ドアベルが鳴って、すっかり染みついた営業スマイルとともに振り向く。「いらっしゃいませ」という決まり文句はすんなりと出たが、次の言葉が引っかかった。
常連の錦がいるのは喜ばしい。いつもなら「また来てくれたの?」と駆け寄ってカウンター席までエスコートするところだが、今日はそうもいかなかった。夏を楽しんでいるように、サングラスを頭にひっかけているところはとても可愛らしいが、安室の意識は錦を抱き上げている人物へ強く向いていた。
どこからどう見ても警察学校時代の同期で、ついでになにやらニヤついているので、彼は安室の立場を分かった上で来店しているらしい。情報ルートは錦の父親役・諸伏だろう。諸伏が松田と会ったのか、錦が友人の再会に気を利かせたのかは分からないが、原因は諸伏だ。そうに違いない。あいつめ余計なことを言ったな。
安室は咳ばらいを一つ挟んでから、接客を続行した。
「錦ちゃん、今日は見慣れないお兄さんと一緒なんだね。前にプリクラで見たことがあるな」
「お友達の松田陣平よ」
「おっす。噂は聞いてるぜ、安室さん。よろしくな」
「ええ、よろしくお願いします」
抱っこされている錦が「あっち」と席に松田を誘導する。安室は席案内を常連に任せ、カウンターの中で水とおしぼりを準備する。二人はテーブル席に座ったようだった。お盆を持って、早速メニューを広げているテーブルに近づく。
松田がニヤけた顔のままで見上げてきた。
「安室さん、おススメは?」
安室はにっこり笑って返す。
「ハムサンドはいかがでしょう。成人男性の胃を満たすには少ないかもしれませんが」
「俺はそれにしよ。あとコーヒー。お嬢さんは?」
「ナポリタン。と、紅茶とミルクにするわ」
「かしこまりました」
一礼してカウンターに引っ込む。
二人をじっくり観察、もとい盗み聞き、もっと言えば会話に入りたいところではあるが、客は彼らだけではないのでそうもいかない。仕事をこなしながら、横見技術をフルに発揮して様子をうかがうことしかできない。
二人は仲が良さそうだった。安室は少しばかり松田から錦に伸びる感情の種類を心配していたが――安室とて中身はお回りさんなので――錦の言った通り友人関係には違いなさそうだった。警察学校時代の同期が道を踏み外しておらず、安室はそっと安堵した。
元気そうでよかった、とカウンターの中で頬を緩める。松田が観覧車で爆弾と心中しかけた件は聞いているので、自棄になって無茶をやらかしているのではないかと思ったが、辛気臭い様子もなく楽しそうだ。
二人は食事とお茶とで一時間ほど滞在した。伝票を持ってレジに来たのは当然のように松田だった。
安室はテーブルを一瞥して、代金をレジに打ち込む。
「スーツに煙草のにおいが染みついている割には、テーブルの灰皿は空なんですね」
「子どもの前だからな。安室さんは……案外エプロンも似合うな」
「案外ってなんですか、僕にぴったりでしょう」
「薄ら寒い」
「失礼ですね。錦ちゃん、こんなガラの悪いおじさんとの付き合いは考えた方がいいよ」
「陣平はまだまだピチピチのお兄ちゃんよ」
「さすがお嬢さん」
「松田さん、ガラが悪いことは否定されてませんよ」
「それはしゃーねぇ」
釣り銭とレシートを渡すと、松田はさっさとドアに向かう。
「また来るぜ、安室さん」
レジを振り向きながら笑う。片手を小学一年生とつないでドアを開けてやっていると、キザな仕草もいまいち決まっていなかった。