
降谷の言い分をまとめると、組織から命じられたシェリー抹殺に乗じて宮野志保を警察で保護するはずだったが手落ちで爆死させた、という。彼はそれを、明美に謝罪している。
明美は降谷を怒れなかった。潜入捜査をしている身での動きづらさは、同じ潜入捜査官だった恋人を見て知っている。捜査をしながら抹殺を命じられた人物の保護など、難易度はとてつもなく高いに違いない。それをやろうと思ってくれただけで嬉しかった。何より明美は、妹が生きていることを知っている。余計に怒る理由がなかった。ここで激情を抱かないほうが怪しいと分かっていても、今にも腹を切りそうな降谷を罵倒など出来なかった。
妹はどこかで生きているわ、と。詳細を伏せた事実のみを口にした。降谷の心をえぐると分かっていながらも、妹が死んだ芝居はしたくなかった。
降谷は消え入りそうな声で謝罪をして、明美との再会を喜ぶ間もなく仕事の顔に切り替えた。
「それで、"母親"役は一体誰だ」
明美は黙り込むことを決めた。錦のことは、絶対に明かせない。
執行猶予付きの判決が決まった後、世話になった毛利探偵事務所を再訪するのはさほど不自然ではなかった。近所に住んでいる少女が偶然珍しく事務所に足を運んでいたのも、まあ不自然ではなかった。ついでに、少女の同伴として大学院生がいたのも、そう不自然ではなかった。
灰原哀と名乗る妹とは本当の感情を隠した再会にはなったけれど、顔を見られただけで十分だった。「はじめまして」をちょっとだけ端折った挨拶をして、気が合ったという体で連絡先を交換した。
糸目の大学院生が話しかけてきたのは、哀とのやりとりが一段落してからだった。
「僕は沖矢昴です。彼女は人見知りをするのですが、あなたには心を開いたようですね」
「うるさいわよ」
哀に鋭い言葉を飛ばされながら、沖矢は気にしたそぶりもない。僕とも仲良くしてください、とコミュニケーション能力抜群に明美に手を伸ばしてきた。
不意に香った煙草のにおいに、明美は涙腺を刺激された。
「あっ明美さん!」
「泣くほど嫌だったのよね、分かるわ」
コナンと哀に宥められながら、明美は急いで涙を引っ込めた。哀の辛辣さに笑ってしまったので、涙はおさまりやすかった。
沖矢も心配そうな顔をしていたが、微笑んだ瞬間を明美は見逃さなかった。
明美は涙を拭きながら思わず声を上げて笑った。全員からの視線を集めていたが、可笑しくて仕方がなかった。
ここいらには、死んだふりが上手な人間が多すぎる。