俺の娘が家で待ってる

 錦は布団に横になっていた。夜は活動時間だが、毎夜夜更かししているわけでもない。たまには人間らしい時間に目を閉じる。
 マンションの間取りは2LDKで、一室が和室、一室が洋室だ。そのどちらをそれぞれの部屋にするか決める際、錦は和室をとった。一軒家のときは洋室だったので今度は和室という単純な理由だ。景光はこのマンションに住むにあたってベッドを準備していたが、錦は和室なので布団のままである。ベッドで寝たいときは景光の部屋にもぐりこめば良い。
 布団は当然畳の上に敷くので床からの音がよく伝わる。耳の良い錦ならば尚更だ。物が落ちれば小さくても聞こえるし、景光の足音も聞こえる。
 玄関のドアの開閉音の後、ドサ、と重たい何かが崩れるような音も良く聞こえた。
 時計を確認すると日付を越えたところだ。景光が帰宅したのだろう。それはいいのだが、やたら重たい音がしたのが気にかかる。錦は布団から出ると玄関へ向かった。
 上がり框に景光が倒れ込んでいる。
 血の匂いこそしないものの何事かと迅速に向かって肩を叩くと、うめきが返って来た。

「うう……」
「どうしたの? 誰の仕業?」
「好戦的だなやめろ。三十秒だけ死んでから立ち上がろうと思って」
「はあ、お疲れなだけならいいわ」
「ビールが冷えて俺を待ってる……」

 景光がかすれた声でCMソングを口づさむ。
 錦は景光の脱力した腕を持ち上げて、リビングに向かって引っ張った。いくら錦が力持ちと言えども、成人男性を持ち上げるには体格が足りないのである。ずる、と重い体が動くと素っ頓狂な声がした。

「俺まだ靴脱いでない」
「早く脱いで。引きずって行ってあげる」
「絵面がとんでもないことになるので遠慮する。立てる、俺はまだ立てます」
「本格的に仕事に復帰してから、ずっと深夜帰宅だもの。疲れもするわ」
「そういう職場だからな。俺はブランクもあるから」

 のそりと体を起こした景光の背をいたわるように叩いて、一足先にキッチンに向かう。ご要望のビールを出してダイニングテーブルに置いた。

「お茶漬け食べる? おかずを温め直す?」
「お茶漬けでいいや」
「鯛と鮭と野沢菜があるわ」
「鮭で」

 景光が緩慢な動きで手洗いを済ませた頃には、お茶漬けの準備が出来ていた。景光はため息をついて箸を持ち数口食べてから、何をするでもなくダイニングに留まる錦を視線だけで二度見した。

「早く寝ろ。起こしたの俺だけど」
「景光が途中で寝てしまわないかと思って」
「大丈夫。飯の準備ありがとう」
「おやすみ、景光」
「おやすみ、錦。起こして悪かったな」
「ちっとも謝ることじゃないわ」
「……ちょっと待って」

 食事を中断した景光が錦の前にしゃがみ、寝ぐせのついた頭を乱暴に撫で、頬をつつき、抱きしめて、もう一度頭を撫でて立ち上がった。
 されるがままの錦は、怒涛のスキンシップにやや呆然と景光を見上げた。景光はどこか満足げに、ダイニングテーブルに戻っている。

「よし、おやすみ」
「……おやすみ?」

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